第4話 「真枝沙耶との雑談2」

「文句じゃないよ」


 真枝はそう前置きをした。


「高校から面識を持った私と、昔からの友達である八方くんとでは慣れも親しみも雲泥の差があることは理解しているのだけれど、さりとて私は勇気を振り絞って告白し、その甲斐あってか返事を貰えた立場なわけです。彼氏彼女の間柄というのはそれなりに特別だとは思うのだけれど、そういう私の立ち位置からしてもね、八方くんのほうが友くんの中では順位が高いように見受けられるので、私はどうすればいいのかと悩んでいる次第なのですよ」


 その口調には怒気も覇気もなく、それこそ前置き通りに文句ではなく本気で悩んでいるような雰囲気だった。身構えてはいたが、非難の意はないようだった。


 ――とはいえ、それでもこちらから言えることは一つだけだった。


「本人に言ってください……」


 いや、本当に俺からはそれしか言えないのだが、真枝はとても不服そうだった。


「いきなりこんなこと言ったら、引かれたりしない?」


 随分といじらしい理由であった。まぁ、確かに付き合って数週間も経過していないうちに交際相手の交友関係に口出しをするのは明らかに面倒な人間と思われても仕方がないだろう。


 真枝も外園もこれが初めての交際だそうで、お互い手探り状態なのだろう。とはいえ、男女交際にまつわる話というものは世の中に溢れ返っており、倣うべき先人たちの記録や証言はごまんとある。そして、その手の話は大抵の場合、失敗談のほうが語り継がれやすく印象に残りやすい。やれ付き合ってみたらなんか違っただの、束縛がきついだの、相性が微妙だっただのと枚挙にいとまがない。おそらく、真枝はそういうことにも不安を感じているのだろう。


「言い方次第だとは思う」

「言い方」

「うむ。言い方。お願いとか強制ではなくて、相手に自分がどう思っているかを丁寧に伝え、相手がどうしたいのかを確認して擦り合わせるのが一番だろうな。どこまで行っても重要なのは相互理解――或いは相互不理解の洗い出しだ。境界線ボーダーを超えたら崩壊するのは当然な以上、踏み越えてはいけない線を互いに伝え合うべきだ。恋人という立場だからって、相手に何かを押し付けることが許されると勘違いした人が破綻している印象があるし。その点、外園はあれで人間関係には真面目だ。遊びで付き合うことはないだろうから、真枝さんがしっかりと落ち着いて話を切り出せばちゃんと聞いて、その上で考え、話し合ってくれるとは思うぞ」

「くわしくお願いします」


 背筋を綺麗に伸ばした真枝が真剣な声音で圧をかけてくる。


「……一応聞くけれど、これって相談という認識で問題ないんだよな?」

「うん。これは相談以外のなにものでもないと思う。逆にこれが相談ではなかった場合、なにになるのか知りたい」

「……さいですか」


 巷では「話を聞いて欲しい」というのは読んで字の如く話を聞いて欲しいだけであり、それに対して意見を求めているわけではなく、頷きと慰めの言葉だけを求めているので変に自分なりの意見を述べるとひどく不機嫌になるような存在がいると耳にする。なので、一応の確認だった。


 俺は一緒に図書当番をしているときの真枝しか知らない。


 少なくとも、その時間を通して把握した真枝沙耶という人物の人となりはそのような存在ではなかったので、この心配が杞憂に終わる可能性が高いと踏んではいたが、それでも他人のことを理解した気になってそういった確認を怠れば、後になって致命的な齟齬が発生して取り返しのつかない事態に陥ったりするのである。


「まず、真枝さんがあいつとどうなっていきたいのかを整理すべきだと思う。差し障りのない範囲でいいのだけれど、その辺の展望ってどうなっているんだ?」

「ど、どうって……。てん、ぼう?」


 恥じらいと照れによってか、真枝さんの知能指数が一瞬だけ低下した。


「交際ってのはそこからがスタートの認識だ。もし、そういう関係にさえなれれば満足というのであれば、その差異から詰めていく必要があるけれど」

「うん。それについては同じ認識よ。付き合って満足、なんかじゃない」

「じゃあ、そこの擦り合わせは問題ないな。まぁ、問題ないとは思っていたよ。外園とはすでに何回かデートをしているんだろ?」

「デっ……。そ、そうね。デートは何回かしています」


 なんで知っている、という目で見られる。


「……あー、あいつはほとんどの土曜日を俺の家で過ごしているんだ。近所なこともあるし、昔馴染みだから気兼ねする必要もないし、それが普通になっているところがある」

「…………」


 真枝から「ずもももも……」という暗い雰囲気が滲み出る。その目が「やはり、こいつが真の宿敵なのでは?」と訴えている。どうして俺が……。


「近頃のあいつはそんな土曜日の次の日を楽しみにしているんだよ。動物園に行くんだとか、遊園地に行くんだとか、映画を観に行くんだとか、そりゃもう嬉しそうに報告してくる。本当に楽しみなんだろうな」


 家庭環境の都合もあってか、外園はそういった施設に行く機会があまりない。だからこそ、そういう場所に行くという選択肢そのものが浮上しないタイプだ。それにも拘わらず、こうも毎週様々な興行場等に行くのは真枝さんが発案しているからだろう。……毎週ってすごいな。バイタリティに溢れている。


 こちらの言葉を受けて、真枝さんはおずおずと言う。


「楽しんでくれているとは、思う……」

「もっと胸を張って言っていいと思うよ。実際あいつは楽しそうだ」


 ……思うんだが、女性に対して「胸を張れ」はちょっとしたセクハラに該当するのではなかろうか? うーむ、思春期は全ての思考がエロに通ずるので、これが大丈夫なのかどうか不明だ。


 などと思考を明後日の方向に飛ばしていると、真枝さんがぽつりと言った。


「私は友くんの笑顔がすごく好きなの。なんて言えばいいのかな、とても無邪気なように見えるのに、どこか達観しているかのようにも見えるあの優しい笑い方が好き」


 他人の惚気というものをこうも真正面から聞かされたのは久しぶりだ。ただまぁ、不思議と悪い気はしない。とはいえ、これに同調を示すのも何かが違うので、頷くに留める。


「……さいですか」


 そんな俺の言葉をどう受け取ったのかはわからんが、真枝さんはハッとしたあとに顔を真っ赤にした。そうして口元をあうあうあわあわと震わせる。どうやら人に聞かせるようなものではなかったらしい。思わず吐露してしまったのだろうか。


「あー、安心して欲しい。別に誰かに言い散らしたりもしないし、俺自身もそのことでネタにしたりはしないよ。そういうのは趣味じゃないし」

「そ、そっか」

「というか、見ての通り俺は友達が外園以外皆無なので言い散らす相手すらもいない。なのでまぁ、とっても安心」

「そ、そっか……」


 冗句なので笑って欲しかったのだが、真枝は苦笑いすらしてくれなかった。真枝のひとの良さが裏目に出ている。

 

「まぁ、そういうことなら当面は外園が楽しそうにしているのをもっと見ていたい。でいいのかね」

「そうだね」

「あぁ、隣で、というのも大事な要素か」

「……八方くんはそういうのを結構臆面もなく言えるのね」


 なんだかすごいものを見る目で見られる。


「慣れの問題だと思う」

「慣れるほどまでに経験があるということ?」

「……いや、惚れた腫れたの経験はないよ。ただ、そういうのを見たり聞いたりすることは多かっただけだ」

「へぇ~」


 少しばかり、真枝がこちらに興味関心を抱いたかのような視線を向けてくる。好奇の視線は好きではないので、俺はそれを受け止めずに視線を逸らして流す。逸らして、本心でもないのに誤魔化すように言ってしまう。


「そんな野郎に相談している現状に疑問でも抱いたか?」

「ううん。そんなことないよ。私がしているのは友くんについての相談だもの。それに関してはやっぱり八方くんに聞いて正解だったと思っているよ」


 そこで一度区切ってから「けどね」と真枝は言葉を続けた。


「これが恋愛相談だとしても、八方くんに話を聞いてもらってよかったとは思うかな。茶化さないし、真剣に考えてくれるし。友くんの言う通りだね」

「あいつは一体何を真枝さんに吹き込んだんだ?」

「ハカタはあれで思慮深い。って嬉しそうに言っていたよ」

「あれで、とはなんだあれでとは。失礼だなあいつ」


 俺が嘆息すると、真枝は苦笑した。そしてその笑みがすっと消える。


「私が妬いているのはそういう部分でもあるけれどね……」


 どうして俺がこんな目で見られなきゃいけないのだろうか。



 □□■■■■□□



 結局のところ、真枝の望みは「もっと仲良くなりたい」というものでしかない。


 それはそれはたいへん結構。どうぞご勝手に。親密になることを止める気などこちらには毛頭ないし、それを阻止しようとする人間だっていやしないだろう。そのこと自体には何も問題はない。大いに結構。


 ――ただ、よくないのはそれを比較したことだ。


 人間という種の根底にあるのは『比較』だ。それは『競争』と言い換えてもいい。


 人類をここまで生存させた悪癖であり、人を人たらしめる特徴。人を突き動かす衝動の源であり、その歩みを進ませるための原動力。それがあるからこそ人は明確な意思を抱いて明日を目指せるのだろう。


 だから、比較それそのものは決して悪いものではないのだ。


 とはいえ、そう言えるのはその対象となっていない場合のみだ。こちとら日々を緩く過ごしたいと考えてやまない男の子である。正直勘弁して欲しいというのが本音だ。


 なので、言葉を弄することにした。


「まず前提として、俺と外園が昔馴染みなのは覆しようがないわけだ」

「そうね。未来からやってきた猫型ロボットの力を借りて過去の八方くんを亡き者にでもしない限りは覆しようがないわね」

「助けてタイムパトロール」

「冗談だってば」

「……とりあえず、俺と外園は家族ぐるみで付き合いもあるわけだ。気分的には兄弟に近い」


 気分的にはこっちが年長者なのだが、実際は外園の方が生まれが早かったりする。とはいえ、たかが数ヶ月の差でしかないのでやはり気持ちの問題だろう。


「つまり、桃園の誓いまで済ませた仲、と……?」

「重い。重いよ。とびきり重いよそれ。そこまで重くはないから……。単純に、家族みたいな距離感で長い事一緒にいたってだけだ。そういった時間的な積み重ねを鑑みれば、外園あいつの中で俺に対する比重が高めなのも仕方がないと言えるだろ。真枝さんはあいつの父親や母親に対抗したいわけじゃないだろう? 俺を引き合いに出すのはそれと同じようなもので、早い話が取り越し苦労だよ」

「なるほど? ……んー、でも、やっぱり八方くんは実際には兄弟ではないわけで、そう考えると違うような気もするの」


 詭弁が一瞬で崩壊しそうになる。手強い相手だ。俺の弁舌が弱いだけな気もするが、こういう時は相手を褒めておく方が良いので持ち上げておく。


 それはそれとして、崩壊しかけた詭弁を補強することを試みる。

 

「まぁ、その間柄を示す言葉なんてなんだっていいんだよ。所詮は言葉だからさ。大事なのは互いの一方的な認識だ」


 それらが噛み合って初めて人間は相互理解の幻想を夢見れる。


「ふぅん……。ちなみに、八方くんは友くんをどう認識しているの?」

「……腐れ縁?」

「なんで疑問系なのかな」

「その、なんだ。あんまり考えたことがなかったから」

「うわー。いいなーソレ。そういうの、なんか憧れる」

「そういうのって、どういうのだよ」

「つまりさ、考えることがなくなるぐらいには当たり前になっているってことでしょ? そういうのって、人間関係においては一歩踏み込んだ場所にあるものだと思うんだよね。友くんが八方くんを『一番の親友』って言う理由がわかるよね」


 あいつ、そんなことを言っていたのか。


「……まぁ、そうかもな。でもさ、とどのつまり俺と外園の関係は外園の言うところの『一番の親友』に過ぎないんだ。真枝さんが目指したい関係性とは別物だよ。だから、気にする必要はないんだよ」

「ふむ?」

「誰よりも自分を見て欲しいってのは、わりと普遍的な発想だ。それは『誰かにとっての特別になりたい』という思想でもある。真枝さんが揺らいでいるのは、まだ外園にとっての特別さが自身にはあまり存在しないように感じるからだろう。だから友達程度の俺を恨みがましく見てしまう。真枝さんがすべきは外園との逢瀬を重ねて、自分自身が外園にとっての特別の一つだと思えるようになることだ」


 一つの特別になれたとき、人は他の特別を許容できるようになる。自身を定義する確固たる柱が存在するのだから、他を羨む必要がなくなる。そういうものなのだ。


 色々と話がずれたけれど、俺が言いたいことは言えた。真枝と外園の交際において俺という存在は無関係で、考慮するだけ意味がない。それなのにこうしてこっちに視線を向けてしまっているのは現状に不満があるからだ。不満と書くと語弊があるかもしれないので、もう少し言葉を選べば『目指すところがあるから』なのだろう。その気持ち自体は大事なもので、否定する理屈はない。ただちょっと形が不安定になっているだけしかない。俺に出来ることはそれを整えてやることぐらいだろう。


「いやー。とはいえ、友くんのはそういった関係性の閾値を若干超えているような気もするんだよね」

「そすか……」


 手強い。本当に真枝さんは手強かった。もはやここまで来ると真枝はだいぶ俺に対して懐疑的なところがあると考えていい。外園の野郎が真枝との話題で俺のことを出しまくった可能性がある。どんな話題を振っても二言目には「ハカタが~」という言葉が飛び出してくるようでは疑ってしまうのも仕方がない。だからこうして俺に対して牽制を差し込んでいるのだろう。


 ただまぁ、俺なりに言葉を尽くしたのが功を奏したのか、真枝さんは一定の納得をしたようでもあった。


「八方くんありがとね。色々と話を聞いてもらっちゃってさ」

「真枝さんは外園の彼女さんだし、同じ図書委員のよしみでもあるので、お気になさらず」

「いやいや、これだけ話を聞いてもらっておいて何もしないというのも据わりが悪いからね。八方くんに悩みがあれば今度は私が聞かせてもらうよ?」

「悩みのない人生を送っておりますので、お気になさらず」


 目下一番の悩みはあなたですよ。とはいえまぁ、一番と言ったところでその悩みもたかがしれてはいる。


「それはそれですごいな……。人間関係で悩んだりしないの? 交友関係とか恋愛関係とか?」

「交友関係は外園以外皆無なので、悩みようがない。……恋愛も今のところは特に」


 恋愛感情に発展する前に潰れたばっかりですからね……。

 

 若干言葉を詰まらせたのがよくなかったのか、真枝がちょっとばかし真剣な表情になる。


「…………一応聞くけれど、八方くんて恋愛に興味がない? それとも、こう、あまり大っぴらに言えない性的指向だったりする?」


 わぁすごい誤解。


「恋愛に興味はあるし、俺は女の子が好きですよ」


 興味がないのではなく、関わりがないだけだ。


「そうなんだ!」


 真枝の安堵を含んだ嬉しそうな反応を見せられる。傷にはなっていなくとも、ちょっとした痣程度には痛むところを丁寧に小突かれている。これちょっとした罰ゲームでは?


「それなら、私の友達でいい子を紹介でもする? 私はそんなに友達いないけれど、自信を持って勧められるのならいるよ?」


 俺と外園の関係から幻視してしまう不安を解消するためには、俺が恋人を作るのが一番手っ取り早いということだろう。いや、それは捻くれた考えか。そういった意図があったとしても真枝は無意識であり、本当に親切心で言っている可能性も全然ある以上、これを断るのは変だった。


「……機会があればお願いします」


 俺は日常に変化を求めない。それでも望むと望まざるとに拘わらず日常は変化する。俺自身が何もしなくとも、周りは常に動いているし、関わりがある以上はその余波を受けるからだ。


 だからまぁ、俺の心情はこの一言に限る。


 め、面倒くせぇ……。



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