第15話 童心に戻る


 十太夫は、切れ長の鋭い目でちらりと忠弥を見ると、何か用事か、と出し抜けに云った。

 忠弥は面食らいながらも、半之丞がいれば会わせて欲しいと頼んだ。

 十太夫は、細長い顎を撫でると考える顔付きをした。


「ふむ、半之丞に会いたいと。何故なにゆえ?」

「え?」

「何故に半之丞と会いたいと申される」


 まさか、ここで足止めを食らうとは思っていなかった。

 忠弥はムッとして目の前にいる男を睨んだ。


「いるのかいないのか、お聞きしておるのだが」

「いるにはいるが、お主には会いたくないと思うがの」

「は?」


 なぜだ。


 忠弥は、ますます顔をこわばらせ相手を睨みつけた。十太夫は飄々ひょうひょうとした顔つきで頭をかくと、肩をすくめた。


「まあ、よかろう。お主が足を運ぶことなど、二度とあるまい」


 いちいち癇に障る男だ。

 忠弥は来たことを後悔し始めていた。しかし、いつかは対面しなくてはならないと思っていた。


「案内するから入れ」


 十太夫の物言いは誰に対してもこうなのだろうか。

 これが小姓組頭というものなのか。


 頭を悩ませついて行くと、客間に通されるかと思ったが、十太夫は長廊下を歩き、どこかの居間のふすまを開けた。

 中ではドタドタと走る音がしていたが、ふすまが開くなりぴたりと音が止まった。


「客だぞ」


 声をかけてずかずか入り、忠弥も後に従うと、畳に四つん這いになり、幼子を背負った半之丞が表情を固まらせてこちらを見ていた。

 幼子は女の子で二つか三つくらいに見えた。

 女子おなごは、あんぐりと口を開けている半之丞にしがみついて満面の笑みだ。


「あ、な、何故なにゆえ…」


 半之丞が体を起こすと、女子は膝に乗って満足そうに微笑んでいる。


「な、奈美、ごめんね。お客様がお見えになられているみたいだ…」


 おろおろしながら小さい子に話しかけると、女子は顔をくしゃりとさせると泣きだした。


「いやあーっ」

「後で遊んであげるからね」


 優しい声音で云っても、奈美と呼ばれた女子はいやいやと顔を振ってしがみついて離れない。


「よいよい、そのまま話をするがよい」


 ハハハと十太夫が笑う。

 おそらくこの奈美という幼子は、三浦十太夫の娘であろう。

 どう見てもしつけがなっておらぬ。

 忠弥は、頭が痛くなってきた。

 間に挟まれた半之丞は、白い顔をさらに白くして今にも引っくり返りそうだ。


「お、叔父上、なぜ、こちらに成沢様がおいでなのですか?」

「知らんわ」


 十太夫はそう云うと、奈美、と娘に声をかけた。


「ほれ、俺が遊んでやる」

「ちちうえー」


 奈美が小さい足で畳を蹴り、父に飛びついた。首にまわされた腕は二度と離すものかというくらい強く抱きしめている。


「これ、息ができんだろうが」


 笑いながら二人は部屋を出て行った。

 残された半之丞は茫然とした顔で頭を押さえ、忠弥もまた、このような展開になろうとは思ってもいなかった。


「た、大変、見苦しい姿をお見せ致しまして、申し訳ありませぬ」


 はっと気がつくと、半之丞が頭を床につけて謝っていた。


「いや、構わぬ。俺の方こそ、突然訪ねて申し訳なかった」


 忠弥はすっかり汗をかいていた。思いついて訪ねたばかりに、半之丞に迷惑をかけた気がした。


「すぐにお茶をお持ち致します」


 半之丞は部屋を出て行こうとした。忠弥はすかさずそれを押しとめた。


「待て、茶はいらぬ」

「え…?」


 不安そうな顔でこちらを見上げる。

 彼はいつも自分をおびえたような顔をしていた。

 それも奇妙に思っていた。


「今日はお主が道場を辞めた理由を聞きに参った」


 そう云うと、半之丞の顔がこわばった。すぐに目を逸らされる。


「目を逸らすな」


 つい、厳しい口調で云うと、半之丞はこくりと頷いて顔を上げた。

 まっすぐに見つめる目には表情がない。

 忠弥は思わずドキリとした。


「黙って辞めましたこと、申し訳ありません。今さらながら、私は武術に不向きであることに気付いたのでございます」

「それは誰が決めたのだ」

「え?」

「お主が不向きかどうかは俺が決める」

「そんなっ。ご勘弁くださいませ。私はもう門弟ではございませぬ」


 きっぱりと拒否された。

 忠弥にはさっぱり意味が分からなかった。


「なぜだ。何かあったのか?」

「何もありませぬ」


 即座に答える。

 これでは何かあったと云ったも同然だった。


「俺には云えぬのか」


 卑怯な尋ね方だったが、瞬間、半之丞から表情が消えた。


「お答えする義理はございませぬ」


 あれほど自分に憧れていたという者が、なぜ急に離れていこうとしているのか。

 その理由がまったく思いつかなかった。

 これまで冷たい態度を取ったのが悪いのだろうか。


「どこかの道場へ入るのか?」

「いいえ」

「しかし、いずれ家督を継ぐのであれば、何かしらの武道は身につけねばならんだろう」


 半之丞は何も答えない。

 忠弥はじれったさに苛々した。

 こんなに頑固な奴だったのか。外見とは裏腹に芯の強さはあるらしい。


「では、俺が稽古をつけてやろう」


 喜ぶだろうと思って云ったが、半之丞の表情が一変した。

 その顔は恐怖に顔を歪め、こちらを睨んでいるように思えた。


「なぜですか? 私は何か悪さをしたでしょうか。成沢様は私を気にかけることなど露ほどもないはずなのに」


 なんと大げさな。

 笑いそうになったが、半之丞は本気で云っているようだった。


「とにかくお前は未熟だ。しばらくは稽古をつけてやるから、ありがたく思え」


 忠弥はそれだけ云うと、魂の抜けたような半之丞を無視して部屋を出た。

 門を出る時も、見送りは誰もなかったが、思わず顔がにやついていた。

 あの者をいじめるのは、楽しいかもしれぬ。

 やんちゃだった童心に戻った気がした。


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