第3話 お互いの温度
結局、楽しみにしていた映画の内容もほとんど入ってこないくらいさっきのことが頭から離れてくれなくて、無理矢理キスをしてしまった罪悪感もそうだし、何より、柚の唇に意識が持っていかれて、全くと言っていい程映像に集中することができなかった。
どうしてこんなにも柚の唇が気になってしまうのか自分でも分からなくて、分からないから自分の気持ちに整理も付けられず、どうしようどうしようと悩んでいる内に気付けばエンドロールが流れていた。
「面白かったねー!」
「う、うん……」
柚はうきうきと笑顔を浮かべているが、正直エンドロール後に流れるおまけ以外頭に残っていないから、頷きながら少し申し訳ない気持ちになる。
せっかく買って来たポップコーンも私のは一つも減っておらず、手汗は酷いのに首元が異常に冷たく感じたり、身体にまで異常が出始めていた。
「……直、大丈夫?体調悪い……?」
「う、ううん。ちょっと感情移入しちゃっただけ……と、トイレ行って来るね」
「うん、行ってらっしゃい」
リビングから出てトイレに向かい、便蓋を上げて、ボトムスは下ろさずそのまま便座に座った。
文字通り頭を抱えた体勢で考える。
「どうやったら……今まで通りの感じで柚といられるだろ……」
まともに柚の顔を見られないばかりか、体調まで悪くなるなんて……流石にこのままじゃ駄目だ。
何かしら対策を講じないと、いくら柚が許してくれても私の方がおかしくなってたらどうしようもない。流石にこんな状態のまま柚とずっと一緒にいたらどうにかなってしまいそうだし……どうしたら………。
「………初心に戻る……とか……?」
こういう行き詰まった時は基本を思い出して新たな気持ちで臨むのがいいって、この前誰かが……宿題やってる時の柚が言っていたような気がする。
柚って私より勉強できるけど、考えてる時思ったこと全部口に出るタイプだからちょっとだけうるさいんだよな………まあ、そういう所も嫌いじゃないんだけど。
それは置いといて、初心に戻る……初心ってなんだろ。
柚と出会ったばかりの頃の接し方を思い出す……とか?
小学生の頃に出会って、最初は柚が人見知りしてたけどなんか話すようになって、柚の家庭の事情を聞いてから休みの日も頻繁に遊ぶようになっていって……あの頃は距離感とか全然気にしてなかったからずっとべったりくっついて、お風呂もベッドも、トイレまで一緒だった時あったよな。
トイレはダウトとして、お風呂……は、もう入っちゃったし、じゃあ――――――――
「………え?いま………な、なんて…?」
「だから、今日は一緒のベッドで寝ない?ほら、小学生の頃はよく一緒に寝てたじゃん?」
トイレから出てすぐ柚に同衾の提案をすると、まずは驚いた顔を浮かべて、次に「いや、やっぱり聞き間違いだったかな?」みたいな表情になって聞き返されたけど、こっちは本気も本気。
直が改めて一緒に寝ないかと提案すると、柚は目を白黒させて自分の頬を引っ張ったり抓ったりしてから、口元を押さえ「直と一緒のベッド……直と一緒のベッド……」と直にギリギリ聞こえないくらいの声量で壊れたロボットのように繰り返す。
「えっと…あの、柚さん……?」
「は、はひっ!!問題ありましぇん!!」
「ほ、ホント……?嫌ならその……諦めるけど……」
柚の何とも微妙な反応に気付いてしまう。
思い付きで言ってみたけど、よくよく考えてみれば、ついさっきキスしてきたやつと同じベッドで寝るなんて、普通に考えたら怖いよね……。
あーもうホント、私はなんでキスなんてしちゃったんだろ!!
自分のことなのに意味わからん!!
「い、嫌って訳じゃなくて………そ、その、なんで突然……?」
「何て言ったらいいのか分かんないんだけど、小学生の頃の気持ちを思い出すと言いますか……いや、もうホント、ちょっとでも嫌って気持ちがあったら全然拒否してもらってもいいからね?」
「嫌なんて全然思ってないよ!!む、寧ろ、直と一緒に寝られるなんてご褒美と言うか……」
「え?なんて……?」
後半ごにょごにょしてて全く聞こえなかった。
「なっ、なんでもないよ!?うん!じゃあ今日は一緒に寝よ!!」
「自分から言い出しといてなんだけどさ、ホントにいいの?」
「うん、ホントに嫌じゃないよ?なんでそんなに………あ……」
聞きながらなんでそんなに直が遠慮がちなのかを察した柚は一瞬にして頬を染め上げ、何とも気不味い空気が流れる。
その空気を断ち切るように柚は気持ち強めに合掌一つ。
「とにかく!私は久しぶりに直と一緒のベッドで寝られるの本当に嬉しいから、大丈夫だよ!」
「そ、それなら良かった…」
ホントのホントにいいのかなと思いつつ、自分から提案しといてこれ以上聞き返すのも失礼だと思い、柚の言葉を信じることにした。
「どっちのベッドで寝る?私のベッドでもいいし、どっちでもいいよ」
「………じゃあ―――」
「柚………もう、寝ちゃった………?」
結局、私の部屋に連れ込むのはなんかやましいことをしてる気分になりそうだったから、柚の部屋のベッドで寝る方を選んだ。
因みに、柚の家は結構大きい方で、当時あまりにも私の寝泊まりが多かったため、中学生のある日、柚の両親が柚家に私の部屋を用意してくれた。
あの時は何だか姫宮家の子供になったみたいで嬉しかったなぁ。
ところで、私と柚は最初、お互い背を向けてベッドに寝転んでいたけど、15分ほど経ってから何となく柚の方に正面を向いて話しかけてみる。
返答はない。
起きてるのか寝てるのか微妙なラインの呼吸音が小さく聞こえる。
柚は起きていたらちゃんと返答してくれると思うから、多分寝てるんだと思うけど……なんか嘘臭いな。
柚はモテる。
たくさんの人に好意を向けられて。
たくさんの友達がいて。
なのに、学校の帰りとか、休みの日とか、今とか。
柚はいつも私を優先してくれる。
幼馴染みだから、親友だからってのもあるかもしれないけど、たくさん気を配らないといけない対象がいる中で私を選んでくれていること。
不思議と心の中が満たされていくような気がして。
それは優越感と、少しの独占欲と、それと―――――
私は徐に手を伸ばして、触れた。
ひらりと薄い寝間着の生地に指先が触れて、もう少し力を入れると、人間的な柔らかさに指の腹が弱く押し返される。
びくりと柚の体が跳び上がり、やっぱり起きてたんだと思わず口許がニヤける。
ツツと指で背中をなぞればびくびくと小刻みに柚の体が震えて、柚が私を感じてくれているんだと言う実感に、胸の奥の方がじわりと温かさを持つような感覚。
この気持ちの正体は何なのか。
考えれば考えるほど微睡みに誘われて、気付けば眠ってしまっていた。
「………直……………寝た?」
問い掛けるが、返事はない。
代わりに規則正しい微かな寝息が聞こえてくる。
恐る恐る寝返りを打つように体の向きを変えると、直の無防備な寝顔が目に入った。
いつもはクールでカッコいい感じなのに、今はあどけなくて可愛い。
ギャップにどうしようもなくキュンキュンしてしまう。
「………好き」
思わず漏れてしまった言葉を飲み込むように、慌てて手で口元を押さえる。
「き、聞こえてない………よね?」
直の寝顔はぴくりとも動かず、どうやら本当に眠っているらしい。
ホッとしたような、残念なような。
柚はしばらく無言で直の寝顔を覗いていたが、ふと手を伸ばして、直の唇に自分の指先を触れさせた。
ふにゃりと確かな弾力が指を押して、その指で自分の唇をなぞる。
さっき………直のあそこが…私のここに触れたんだよね………。
直の唇の感触が鮮明に思い出されて、体が茹だったように熱を持つ。
というか、ただでさえキスされた上に一緒のベッドで寝るってなって緊張で眠れなかったのに、なんか背中を指でなぞってくるし、完全に目が冴えてこんなの絶対寝れないじゃんっ……。
「もお……直のバカ……」
悪態をつきながらも直への愛おしさは止めどなく胸中に溢れて、柚は我慢ならないとばかりに両手を直に伸ばしそうとして――――引っ込めた。
駄目だ……これ以上求めちゃったら、私………絶対止まれなくなっちゃう。
人間関係はドミノ倒しのようなもので、どれだけ慎重に、丁寧に列を伸ばしていっても、少しでも手元が狂うと今まで積み上げたものが全て水泡に帰してしまう。
だから、私たちは保険をかける。
途中の牌を抜くように押し引きを見極めて、一度間違えても全て壊れてしまわないように関係性を確約する。
ほとんど毎日一緒に遊ぶ幼馴染みで親友と言う関係性は、既に出来過ぎているくらい近しくて、この関係を壊さないよう、壊さないよう、いつも全力で湧きおこる劣情を抑えている。
でも、それでも人間の心は精密な機械じゃないから、私は手を伸ばしてしまう。
直の指先に自分のを合わせて、手のひらを重ね、指先を折り曲げ恋人繋ぎにして。
えへへ……これで今だけは恋人気分………なんて。
満たされて、でも儚くて。
早く手を離さないと。
直が起きてしまったら、また気不味くなってしまうから。
頭では分かってても、まるで接着剤でくっついてしまったみたいに手が離れてくれない。
温かくて安心する直の体温。
にぎにぎと、起こさない程度に直の手の感触を楽しんで、温もりを共有する。
カッコよくて、クールな直が好き。
私が困ったらいつでも相談に乗ってくれて、自分の時間を削ってでも助けてくれる直が好き。
運動神経が抜群で体育の時とかすっごくカッコいいのに、勉強はあんまり出来ない所も好き。
直の料理も大好き。うちのお母さん、あんまり料理得意じゃないし、私も結構不器用な方だから、直はほとんど毎日私にご飯を作ってくれる。
たまに甘え過ぎかな、なんて思うけど、直は嫌な顔一つせずに世話を焼いてくれる。だから、私の体はほぼ直の愛情で出来ていると言っても過言ではない………って、それはちょっと気持ち悪いかな……。
「………直……好き…だよ」
寝ている時しか言えない臆病な自分が嫌い。
でも、幼馴染で親友と言う今の関係性も私にとってはかけがえのないもので、中々踏ん切りがつかないでいる。だから、直の方から私の好意に気付いてくれないかな………なんて思いつつ。
でも、鈍感な直のことだから、私の方から告白しないと絶対気付かないんだろうな。
久しぶりに直と同じベッドで寝転んで、手を繋いで体温を分け合っていると、強張った体は段々とほぐれ、次第にやってきた眠気に誘われるように、気付けば柚は安心感の中で静かに寝息を立てていた。
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