第4話 朝食は美味しい
窓からカーテン越しに朝日差し込む、気持ちのいい今朝。
普段だったら思い切り伸びをしてからストレッチしたりするんだけど、今、私はそんなことが出来る状況じゃない。
何故なら―――
「んぅ~……むにゃ……」
「――っっっ!!」
直と真向かいに寝転びながら手を繋いでいるからっ!!
い、いや、もちろん昨日のことは覚えてる。
一緒のベッドで寝ることになった下りも、お互いに向かい合って、私の方から手を繋いだことも、全部全部覚えてる。覚えてるんだけどもっ!!
「す~……ん………」
「~~~っっっ!?」
意識のない中でもなにか違和感があるのか、繋いだままの私の手をにぎにぎと握ってくる。
愛おし過ぎて思わず声にならない何かが口から漏れるが、辛うじて叫ぶのは堪えることに成功する。
お、落ち着け私。
気を確かに持つんだ私。
今ここで声を出して直を起こしてしまったら、何にも代えがたいこの幸せな朝チュンタイムが終わってしまう!!
そんなの嫌だっ!絶対嫌だっ!!
少なくとも直が自然に起きるまでは、この手の温もりを堪能するんだもん!!
「ん……ぅ……ん…」
「ーーーーーーっっっっ!!!!」
柚の手を離したかと思えば、のそのそ蠢くような動きで柚の方へと近寄って行き、何を思ったか柚に真正面から抱き着いた。
これには思わず心の中で大絶叫してしまう柚であったが、本当にギリギリの所で声を押しとどめることに成功する。
や、やばばぁ~~~!!
直の柔らかいあんな所やこんな所がぎゅっと密着して、早朝の冷えやすい身体に温もりが心地いいし、何より好きな人に抱き締められることで幸せ物質が分泌されて、のぼせそうな程に全身が熱を持つ。
すんすんと、ほとんど無意識に直の匂いを嗅いでしまう。
寝起きと言うこともあって当然少しだけ汗臭くて、でもそのおかげで、小学校の頃は毎日のように嗅いでいた直の匂いを強く感じる。
小学生の頃で思い出したけど、そういえば直って基本は普通に寝相いいんだけど、朝方になると急に動き出すし、寝起き悪かったっけ。
あの頃はどれだけくっついてても何とも思わなかったのに、今は直との接触の全てが心臓に悪くて、背中に回される手、逃がさないとばかりに絡めてくる程よく引き締まった足。
直がショーパンだからと言うのも相俟って、私の着てる薄い布一枚越しにシャリシャリと擦れて、擦れる度にゾクゾクとした感覚に背筋を貫かれる。
ヤバっ………これ………っ
特に際どい部位に触れられてる訳じゃないのに、体の熱の昂ぶりが抑えきれなくて、呼吸が荒くなっていく。
熱に浮かされたような表情で眼下にある直の顔を覗こうとすると、タイミングよく直も顔を上げ、ばっちりと目が合う。
「………っ!?」
一瞬、この世の終わりだとばかりの表情になった柚だったが、直はぼんやりとした様子で柚の顔を見詰めるだけで、特別大きなリアクションは取らない。
………もしかして、寝惚けてる…?
しばらく見詰め合っていたが、直は突然蕩けたような笑みを浮かべて、
「ゆずだぁ~」
と、背中に回していた手を外して、柚の頬をすりすりと撫で始めた。
まるで子猫でもあやすように、優しく包み込むような愛撫に柚はすっかり絆され、少しだけ強張っていた心も、引き気味になっていた体も、段々と委ねるように直の方へと預けていく。
「ゆず…かわいい……」
寝惚けているからこそ、それはきっと直の本心で、既に飛び跳ねるようだった心臓がより一層と激しく脈打つ。
僅かに残された理性さえも蕩けそうになった所で、何故か直は突然目を瞑り、唇を少しだけ尖がらせた。
その顔は誰がどう見ても―――――
ちゅー………していいってこと………!?
キスと言えば、思い出されるのは昨晩のこと。
コンビニ帰りの自販機で、何故かいきなり直に唇を塞がれた。
あの時はあまりにも一瞬のこと過ぎて、直の唇の感触も余韻も、正直ぼんやりとしか覚えてない。嬉しかったのはもちろんそうなんだけど、色々余裕がなくて、あんまりわからなかった。
だから………いい……よね…?
ごくりと、生唾を飲み込む。
何が『だから』なんだ?と、心のどこかで思いながらも、直とキスがしたいと叫ぶ本能に抗えない。
止まらない。
目を閉じて、もう後ほんの少しでも近づければ触れそうな距離まで唇を寄せて、ただただ吸い寄せられるように、直の唇があるはずの場所へと近付けて行って………
「……………あれ?」
どれだけ近付けても唇には何の感触も生まれなくて、思わず声を出してしまう。
何事かと思って目を開けると、顔を真っ赤にして、呆然とキス顔の私をガン見している直の姿がそこにあった。
一瞬の空白。
「「うわ゛ああ゛ああぁぁぁぁぁぁぁーーーー!!??」」
驚きのあまり、お互い聞いたこともないような悲鳴を上げながら、弾かれたように飛び退き、直に至ってはベッドの端っこだったこともあってそのまま寝台から落っこちる。
その後、二人は互いに混乱と動揺で届きもしない言い訳を交わし合い、非常に気不味い空気の中、「きゅるぅ~」と鳴った柚のお腹の音に直は手を打ち、
「ごっ、ご飯っ!作って来るからっ!!」
と、慌てて部屋から飛び出て行ってしまった。
一先ずは息苦しい空気が途切れて、柚はへなへなとベッドの上にへたれ込んだ。
しばらく放心したように寝転んでいたが、やがて布団を手繰り顔に押し付けて、「ん゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛~~~!!」と唸り声を上げながら、キスが出来なくて残念なような、結果的に手を出さなくて済んでよかったような複雑な感情の中で悶えるのであった。
沈黙の朝食。
味噌汁と魚、昨日のハンバーグの残りに白米と、普段と比べると少々豪勢な献立となっている………いや、本来なら魚まで並べる予定はなかったんだけど、心を落ち着かせるために焼いた。
時々柚が「お、美味しいねっ」と私の料理を褒めてくれるけど、それ以外の会話は全くといいほど皆無。
我ながら料理は美味しいのに、気不味すぎてどうにかなりそう。
今朝、目が覚めると私の方から柚に抱き着いていて、眼前には柚のキス顔があって、何を考えるよりも早く反射的に離れちゃったけど………あれはなんだったんだろ………。
普通に考えると、私が寝惚けて柚に抱き着いて……そんな私に柚がキスをしようとした………いやいや、普通ってなんだ。一番それがありえないだろ………でもじゃあ、あの時の柚の、目を閉じて、唇を突き出すようにした顔はなんだったんだって話になる。
何より、今のこの雰囲気。
私はともかくとして、柚までちょっと変だ。
そういえば柚も一緒に叫んでたし。
………あ゛ぁ゛!!考えれば考える程わかんないっ!!
思わず机に顔を伏せたくなったけど、急にそんなことをしたら柚がビビるだろうし、何よりご飯中に行儀が悪い。
「………あのさっ!!」
「は、はひっ」
いきなり柚が大声で話しかけて来て、つい変な声が出てしまった。
しかし柚は少しも気にしていない様子で、少し躊躇いがちに口を開く。
「その、いつも私のこと………守ってくれてありがと」
「う、うん………」
何故か柚は頬を赤く染めて、珍しく目も合わせないでそう言った。
いきなりのことで、私もどう返していいのか分からず再び微妙な空気になってしまう。
『守ってくれてありがと』……か。
そんな言葉をもらえるほど、柚に信頼されているのはこれ以上ないくらい嬉しい。
だけど同時に、無意識にキスしてしまったり、柚を前にすると身体に異常をきたしたり、寝惚けて抱き着いたり……今後、彼女の信頼を無碍にするような行動をしてしまうんじゃないのかと、どうしようもなく不安になってしまう。
柚を守るために、現状、最も危険因子となりうる可能性の高いのはもしかすると『私』……なのかもしれない。
少なくとも、この言葉にできない柚への気持ちが何なのかわかるまでは、柚と距離を置くべきだ。
…………。
直は苦しそうに左胸をぎゅっと押さえてから、勢いよく立ち上がった。
「……柚。大事な用事を思い出したから、これ食べたら帰るね」
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