第4話 憧れの人と二人きり? ②




「な、成沢さんっ」


 自分でもびっくりなくらい大きな声だった。


「ん?」

「せ、銭湯に行かれますか?」

「銭湯か? そうだな、汗もかいたし」

「わ、わたしが背中を流します」

「……やめとけ、倒れるぞ」

「え……」


 大胆な自分の発言にも驚いていたが、それよりもすげなく断られた衝撃が痛かった。忠弥がスタスタと歩いてくる。腕を取られ、身がすくんだ。


「体がふらついている。こんな状態で入ったら、湯に当たったとたんに倒れそうだ」

「も、申し訳ありません」


 忠弥に気を遣わせてしまった。迷惑をかけたと気付いて蒼ざめた。


「家まで送る」

「そんな、ご迷惑はかけられませんっ」

「いいから、着替えて来い」

「は、はい……」


 有無を云わさず命じられる。従うしかなかった。急いで体を拭いて着替えた。

 袋竹刀を持って玄関へ出ると、忠弥はすでに着替えて待っていた。


「同じ方向か」

「はい」

「行こう」


 少し、顔つきが怖い。怒っているのだろうか。練習初日で彼も疲れているだろう。それを勢いに乗じて、わがままを押し通してしまった。

 前を歩く忠弥は一言もしゃべらず歩く速度も早い。追いつくのが必死だった。


「ああ、悪い」


 突然、なにを思ったのか忠弥が立ち止まった。


「ど、どうしましたか?」


 小走りに歩いていた半之丞は追いついてから息をついた。すると、忠弥は歩く速度を遅め、半之丞に合わせてくれた。


「俺の足が速いならはっきり云え、兵馬だったらすぐに云うぞ」


 半之丞はまた、忠弥に気を遣わせたと気付いた。


「次からは気をつけます」

「そうしろ」


 そのまま、ゆっくり歩いて叔父の家についた。


 実を云うと、半之丞は、まだ叔父の家では暮らしていなかった。

 そのことを伝えようと思ったが、実家までは少し距離があった。しかし、これ以上、迷惑をかけるのは嫌だった。

 叔父の屋敷前に着き、半之丞は深くお辞儀をした。


「今日は本当にありがとうございました」

「じゃあな。ゆっくり休めよ」

「は、はいっ」


 うれしくて声が震える。忠弥はそんな様子を見て、


「おかしな奴だ」


 と云って笑った。


「じゃあな」


 忠弥の屋敷はこの先の辻を曲ったその先にあった。

 姿が見えなくなるまでじっと見つめ、それから屋敷内の裏庭にまわった。


「お、半之丞」


 叔父は縁側で、一人で碁を打っていた。

 

 叔父の年はまだ三十五歳で、細身で長身の若々しい男だった。顔艶もよく、切れ長の目で整った顔だちの色男である。

 結婚して女の子が一人いる。子供は一人でよいと勝手に決めて、兄である半之丞の父の子を一人、養子にもらうことに決めたのだ。

 物事に乗じない図太い性格の持ち主で、半之丞が庭から入っても特に何も云わなかった。


「顔が白いぞ、大丈夫か」

「叔父上……縁談の件ですが」

「ああ、そういえば、成沢忠弥が帰って来たんだったな」

「はい、わたくしは成沢さんのためなら養子の件も……」


 そこまで伝えたとき、急に頭がふわふわしてきた。心ノ臓が激しく鳴り出し、立っているのが辛くなった。

 碁盤を睨んでいた叔父が顔を上げる。


「大丈夫だよ、縁談の話はなんとかするから、おいっ」


 叔父がはだしで庭に下りてくる。半之丞の体がふらりと傾いだ。


「おい、志保しほっ、誰かいないかっ」


 叔父が妻の名を呼び、大声で叫んでいる。抱きとめられながら、半之丞は、忠弥の後ろ姿を思い出していた。

 頭がくらくらしていたが、半日以上も忠弥の側にいられたことが、なによりうれしかった。


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