第6話 「外園友との雑談3」

 時刻は昼休憩、つまりは昼食の時間。俺と外園は学食にいた。


 学食にいる理由はもちろん昼メシを食べるためだ。それ以外の理由でこの時間帯の学食に来るような人間は利用者全員から殺意の籠った目を向けられることになる。空席はちらほらと見受けられるのだが、学食は食事をする場所であってそれ以外を主目的にしてはいけないという絶対の掟が存在する。


 俺や外園が入学する前の話となるが、針ヶ谷高校の学食は無法地帯となっていたらしく、食事もせずにカードゲームやボードゲームを広げる集団や、一部の席を自分たちの領土とばかりに占領する集団がいたのである。ちなみにマジで酷かったらしい。


 そのことを重く見た学食のスタッフは五日間の学食閉鎖を敢行。家庭の事情やら純粋に学食の味に惚れ込んだ学生たちからは阿鼻叫喚の声が上がることとなった。唐突に訪れた艱難辛苦に耐える学食利用者たち。学食側の言い分も理解できるため歯を食いしばりながらも苦難を乗り切ろうとする。あと三日待てば、あと二日待てば、明日になれば……。そして迎える学食再開の日。学食の飯が食えることに彼ら彼女らは一様に感謝していた。その瞬間、まさしくみんなの気持ちは一つになっていた。


 だがまぁ、当然のように食事目的でなかった連中は「いつもの遊び場が使えなくてちょっと不便だったなー」ぐらいの感覚で、再度当たり前のように学食を想定されていない方法で利用しようとしたわけである。


 時の柔道部主将であった鬼瓦おにがわら弦蔵げんぞうは学食の味を愛していた。「これが私のお袋の味だ」と、そう公言して憚らないほどだったという。全国区の柔道の実力、それでいて勉学にも励んでおり模試では旧帝大への進学もA判定というまさに文武両道という言葉が相応しい人物だったそうな。彼はそれだけに留まらず品行方正でもあったようで、大柄な体躯とやや厳しい面持ちも相俟って恐れられることや勘違いをされることも少なからずあったらしいが、ひとたび交流すれば非常に人間のできた好青年であることがわかるぐらいには“いい奴”だったらしい。


 で、そんな鬼瓦弦蔵氏がキレた。そりゃもう盛大にキレた。学食の不正利用者たちの頭を掴んでは床に叩き付けた。男女平等に。一人の例外もなく。鬼瓦氏は人の頭を片手で軽々と掴み、死なない程度という最低限の配慮をした上で振り下ろしていたそうだ。当然のように逃げようとした連中もいたそうだが、出入口は学食の正規利用者たちに塞がれて逃げられなかったようで、最終的には全員仲良く床に熱いベーゼをすることになった。何人かは前歯がなくなったそうで、鼻が高いことが自慢だった女子は鼻が曲がったとかどうとか。


 教師たちが様子を見に来たときには死屍累々と形容するに相応しい状況が出来上がっていた。主犯であり唯一の実行犯である鬼瓦氏は教師に己一人による所業であることだけを告げ、それ以上の弁明はせずに黙って職員室へ向かおうとした。どう言い繕うとも彼がやったことは暴行でしかなく、それは傷害事件に他ならないからである。


 それは現代に蘇った神話の英雄譚と言っていい光景だったのだろう。誰かのため、或いは己のために優しき英雄は立ち上がり、悪者を退治する。けれど、その英雄に待ち受けるは悲しみの末路。


 しかし、それを許せない人がいた。一人の男子生徒が倒れている男の頭に軽く拳を振り下ろす。びくんとはねる男。そして教師たちへ言う「先生、俺もやりました」と。


 戸惑う教師陣たちをよそに、正規の学食利用者たちがこぞって倒れ伏す屍どもに死体蹴りをかまし始める。一人一蹴り。蹴ったらまだ蹴っていない人物に交代するという見事な連携だった。蹴りたいから蹴るのではない、蹴る必要があるから蹴るのだ。彼ら彼女らにはそういった共通認識があった。


 理解が追いつかなかった教師たちも流石に急いでやめさせないといけないことに気付き、慌てて死体蹴りを止める。そうして途中で止めさせたのにも関わらず、最終的には正規の学食利用者およそ二百人が自身の犯行を教師たちへとした。


 その後も色々とゴタゴタしたようだが、最終的には鬼瓦氏含めた一部の人間が謹慎処分を受けるだけで済んだとかどうとか。


 学食の正規利用者に成績優秀者が多く、一部は指定校推薦まで決まっている者までいたのに対して、不正利用者は素行不良者が多く、そもそもとして教師側の指導不足が今回の件を招いたのではないかという生徒及びその保護者たちからの指摘があり、大事になるのを恐れた学校側があの手この手でどうにかしたらしい。


 ちなみに、前歯が折れた何人かは退らしいが、まぁ、うん、真相は闇の中である。


 以上、学食にまつわる有名な話でした。


 外園から初めて聞かされたときは「ドラマじゃねぇんだぞ……」となったのだが、わりと有名な話なようで、学食の利用者はだいたい知っている話のようだったし、なんなら語り草にされているそうな。


 その甲斐あってか、今現在の学食はかなり平和である。露骨に騒ぐ奴らもいないので、これが結構居心地がいい。食後に茶をしばきつつ歓談するぐらいであれば咎められることもないので、活気はありつつも喧騒にまでは至らないという絶妙な空間となっている。


 さてまぁ、そんな学食の隅っこにて日替わり定食をつつきながら四方山話を繰り広げるのが俺と外園の日常だった。


 なお、外園には現在進行形で男女交際をしている相手がいるのだが、その相手とお昼を過ごさなくていいのかと尋ねたところ「うん。お昼は今まで通りに過ごすよ」とのことだった。


 付き合い始めた男女は四六時中一緒にいたくなるものだと思っていたのだが、そうでもないようだ。……いや、もしかしたら真枝さん(外園の彼女)は一緒にいたいのかもしれないが、外園の日常に大幅な干渉をすることを避けるために断腸の思いで昼食は別にしているのかもしれない。色々と考えそうになるが、真実はわからないので気にしないことにした。


 なのでまぁ、いつも通りに俺は思いつきを外園に話す。


「トロッコ問題というものはさ、もう大喜利でしかないよな」

「いきなりどうしたのさ」


 思考実験の一つに『トロッコ問題』というものがある。道徳、或いは倫理、若しくは公共の授業においてジャブのごとく“とりあえず”で繰り出されるのが『トロッコ問題』だと言っていい。お通し感覚で出され、出された側も「あーはいはい、そういうものね」と当然のように受け入れる。そういうものだ。


「トロッコ問題は有名に結果、もうそこから汲み取るべきものは枯れ果てていて、残ったのは『お題』として形骸化したものだけなんじゃないかとな、そう思ったわけだ」

「そうかな?」

「そう思うんだがな。トロッコ問題の便利なところはその拡張性だろ? その拡張性にだけ目を付けて楽しんでいるんじゃないかと、そう考えるわけだ。色々な状況設定を行って、数値を打ち込んで、それによって弾き出される結果を見て、したり顔をするのが目的になりつつあるように思う」

「なんだか、その言い方だとまるで神さまにでもなったみたいだね」


 外園のその指摘は存外、腑に落ちた。


「まさしくそれだ。まるで神様の視点みたいな話になっているんだ。俺はそれが嫌なんだろうな」

「ハカタって無神論者なんだっけ?」

「いいや。見たことはないから未だに信じられないけれど、いないことの証明ができない以上『いるかもしれない』とは思っているよ」

「あはは、悪魔の証明じゃん」

「まさしくな」


 二人して軽く笑った。


「ハカタは神さまのフリをする人を見るのが嫌なの?」

「そりゃまぁ、神様のフリをする人間なんてろくでなしばっかりだからな」

「トロッコ問題の大喜利は神々の戯れ、そのモノマネってこと?」

「俺が言っているトロッコ問題の大喜利化問題についてはもっと浅ましいよ。トロッコ問題で捻くれた出題する奴と捻くれた回答をする奴は大抵が『なんか面白いことを言いたい』の精神でしかなくて、もうそこには『トロッコ問題』という思考実験に込められた意図が存在しないことを揶揄しているだけだ」

「捻くれてるねぇ」


 外園が一刀両断してきた。めげずに言葉を続ける。


「だいたいさ、俺はそもそも自分がという発想が気に食わないな。大半の人間は線路の上にだろ」

「あっはー。それこそ捻くれた回答じゃないか。いやさ、捻くれた出題でもあるのかな? 選ぶ側に立った時の思考について話そうと言うのだから、たらればの現実性を考慮しろというのは論外だよ」


 そうだろうか? と返すと、そうだろうよ。と打てば響くかのように外園は返事をし、言葉を続けた。


「それはアレだよハカタ、『もし宝くじで一等が当たったらどうする?』というもしもの話に対して、僕たち学生は宝くじを買えないし、買っても当たる確率が非常に低い以上は考えるだけ無意味だと言うようなものだよ。いいかいハカタ、それは無粋って言うのさ」

「無粋か」

「無粋だね」


 無粋と言われてしまえば、それ以上の言葉は出なかった。そして言葉の間を埋めるように、コップに入れておいた麦茶に口をつけ喉を鳴らす。学食に備え付けられている給水機では水と麦茶が無料で提供されており、俺はいつも麦茶を飲ませてもらっている。


「ちなみに、どうしてトロッコ問題について言及しようと思ったの?」


 外園も俺と同じように麦茶を飲みつつ、そんなことを聞いてきた。


「いやなに、以前お前さんに教えてもらった学食で起きた傷害事件のことをふと思い出してな」

「うん。うん? ……ああ、『鬼瓦事変』のことか!」


 外園はほんの一瞬ばかり「なんのことやら」という表情を浮かべたが、すぐに思い至ったようである。


 というか、事変て。


「そんな大層な呼ばれ方をしているのか……」

「語感重視なんだろうね。凄かった、ということさえ伝わればいいという気持ちが伝わってくるよ」


 それで、どうして『鬼瓦事変』がトロッコ問題に繋がるんだい? と、外園は首を捻る。


「その『鬼瓦事変』だって一種のトロッコ問題だろ」

「そうなの?」

「そうだろうさ。もし、かの鬼瓦氏一人による不祥事として処理されることになっていた場合、鬼瓦氏は退学処分になっていて、学食の不正利用者だった十数人の男女は純然たる被害者として扱われていただろうな」


 俺の『不正利用者』という表現がツボに入ったのか、外園はその部分を小さく復唱してくすりと笑った。


 鬼瓦弦蔵という青年がどれほど優れた人材であったとしても、暴行に及んだ一人という事実は霞まない。そして表面上の被害者は十数人いるため、そいつら一人一人の悪行は霞んでしまう。学校側はどちらが悪かったのかとか、そういった話の掘り下げをせずに少数を切り捨てることを選んでいただろう。


「一人を切り捨てて、複数人を救うわけだ。確かにトロッコ問題と言えるかもね。発想としては功利主義的だね。最大多数の最大幸福だ」

「そうだな。まぁ、見事にその悪いところが出そうになっていたわけだけれど、学食の正規利用者たちは逆にそれを応用した。鬼瓦氏の立場を最小側から最大側に変えたわけだ」


 そう言うと、外園は手をぽんと叩いた。


「なるほど」


 言わんとしたことは伝わったようである。


 トロッコ問題におけるオーソドックスな回答は『人数の多い方を助ける』というものだ。並べられている人間たちの背景を考慮しない場合、実に過半数の人間がそうすることを選ぶ。ここにいくつかの背景を付け足したとしても、それでも、より多くを救うべきだと多数を助けることを選ぶ人間がいる。


「多数側を助けようとする風潮がある中で、少数側を助けたい。であれば、少数側を最大多数側にすればいいというのは、単純だけど強力な一手だよな」

「おもしろい話だねー」

「それに、実を言うとこの話は最終的にトロッコ問題の骨子となる原理原則を逸脱する話でもあるのが面白いんだよ」

「む? どゆこと?」

「付与される条件や背景情報が増えれば増えるほどに、選ぶ側に『責任』が伴うようになっているんだよ」


 トロッコ問題の基本構造として、レールの切り替えを行った者に一切の責任が問われないというのが大原則なのだが、『鬼瓦事変』については沙汰を下す側の学校側にまで責任追及が及んでいる。むしろ、学校側こそが一番頭を抱えただろう。


 目に見えた被害者である素行不良者たちを守ろうとすれば、鬼瓦を筆頭とした成績優秀者たちを含めた二百人を超える生徒に処分を下さなければならない。学校とて体裁として非営利団体という枠組みにはあるがその実態は営利団体だ。おまんまの食い上げなど論外である。二百人規模の生徒が謹慎、あるいは停学、はたまた退学処分となれば外聞が死ぬほど悪くなるし、保護者からの突き上げも目に見えている。


 学食の一時閉鎖も含め、学校側が無責任に放置していたのが原因なのではないかと、そういった話にもなったのだろうことは想像に難くない。


 とまぁ、そんなアレソレも外園に説明した上で、俺は総括した。


「学校側が本当に色々と頑張って落としどころを作ったんだと思うと、うん。本当に愉快だ。あっはっは。麦茶が美味いぜ」

「そっかそっか。ハカタの機嫌がすこぶる良いのは良いことだね」



 □□■■■■□□



 そうやって気分よく食後の茶を楽しんでいたら、外園が思い出したかのように言った。


「そういえば、以前に話した砂金さんって人なんだけれどね。ハカタのことを紹介して欲しいって言われたんだ。どうする?」


 眉間にこれでもかと皺が寄るのを自覚できた。

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