第5話 『砂金八恵との雑談』

 ――美化委員の仕事はそう多くない。


 主な仕事は二つ。生徒たちへ向けて行われる校内美化活動の呼び掛けと、掃除用具全般の点検と補充だ。一応の補足だけれど、多くないとは言っても、だからといってその仕事が容易かどうかは別だったりする。


 針高(針ヶ谷高校の略称)は総生徒数が九百人を超すマンモス校であり、たくさんいる生徒を収納するためにも、生徒数それに比例するように校舎は大きい。グラウンドなども込みで敷地面積を調べてみたら想像もつかない数字になっていた。


 通常の授業などで使うHR棟を始めとして、音楽室や美術室他色々な特別教室のある特別教室棟。職員室や校長室、宿直室のある教員棟。部室棟に体育館に格技場と様々な建物があり、そのどれもが大きい。


 少しばかり話が逸れてしまうけれど、針高において、校舎の簡単な掃除は生徒たちの仕事だ。


 毎日十分ほどしか行われないし、時間を掛ける必要のある本格的な清掃ともなると業者に発注することになるけれど、埃を積もらせない、小さな汚れを拭き取る、その程度であれば生徒たちでもできるし、その程度でも毎日行うことによってそれなりに清潔さを維持できる。塵も積もれば山となるというか、塵を積もらせなければ山にはならない、ということなのだろうと思う。


『これってさ、要は生徒を労働力として変換しているだけだよな。勉学に励むべし、みたいなことを言うくせに、清掃費用を浮かせられるからと都合よく利用しているわけだろ? たったの10分だからいいじゃないかと言うけれど、1000人近くの学生がいて、1年の出席日数は凡そ200日、そのうち約10分を登校日には毎日消費しているとなると、1年で一人頭30時間超を清掃活動に捧げていることになる。それが1000人分となると、3万時間だ。日数で言えば1250日分で、年数だと3年超となるわけだ。掃除が不要だとは言わないけれど、それだけの労力をロハで使っていると考えると学校という機関に対しての印象は大変悪くなるというものだ』


 いつだったか、終礼後の掃除中にハカタがこんなことをうだうだと言っていた。いつものシニカルな物言いに僕は笑い、それは詭弁だね、と返した。


『どこが詭弁なんだ?』 


 1000人分の30時間をまとめたところで、それは1000人分の30時間でしかないよ。3万時間にはどうしたって換算できない。僕はそう答えた。


 まとめようのない筈のものをまとめているし、変換しようのないものを変換している。それは詐欺師が使う手口で、ウォーズマン理論みたいなものだよ、とも言った。


『いや、ウォーズマンは別に詐欺師ではないだろ……』


 それは少しばかりムキになっているかのような口調だった。


 その後、ハカタは「ウォーズマンは違うし……」と悲しそうに呟きながらもしっかりと清掃活動に勤しんでいた。僕が見ている範囲で言えば、一番に、真摯に、念入りに掃除に取り組んでいたのはハカタである。なんだかんだと言いながらも、割り振られた役割はしっかりとこなすのがハカタという人物だ。


 一応の補足として付け加えておくと、学校という場所の意義は『教育』にある。


 勉学に励むよう生徒たちに促すのはその一面に過ぎないし、清掃活動もまたその一環でしかない。学校という教育機関は子供たちを調整し、社会に適応した状態で送り出すことがその根底にあり、振られた役割や課された義務の遂行をさせることによって自主性やら主体性やら義務感を育ませることが目的で、その一つとして清掃活動が行われているに過ぎないわけである。


 極論として、が出来るのであれば別に掃除をさせる必要もなかったりするのだ。学校が生徒たちに施すべき『教育』というものを五教科七科目(或いは六教科八科目)の学習にのみ絞るのであれば、学校という教育機関はもっと違う形態になるはずで、それはどちらかというと塾や予備校の在り方だろう。


 だから、うん、ハカタの言うそれは論点をずらしたものでしかないのである。ハカタにそう言ってみれば、ハカタは鼻息をふんすと出した後に「ま、そうだな」とだけ言って、あとは黙っていた。


 ――黙ってはいたけれど、その表情は機嫌が良さそうなものだった。


 閑話休題それはさておき


 そんなわけで、美化委員の主な仕事である掃除用具の点検と補充は、広大な校舎の各地に存在する掃除用具入れをくまなく確認しなければいけないし、四桁近くまでいる生徒数に見合った量のある掃除用具が実用的な状態かどうかを確認しなければならない。だから、単純ではあるが容易ではない、ということになる。


 つまるところ、人によってはこの作業はそれなりに面倒で、できることなら手短に済ませたいものだということだった。


「はぁ~。めんどうだなー」


 長々と前置きをしたこともあって、僕――外園ほかぞのゆうが現在進行形で美化委員の業務に従事していることは自明だろう。そして、こういった作業は大体二人組で行われるものであり、例に漏れず僕の隣にも同様の業務を課せられた美化委員がいる。今しがた気怠そうに声を発した人物だ。


 思わず漏れ出たというよりも、明らかに何らかのリアクションを求めているであろう指向性のある言葉だったので、とりあえず反応はしておく。


「砂金さんはとっても面倒そうだね」


 砂金いさご八恵やえ


 染めているであろう明るめの茶髪。生徒指導に呼び出されないギリギリのライン一歩手前を見極めているナチュラルメイク。これまた生徒指導からは口頭注意で済む程度に改造なり着崩しなりをした制服。背丈は僕と同じか少し上ぐらいなので、平均的な女子の身長よりは高い方なのだろう。目鼻立ちは整っているので澄ました表情をすれば美人と言われそうな相貌だけれど、本人的には可愛さに寄せようとしているのか相好を崩していることが多い。総じて、全体的に派手な印象を与える女子。


 ハカタが見れば「うわ、ギャルだ」とでも形容しそうな見た目。人によっては『陽キャ』と呼称しそうな存在。それが砂金八恵という少女だった。


 そんな砂金さんは見目に気を遣っているだけあってか、行動を共にする人やグループもまた同じようなタイプが多い。スクールカーストに当てはめれば上位に分類されること請け合いだろう。 


 ――まあ、針高はそこまでカースト制度が表立ってくるような環境ではないので気にすることでもなかったりはする。僕が観測する範囲でそういったわかりやすい『教育問題』を表出させている人たちは今のところいない。価値観のズレや環境に違いのある人間を一つの箱庭に詰め込んでいる以上、問題は起きる。起きない方がおかしいし、起こすなという方が無茶だ。とはいえ、そういったものも含めて『学習』の場であるのが学校という話でもある。


 閑話休題。


 さて、そんな砂金さんも今は倦怠的な雰囲気をこれでもかとまき散らしている。よっぽど美化委員の仕事が面倒なのだろう。その推測を肯定するかのように、こちらの雑な合いの手に砂金さんは乗っかってきた。


「そう! めんどう! めっちゃめんどう!」

「そんなに」

「だいたいさー、この点検ってこんなに高頻度でする必要あるかなー?」

「毎週月曜にやっているわけだけれど、むしろ少ないぐらいじゃないかな?」


 毎週月曜日の放課後に、当番となった美化委員三組がそれぞれ分担して各地の掃除用具入れを確認して回ることになっている。


「えぇー、どこが?」

「掃除が毎日行われている以上、その道具の確認もまた毎日行われて然るべきでしょ」

「そうかなぁ? いくら消耗品つったって、そんな一日二日で損耗することはないし、一週間でダメになることもないでしょ」

「消耗度合は一律にならないし、不慮の事故があれば新品でも一日で使い物にならなくなるよ」

「ふむ……。それなら、事故で駄目にしたやつが申告すればいいじゃん」

「そういうのを面倒くさがって放置する人がいるかもしれないからね。それで困るのは次に使う人だよ。そして僕たちの仕事はそれで困る人が出ないようにすること」

「そいつらのせいで私がこうしてメンドーなことをさせられていると思うと、イラっとするわね」

「不備に対応して正常に回るようにするのが美化委員ぼくたちの仕事だし、もしそういう手合がいない前提であれば別の仕事が割り振られているだけだろうから、そういった不満は浮かべるだけ栓無いことだとは思うよ」

「そうかなー?」

「そうだぞー」



 □□■■■■□□



 僕と砂金さんはその後も黙々と――いや、全然黙ってはいないな。うん。訂正しよう。雑談を交えながらも用具点検作業を行い、今ではすでに折り返し地点を越え、残すところもあとわずかになった。


「こういうのってさ、もっとテキトーでいいと思うんだよね」


 砂金さんは掃除用具の数に増減がないか指差し確認を行い、リストにその確認結果を書き込みながらそんなことを言った。


「そうかな。十分に適当だと思うけれど」


 僕は掃除用具の消耗度合を確認し、それをリストに記入しながら答える。


「いやいやいや、しっかりやってるじゃん。もっとテキトーでいい気がするね。そうしても誰も困らないっしょ」

「そりゃ適当にやって困る人なんてそうそういないんじゃないかな」

「でしょー?」

「でもまぁ、やっぱり僕は今ぐらいでちょうどいいと思うよ」


 所詮は委員会活動でしかない。これ以上にキッチリカッチリやろうとしても負担になるだけだし、今のやり方で十分だろう。むしろ、これ以上に頑張ろうとする方が適当ではないと言えてしまう。


「えー? マジで? 外園くんって結構マジメだね」

「真面目に生きようとはしているつもりだけれど、適当にやるのは普通のことだし、普通のことをやって真面目って言われるのも違和感があるなー」

「…………ん?」

「…………うん?」


 会話が噛み合っていない気がしたが、どうやら砂金さんも同様のようだった。


「外園くんさ、辞書的な意味で『テキトー』って言葉を使っている?」

「うん。僕は基本的に辞書的それ以外での使い方をしないようにはしているけれど、そう言う砂金さんは誤用的な意味で使ってらっしゃる?」


 いい加減とか、おざなりとか、そういう意味としての『適当』という使い方。


「そうね。私はニュアンス的には『必要最低限』とかそういう意味も込めて使っているわね。そりゃおかしいわけだ」

「おかしいわけだね」

「言い訳すればさ、むしろ外園くんのほうが異端だと思うよ? みんながみんな誤用的な意味で『テキトー』って言葉を使うんだから、そっちに認識を合わせるべきじゃないかな? 言葉って時代によって意味を変遷させていくものでしょ? そういう意味として定着した以上、そういう意味として使っていくのが『適当』なんじゃない?」

「む」


 一理はある。そう思った。だから「そうだね」と頷いた。

 頷いた上で、僕は僕の立ち位置を動かさい。


「でも、僕はやっぱり辞書的な意味での『適当』として、その言葉を使っていくかなぁ」

「それだと、今みたいに話が噛み合わなくて面倒なことにならない?」

「それなら、今みたいに話をして認識を擦り合わせればいいだけだよ。僕はこれで結構話好きだからね」



 □□■■■■□□



 美化委員の業務はつつがなく終わった。砂金さんは口ではあーだこーだと言うけれど、手際よく進めていくし、手抜きらしい手抜きもしなかった。


 砂金さんと共に職員室に向かい、美化委員会の顧問である恩田先生の机に到着。恩田先生は不在だったが、あの先生は将棋部の顧問でもあるので、部室棟にある将棋部の部屋にでもいるのだろう。顧問が不在でも問題はなく、本日確認して回った場所にある掃除用具の状況を記入したリストを机上に置けばこれにて本当に業務完了である。


 僕たちが置いたのとは別にリスト――部室棟のものが置かれていた。どうやら先んじて終わらせていたペアがあるようだ。……競争していたわけでもないので、特にそれ以上のコメントはない。


「よし、砂金さんお疲れさま」

「うん、外園くんもお疲れさま」


 お互いに労いの言葉を交わし、さてこれで解散!


「ねぇ外園くん」


 と、そう思い砂金さんと別れようとしたのだけれど、そんな僕を砂金さんが呼び止めた。


「なに?」


 こんなタイミングで呼び止めるだなんてどうしたのだろうかと、些か疑問に思いつつも僕は素直に止まる。


「外園くんてさ、八方くんと仲が良いんだよね?」

「…………そうだね」


 僕は心の中で身構えた。ハカタとの仲など周知の事実だからだ。そんなことを今さらながらに確認する必要がどこにある? ——とはいえ、会話のきっかけとして、取っ掛かりとして、フックとして、あえて事実の再確認を行うことでスムーズな導入を行うこともある。だから、おかしいかと言えば、ギリギリおかしくはない。今日はそんな必要もないくらいに僕と砂子さんは会話を重ねているけれど、それでもまぁよしと出来る。


 ただ、その内容がハカタに関わるものだというその一点が僕を身構えさせる。


 高校に上がってからのハカタはかなり消極的で、人によってそんな彼をあまり好ましく思わない人もいる。どういう人種が彼を好かないかといえば、他者配慮が出来ない上で積極的なタイプの人だ。そういう類の人にとって、ハカタのような在り方は目につく。——目につくというよりも、癇に障る。


 今のところ、砂金さんがそういう人種とは感じていないが、人の状態などそう簡単に断定出来ない。それに、人間というのは他者の影響を受ける。彼女の交友関係に積極性の高い人間が多い場合、その中にはハカタを好まないような人種もある程度いるだろう。普段の何気ない会話の中で、他者への悪口を吐いてそれをネタにすることがあり、その槍玉にハカタが上がっていることもあり得る。——ハカタは目立とうとはしないけれど、目立たないようにすることもしないせいで、時折やたらと目立ってしまう時があるのだ。そういう時、本人はどこ吹く風といった調子なのだが、僕はそれなりに心配になる。


 出る杭は目立つから打たれる。彼が“出ないこと”にすら無頓着な以上、その在り方そのものを“気に食わない”と思う人がいるのはむべなるかな。そんなわけでハカタは陰口の標的にされていてもおかしくなくて、陰口によって悪印象を植え付けられていれば、特に関わりのないであろう砂金さんからなんらかの指摘があってもおかしくない。


 だから身構えた。

 けれど、僕の予想は大いに外れた。


 砂金さんは両手を合わせ、僕に拝むように言った。


「八方くんのことをさ、私に紹介してくれない?」






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