第2話 後悔先に立たず

 いつからだったか、金曜日に学校から帰った後は柚の家へ遊びに向かい、そのまま一日二日、長い時だと火曜日くらいまで泊まるのが決まり事のようになっていた。


 柚の両親は共働きな上に旅行好きで、休みの日はよく国内国外問わず飛び回っている。たまに柚も一緒に連れられることはあるけど、柚がそもそもインドア派なため、一人で留守番をすることが多かった。


 そういう事情もあって、柚が直接私に「一人で寂しいから一緒にいて」とか言ってきたわけじゃないけど、彼女の家庭事情を聞いてから何となく休みの日は一緒にいる頻度が増えていって、過ごしやすくてもうちょっとここにいたいなーと、いつしか泊まる頻度と期間が増えていた。


 おかげで柚の家には、最早私の家よりも私物が多いし、柚の家に入る時はナチュラルに「ただいまー」と言ってしまう。


 最初は間違えて口に出てしまって、言い直そうと思ったけど、柚が笑顔で「おかえり、直」と迎えてくれたから。


 柚の家は、もうひとつの我が家になった。


 今日も今日とて学校から直接柚宅にただいまして、軽く宿題を済ませ、夕食を食べてからお風呂に入り、ソファでまったり寛いでいたら、お風呂上がりの柚がスマホを弄りながらリビングにやってきた。


「ふへー。いいお湯だったー。今日もなんか見るー?」


「ん、アニメ?この前何見たっけ?」


「別にアニメじゃなくても何でもいいんだけど。この前は確か、なんか実写の魔法使い系のなんかだったかな?」


「あー、『ハローパッター』か。アレも最後まで見ちゃったからなー。あ、そういえば最近あの探偵アニメの映画、新しいのネットフロックスに出たらしいし、それ見る?」


「え!『名探偵コラン』の新しいのもうフロックスに追加されたの!?見たい見たい!!丁度期末テスト被ってて映画館見に行けなかったし!」


 柚は友達と話す時の話題作りもあるだろうけど、アニメとか映画とか、とにかく映像作品が大好きで、私もモノは選ぶけど観るのは好きだから、金曜の夜は毎週二人で鑑賞会をしている。


 趣味とか性格とか全然違うのに、好きなジャンルは意外と合ったりするのが面白い所。


 映画を観る前にジュースとかお菓子とか用意をしようと棚を漁る。


「一応ポテチとかチョコとかあるけど、なにがいい?」


「ん~……あ、ポップコーン食べたい!前買ったのってまだある?」


「もうないって。前ってそれ、一ヶ月くらい前の話だよ」


「あれ、そうだっけ?それだったらポテチ……えー、いやでも、もう口がポップコーンうすしおに………」


「しょうがないなぁ。じゃあ一緒に買いに行こっか。柚がポップコーンポップコーン言うから、私も食べたくなってきちゃった」


「ホント!?やった!!じゃ、ちょっと待ってて!羽織るもの取って来る!」


「じゃあ私、玄関で待ってるね」


 玄関の段差に腰を下ろし、靴を履いて柚を待つ。


 秋に入ったばかりの何とも微妙な気温の時期。

 私は生地の薄いロングT一枚で十分適温だけど、柚は結構寒がりだからロングTの上に羽織り物がないと若干寒いらしい。


 あ、だから帰りの時に手繋いで来たのかな?


 小学校の頃は添い寝とか一緒にお風呂入ったりしてたけど、最近は全くそういうのなくなったし、ボディタッチが苦手になったのかと思ってたら手繋いで機嫌よくなってたし、どういうことなんだと思ってたけど、なるほど、寒かったのなら納得……なのか?


 なんて考えていたら、アウターを羽織った柚が早歩きで、


「お待たせー!」


 と、手を振り振りやってきた。


「よし、じゃあ行くかー。近くのコンビニでいいよね?」


「うん、ローサンのポップコーンが一番好き!」


 そんな訳で、二人仲良くコンビニまで歩く。


 どこからか虫の音が聞こえてきて、何となく雅を感じつつ―――いや、やっぱりちょっとうるさいな。


 最近学校であった出来事とか話していたら、いつの間にかコンビニに着いていた。


 柚はうすしおのポップコーンをカゴに入れて、私がキャラメルを入れたら「うえー!?キャラメルとか邪道だよ!ポップコーンと言えばうすしおかはちみつの二択!それ以外ありえない!!」なんて、SNSに投稿したら一波乱呼びそうなことを言われた。


「うすしおは中学生で飽きた」


「うすしおの夢は永遠だよ!!いくら直でもこれだけはっ、これだけは譲れない!!」


「はいはい。それは一旦置いといて会計行こうねー」


「あっ、待って!ついでに柿ピーも買いたい!」


 あれもこれもといつの間にかカゴ一杯にお菓子やら何やら詰め込まれていて、会計はまさかの四桁。


 私と柚のお小遣いは最早共有財産みたいになっているから別にいいんだけど、毎度毎度その場の欲を満たすためだけに衝動買いするのはちょっとどうかと思う。


 買ったものをそれぞれのマイバッグに入れて、帰路に着く。


「ついいっぱい買ってしまった………」


「また柚の浪費癖出たね。大学までにはちゃんと直しなよ。バイト代いらないものに消えてって、ホントに欲しいもの買えなくて泣いてる柚が目に見える」


「うわ……それあり得る未来過ぎて無理……」


 まあ、私が守銭奴と言うか、ケチ過ぎるから、相対的に柚が浪費家に見えるのもあるのかな。

 いや、にしてもたまにえぐい時あるからな………。


「直~、今度私が散財しそうになったら止めて~!」


「んー…」


 勿論止めたいのは山々なんだけど、柚があれこれ買いたいものを漁ってる時の表情がキラキラ輝いてて、それが何となく可愛いから止めづらいんだよな……恥ずかしいから本人には言わないけど。


「気が向いたらね」


「気まぐれじゃなくて毎回止めて~!私、周りから財布の紐緩いやつって思われるの嫌だよ~!」


 それに関しては事実だし、多分もう知られてると思うけどな。

 私以外とも割と外遊びに行ってるし、柚のことだから、一つ噂が立ったら尾ひれ背びれやらついてすぐ広まっていくだろうし。


 なんて他愛もない話をしていたら、柚はふと立ち止まって、自販機の方へ吸い込まれていった。


「なんか飲むの?」


 私も自販機の方へ近寄ると、丁度自販機の取り出し口から「ガココンッ」とペットボトルの落ちる音が鳴った。


 柚はそれを取り出し、両手でそれを持って自分の頬にくっつけた。


「へへ。見てこれ、私!」


 彼女の指さすペットボトルのラベルには『はちみつゆず』と書かれていた。


 さっきまで浪費癖の話をしていたのに、家の近くの自販機で飲み物を買うと言うこの世の無駄遣いランキング上位に入る行為をして、どうしようもないなと思う反面、悪びれる様子もない、幸せそうな無邪気な笑顔がどうしようもなく愛おしく感じてしまって―――


「……直?どうしたの?……あっ!そういえば無駄遣いはやめようって話なんだった……って、な、直……?なんか顔、近いよ……ぁ…んぅ」


 直は引き寄せられるように、柚の唇に自分のを重ねていた。

 ふわりと、触れるだけのキス。


 それは三秒にも満たない短い時間だったが、柚の唇に確かな熱を残して離れていく。


 自販機の光に照らされる柚の顔は耳まで真っ赤で、それは絵になるくらい綺麗に見えたけど、どうして柚がそんな顔をしているのか。


「な…直……っ…」


 柚の絞り出したような掠れた声に、ハッと我に返る。


 ちょ、ちょ、ちょーっと待って!?

 わ、私いまっ、何した!?


 ゆ、柚の笑顔が愛おしくなって、それで、何となくキスしたくなって………って、なんでキスしたくなってんの私!?

 その時点でもうおかしいし!!


 柚は幼馴染みで……親友でっ、一緒にいて楽しいけど、そういう目で見たことなんて今まで一度もないしっ、そ、それにそうだ、柚には好きな人がいるのに………と、とにかく、早く謝らないと……!


「ごめんっ!!柚っ、私、なんか頭がどうかしてて……いきなりこんなことっ、ホントにごめん!」


 謝罪の言葉とともに、勢いよく頭を下げた。


 動揺やら焦燥やら色んな感情が胸中を渦巻いて、語彙力も喪失しちゃってるし、もうこの場から逃げ出して穴にでも入りたい気持ちでいっぱいだけど、ここで何も言わずに立ち去ってしまったらもっと後悔してしまう事態になりそうだから、何とか踏ん張って柚の返答を待つ。


 頭を深く下げてしまって、もう一度上げる勇気も出せず俯いたままでいると、「えーと……」と、ようやく柚が口を開いた。


「そ、その、あの……今の…キス………な、なんで?」


「そ、それが、自分でもわかんなくて……柚の笑顔が可愛いと思って、そ、そしたら、なんか気付いたらキスしてて…………」


「か、かわっ………」


 何やら柚の動揺したような声が聞こえるも、未だに顔を上げられなくて、柚が今どういう表情をしているのか確認できない。


「と、とりあえず、顔上げて……?別に私、怒ってないから、ね?」


「いや、でもっ……私…柚には好きな人がいるって聞いてたのに……!」


 自分で言った言葉に、自分で勝手にダメージを受ける。

 好きな人がいる相手にキスするとか、私ってこんなに不誠実な女だったのかと、ショックで涙が零れ落ちそうになってしまう。


「ひぅっ!?」


 突然頬に冷たい感触が伝わり、思わず変な声が漏れてしまった。


 驚きのあまり顔を上げて見れば、頬にはゆずれもんのジュースがくっつけられていて、そして何故か少し残念そうに微笑む柚の顔が目に入った。


「ほら、大丈夫だから、ね?これ飲んで落ち着いて?」


「う、うん……」


 やや強引にジュースを握らされ、言われた通り少し口に含む。


 ゆずれもんの優しい甘みと仄かな酸味がカラカラに渇いてしまった喉に沁みて、自分のしてしまった愚行を優しく慰められている気分になり、さっきとは別の意味で涙が目尻に滲む。


 それでも喉が潤ったらいくらか落ち着いて、大きく息を吐いたら、ようやく柚の顔を直視することが出来た。


 「気にしないで」と言わんばかりの、天使のような微笑みに思わず見惚れてしまう。


「落ち着いた?」


「う、うん。これ…ありがと……すごい美味しかった……」


 蓋を閉めて、少しだけ嵩の減ったペットボトルを柚に渡す。


 柚はそれを受け取って、改めて直に向き直った。


「それにさっ、えーと、ほらっ、キスなんてさ、女子友達同士なら遊びでしてる子もいるし、だから、そう、今回のはなかったことにしよ?」


「………なかった、ことに……?」


「うん!私も別に気にしてないし、直も気にしなくて大丈夫!」


 気持ち悪がられて、最悪の場合、絶交を言い渡されたら大人しく受け入れようとまで思っていたのに、気にしなくていい、大丈夫とまで言われてしまっては、このまま気にし過ぎて気不味くさせる方が悪いように感じられた。


 だから、自分のことを許すか許さないかは一旦置いといて、一先ずこの場では何もなかったように振る舞おう。今の私には多分、それくらいしか出来ないし。


「………わかった」


「よしっ!じゃあ早く家帰って、ポップコーン食べながら映画見よ!!」


 そうして直は、若干ギクシャクしながらもなるべく気にしないよう心掛けながら柚と並んで帰路についた。


 道中、ジュースの飲み口に唇をつける際、躊躇いがちに頬を染める柚に直は気が付かなかった。

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