第3話 憧れの人と二人きり? ①



 明くる日、半之丞はいつもより遅く目が覚めた。

 忠弥に会えるのだと思うと、興奮して眠れなかった。道場へ行くのも緊張して、隣で兵馬が話をしていたが、ろくに聞いていなかった。


 道場に入ると、すでに来ていた門弟たちが素振りの練習を始めていた。堀内道場に来てから初めての光景で、その中心に忠弥がいた。

 他の者たちも半之丞とは別の意味で、忠弥の帰りを今か今かと待っていたのだろう。

 稽古を見てもらうにも、半之丞は他の者より遅れているため、邪魔にならない場所でするしかなかった。


 その日、忠弥とは目を合わせる機会すらなかった。しかし、半之丞は側にいるだけで幸福を感じていた。


 しなやかに踊るような筋肉、低い男らしい声。時々、大きな声で笑ったり、腹から怒鳴ったりする声にも思わずうっとりしてしまう。

 ここまで自分が忠弥のことを意識しているとは、想像もしていなかった。

 焦がれている事は自覚していたが、同じ空気を吸い同じ場所にいる事がこんなにもうれしいなんて――。



 練習が終って、汗を流すためみんなが井戸端へ出て行く中、半之丞は忠弥の後ろ姿をぼうっと見ていた。


「半之丞」


 兵馬が呆れたように言った。


「なに?」

「ほら、ぼうっとしていないで声かけて来いよ。今なら誰もいないし、主張しないと覚えてもらえないよ。成沢さんははきはきした人が好きだしさ」

「え、そうなの?」

「うん、お前のようなスッポンみたいにしつこい奴は嫌いじゃないと思う」

「スッポンって……。あんまりだ」

「本当のことだろ」


 ほら、行けと背中を押される。


 いきなり心ノ臓が高鳴りだす。

 落ち着けと自分に云い聞かせながら、汗を拭く忠弥に近づいた。


「成沢さんっ」

「ん?」


 忠弥が振り向いて目が合った。半之丞は握りこぶしをした。


「わ、わたしにも稽古を付けて下さい」

「かまわないが」

「ありがとうございますっ」


 忠弥は、半之丞の顔をじいっと見つめ、首を傾げた。


「どこかで会ったか?」

「き、昨日……」

「ああ、そうだった。三浦だったな」


 名前を覚えてくれていた。なんて寛大な方なんだろう。

 半之丞は胸が熱くなって涙が出そうになった。


「じゃ、まずは立ち姿からだ。やってみろ」

「はいっ」


 基本の構えを取ると、厳しい叱責がきた。

 右の肩が上がりすぎる。踏み込むときに、指先が上がりすぎるため、踏み込む頃合が分かり過ぎ、相手に気取られるなど、細かい指導を付けてくれた。


「肩に力が入り過ぎている。もっと力を抜いたほうがいい」

「はいっ」


 ふっと全身の力を抜くと、持っていた竹刀がふらふらと揺れる。


「抜きすぎだ、馬鹿」


 軽く頭を小突かれて、触れた部分がジーンと熱い。


「顔が赤いが、熱でもあるのか」

「い、いえっ」


 ふざけていると思われたくなくて、一生懸命にやった。

 しばらく指導してもらい、息が上がり始めると、腕組みして見ていた忠弥が云った。


「もうこの辺でやめよう」

「あ、ありがとうございました」

「あんまり、がんばりすぎるな」


 ぽんぽんと頭を優しく撫でられ、半之丞は信じられなくて一瞬、呆けてしまった。そんな半之丞には気付かず、忠弥は、


「じゃあな」


 と、くるりと背を向けた。

 半之丞は慌てて我に返った。気がつけば二人きりだった。



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