第2話 自分の許婚とその兄の孫四郎



 練習が終わり井戸端で汗を流していると、背後に気配を感じて振り向いた。


「あ、谷村さん」


 背後にいたのは、半之丞の許婚、谷村たにむら小園こそのとその兄の孫四郎まごしろうだった。


「練習はすんだのか」

「はい。これから帰るところです」

「話がある」

「すぐに着替えて参ります」

「うん」

「半之丞さま」


 小園が静かな声で囁いた。


「いそがなくてもよいですよ」

「はい……」


 小園がそう云ってくれたが、孫四郎の鋭い目は変わらない。恐らく孫四郎は、忠弥の帰国の話をしに来たのだ。半之丞は直感した。


 着替えをすませて玄関へ行くと、二人は式台に腰をおろし、揃って門の外を眺めていた。小園の小さな背中と孫四郎の大きな背中は、必要以上に離れている。


 半之丞は小さくため息をついた。


「お待たせいたしました」

「参ろう」


 孫四郎が立ち上がり歩き始めた。その数歩後を小園が歩き始める。

 二人を追いかけ孫四郎に追いついた。


「成沢忠弥が帰国したそうだが」

「はい、今朝方ご挨拶しました」

「そなた、成沢に憧れて道場に入ったのだったな」

「はい……」

「そなたは小園の大事な婿どのだ。小園を苦しめるようなことがあったら、拙者が許さんぞ」


 のどの奥から絞り出した声に、半之丞は一瞬、体が冷たくなった。


「谷村どの、私は……」

「兄上さま……」


 小園がついて来た理由が分った。

 恐らく家でなにかあったのだろう。


 孫四郎は癇癪持ちで手に負えないところがある。容姿端麗で役者のような姿身だが、整いすぎて冷ややかな目つきと薄い唇に近寄りがたい印象が強い。おそらく妹である小園を大事にしてきたが、突然降って湧いた半之丞との縁談に憤りを隠せないのだ。


 半之丞は、書院番の家柄に生まれた次男坊である。

 長い間冷飯冷やひやめしであったが、同じく旗本である叔父の三浦家に養子に入ることが決まった。

 叔父の役職は小姓組頭で、いずれはその職を継ぐことになる。

 養子が決まった直後、縁談の話が出た。相手は谷村家の小園だった。


 谷村家は無役の旗本寄合だったが、三千石を食んでいる。無役なため、日がな一日、なにかするわけではない。しかし、谷村家の方から強い押し付けで小園をもらって欲しいという要望があった。

 無役の旗本寄合というだけで、強引なやり方に叔父はいまだ渋っているが、まだ正式に断っていない。


 忠弥ひとすじに生きてきた半之丞は、小園と結婚するなら養子は辞退したいと訴えたが、叔父の方から縁談はなんとか破綻にするからと懇願されている。

 かわいそうなのは小園で、双方に挟まれた彼女はいつも元気のない顔をしていた。


 小園は、孫四郎の妹とは信じがたいほど静かで繊細だった。いつも孫四郎の側にいるため、ゆっくり話をしたことはない。


 今日も蒼白い顔で孫四郎の側で、静かにしていた。

 孫四郎は田宮神剣流の遣い手でもあり、ほとんどを道場で過ごしているらしい。指南役でもあるが、稽古が厳しいと聞いている。

 見た目はほっそりとした美男なのに、中身はいわおのように硬い男だった。


 小園には悪いが、半之丞は家督を継いだら正式に縁談を断るつもりでいた。

 しかし、小園はもう十八歳で、年齢的に出遅れているほうである。断るなら一日でも早い方がよいと半之丞は焦っていた。


「ここでよい」


 お互いが武家町に暮らしているので、小園の屋敷まで送ろうと思っていたが、孫四郎のほうから断ってきた。


「では、失礼いたします」

「お気をつけて、半之丞さま」

「はい、小園殿も」

「ありがとうございます」


 深くお辞儀をしてふわりとほほ笑み、孫四郎の後ろをしずしずと歩いて行く。まるで夫婦のようだ。

 二人の姿が見えなくなると、どっと肩の力が抜けた。

 孫四郎の存在は威圧的だ。


 叔父が云うには、谷村家は三浦家とのつながりを濃くしたいがために、半之丞を利用しようとしているらしい。

 孫四郎が云い出したことではないのは確かで、彼は半之丞なんかに大切な妹を渡したくないという態度が見え見えだった。


 半之丞は肩で小さく息を吐き、屋敷へと歩き出した。



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