第5話 傍にいない

「………暇だ」


 ソファに寝転がりながら、柚は呟いた。


 『大事な用事』が何なのか、結局聞けなかった。


 朝食を食べたら帰ると言っていたのに、律儀に丸二日は持つだろう量の料理を作ってから、名残惜しそうな表情を残して直はこの家から出て行ってしまった。


 自分のためにたくさん料理を作ってくれるのは嬉しかったけど、それはつまり、少なくとも今日明日は直と会えないことを示唆している訳で、昼食用にすぐ食べられるようお皿にラッピングされた炒飯を見て、食欲が湧く代わりに気持ちが沈む。


 直がいなくなった家は、朝日が入り込んで明るい筈なのにいつもより暗く感じて、人ひとり分広くなったはずなのに窮屈に感じられた。


「………勉強でもしよ」


 のろのろとソファから起き上がり、自室に向かう。


 教科書を開きながら、昨日の夜を思い出す。


 自販機の前、ジュースを買ってしょうもないことを言ったら、突然重ねられた唇。


 あの時は本当に一瞬で、いきなりのことだったし、直の唇の感触とか、キスできた嬉しさとか、気が動転していたのもあってあまり覚えてない。


 今になって思い出すと嬉しいやら恥ずかしいやらでどうにかなりそうになるけど、ぼんやりとしか直の感触を思い出せないのがもどかしい。なんであの時の自分はもっと心に余裕を持って味わわなかったのか。今の自分でもできなさそうなことを過去の自分に求めてしまうくらいには後悔している。


 色々と我慢するのが大変だったけど、直が一緒に寝ようって言ってくれたのが嬉しかった。昔みたいに並んで寝られてホントに嬉しかったのに、その反動だとでも言うのか、たったの一泊で直が帰ってしまった。


 いや、世間で言う所の友人は休みの度に何泊も寝泊まりしないと言うのは分かってるんだけど、もうここ数年は最低でも二泊三泊が当たり前になっていて、土曜日の朝に直が近くにいないことに違和感すら覚える。


 寂しさが胸に募って、紛らわすように勉強を進める。


 気付けばお腹も空いていて、直が作ってくれたお昼ご飯を食べる。


 それからボーっとテレビを観ながら学校の友人と連絡を取ったりして、軽く散歩に出掛けて帰ったら勉強をして夜ご飯を掻き込んで――――


 いつの間にか、日曜日の夜になっていた。


 直の作り溜めしてくれた最後の料理を食べながら、こんなに美味しい料理を作ってくれた直への感謝と愛おしさと共に、どうしようもない不安に襲われる。


「………もしかして、直に頼ってばっかりの私に嫌気差しちゃったのかな……」


 他の人から告白される時に見守ってくれていること、こうしてほとんど毎日のように美味しいご飯を作ってくれること、休みの日にずっと傍にいてくれること。


 最初は遠慮していたけど、いつしか全ては日常に変わっていて、ずっとこの幸せが続けばいいのに、なんて考えてしまっていたけど、よく考えなくてもこの幸せは直の時間と体力を犠牲に成り立っているもので、いきなり「柚の世話焼くのめんどくさくなったから、今日から全部自分でやってね」と言われてもおかしくないくらい、直には負担を掛けてしまっている。


 こんな寂しさ、直に頼り過ぎた罰だとすれば小さすぎること………そう思わないと。それくらい、私は直に依存してしまっていたから。

 見捨てられていないだけでも、ありがたく思うべきだ。


 分かってる。

 分かっているのに、視界が滲む。

 鼻の奥がツンとした痛み。

 擽ったいものが頬を伝って流れていく。


「………美味しい……直……おいしいよぉ…」


 私好みに、丁寧に味付けがされた料理が美味しくない訳がなくて、美味しければ美味しいほど、直が私から離れていくことに恐怖を覚えてしまう。


 何も言わずに見捨てるような、直がそんな薄情な人間なわけないのに、理性的な考えは、寂しさですっかりネガティブになった本能に掻き消される。


「………ごちそうさまでした」


 直と、料理の素材となった動植物たちへの感謝を言ってから食器を洗い、お風呂を済ませ、ベッドで横になる。


「………寝れない」


 ゴロゴロとベッドの上を転がってから、ふとスマホを手に取り、トークアプリを開いて直宛てに『私のこと見捨てないよね?』なんて打ち込んでしまってから、×ボタンを連打する。


 違う………こんなこと聞いても直が困るだけだし……あ゛ーもう!なんで私ってこんなに臆病なんだ!


 そんなに気になるなら、明日か明後日にでも聞けばいいじゃん………そうだ。どうせ明日の登校する時とか、休み時間とか放課後、いくらでも直と直接話す機会はあるだろうし、聞けばいいじゃんか。


「………よしっ」


 未だに心は落ち込んだままだけど、明日直に合わせる顔が寝不足のクマだらけだったら最悪だし、気合いで眠りについた。




「……………嘘」


 朝、いそいそと身支度を済ませていると、スマホに直からの通知が届いていた。

 なんだろうと画面を覗いて見ると、


 『ごめんだけど、今日は別々に登校したい』


 簡素な文章が書かれていた。


 あまりのショックで焼き立てのパンをお皿から落っことしてしまう、最悪の早朝だった。


 一人での登校は久し振りで、学校が近くなり、知り合いに出くわす度に「あれ?今日は大神おおがみさんとは一緒じゃないの?」と聞かれるのが耳に痛かった。


 学校に着くなり自分の教室に荷物を置いて、直のクラスへ小走りで向かう途中で、直らしき背中が見えた。


「な、直っ!」


 呼びかけるとその背中はびくんと跳ねて、ギシギシと軋む音が聞こえてきそうなほどぎこちない動きで振り返る。


「あ、柚。えーと……おはよ」


「……う、うん…おはよ」


 見えた彼女の表情と声音、視線、そのどれもが今まで見たこともない色を含んでいて、言葉に詰まってしまう。


「………何か用?」


「あ………」


 聞きたいことはいっぱいあるのに、緊張と不安で狭まった喉が言葉を出させてくれない。


 いや、それはただの言い訳で、私はただ怖いんだ。

 拒絶されるのが怖いから、聞けないんだ。


「………ごめん、なんでもない」


「……そう?えっと、ごめん。私もう行くから。授業の準備しなきゃ」


「………ぁ」


 こちらに背を向けて、遠ざかっていく背中に手を伸ばして小さく声を漏らしても、直は止まることなく教室に消えて行った。


 ………一限目が終わったら、また声を掛けよう。


 そう決意して、今は煩わしさしかない授業が終わり、再び直の教室へ向かうがそこに直の姿はなく、クラスメイトに聞けば、授業が終わるなり小走りでどこかへ行ってしまったらしい。


 結局直は見つからなくて、次の休み時間も、その次の休み時間も、直の姿は全く見つからなくて、今までだったら寧ろ直の方から私に会いに来てくれてたのに………。


「………もしかして…避けられ……てる…?」


 もしかしなくても、避けられてるよね……これは。


 ………なんで?


 やっぱり私、もう愛想尽かされちゃった。

 それか……嫌われちゃった?

 寝惚けてる直にキスしようとしたから?

 私が浪費家だから?


 理由なんてわかんない。

 わかんないけど、直が私を避けてるのは確かだし、一緒に登校もしてくれなくて、態度も変だったし………。


 直を探してる内に、来たこともない人気も無い廊下を歩いていた。


 丁度よかった。

 ここでだったらちょっとくらい泣いても誰にも見つからない―――


「やっほー」


「わっ!?」


 突然横から声を掛けられて、自分でもびっくりするくらい飛び退いてしまった。

 驚き過ぎて心臓止まるかと思ったけど、そのおかげで涙も引っ込んだ。


「柚じゃん。珍しいね、こんなトコ来るとか」


 見れば、ピアス穴を空けた茶髪ハーフのいかにもな不良JK、清水しみず紗都さとが階段の一段目に座ってスマホを弄っていた。


「紗都……紗都~~~!!」


「うぎゃっ!?は!?ちょっ、なに急に抱き着いて―――」


 紗都があまり人に触れられることが好きじゃないと知っているのに、思わず抱き着いてしまった。


 最初は思い切り押しのけられ掛けたが、私のメンタル状態を察してくれたのか、「あーもう…しょーがないなぁ」と嫌そうな声を出しながらも受け入れてくれて、軽く背中を擦ってくれた。


 でもやっぱり嫌だったのか、すぐに「もういい?」と押しのけられてしまう。

 それでも、さっきよりは気持ちが落ち着いた。


「で、なに?」


 紗都は心底めんどくさいと言った感情を余すことなく表情に出しながら尋ねて来た。紗都のこういうざっくばらんな所、私の友人の中には嫌いな人が多いけど、私は結構好きだったりする。


 直の次に信頼を置いている人物が彼女であり、紗都にだったら、今私の抱えている悩みを相談してもいいと思えた。


「その……実は直のことで相談があって………」


「直?……あー、大神さんのことね」


「うん、そう。それで――――」


 キーンコーンカーンコーン


 本題に入ろうとした所でチャイムが鳴る。

 私としては授業よりもこっちの方が大事だから言葉を続けようとしたのに、紗都は怠そうに立ち上がって「授業行って来なよ」と言って来た。


「長くなりそうだし、真剣な相談ならゆっくり落ち着ける所の方がいいっしょ。帰りにカフェで聞いたげる」


「ホント!?ありがと!!」


「その代わりにパフェ奢ってね」


「分かった!!」


 流れで頷いちゃったけど、そういえば財布の中、どれくらい入ってたかな………。


 急いで教室に戻り、財布を開いて残高を確認し、何とかパフェ三杯分くらいは払えそうでホッと息を吐く柚だった。

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