第2話 「真枝沙耶との雑談」

「合法的に女子と相撲を取りたい」


 朝のショートホームルーム後、一時限目の授業が始まる前の教室。そんな教室の後方に数名の男子が集っている。


 一人が意を決して漏らしたそんな願望を他の野郎どもはしっかりと聴いた。


 その上で微笑み、しかと頷いた。


「わかる」


 綺麗にハモる。


 ――率直に言うと、彼らはバカだった。


 男という生き物は古来よりバカである。生まれたばかりであればアホなだけの男の子で済むのだが、成長してなおバカなのだから始末が悪い。


「見ろよ外園、アレが平均的な男子高校生の生態だ。眩し過ぎて見てらんないよな」


 そんな男子バカどもの集いから一番近いところに俺の席はある。教室最後方中央列、それが俺の席だ。外園は時間があれば俺の席にまでやってきて時間を潰すのだが、その際の外園は俺の机にべったりと寄り掛かる姿勢を取る。天板の上に顎を乗せるので、こうなると自然とこちらを見上げる形になる。


 潤んだつぶらな瞳。それがこちらを上目遣いで真っ直ぐに射抜く。瞳には俺の辛気臭ぇ顔が映る。自分のツラなんて見ていて楽しいものではないので、焦点をズラして外園の輪郭に合わせる。


 この姿を見ると、どこか大型犬を彷彿とさせる。俺がペットを飼わない理由は命を預かれるだけの責任感を持ち合わせていないことがその大半を占めているけれど、残りの理由は犬みたいなやつが常日頃からそばにいるからだろう。


「楽しそうでいいことじゃないか。ハカタも混ざれば?」


 外園の提案を鼻で笑う。


「あれに? 冗談でも笑えんな」


 悪魔だってもっとマシな唆し方をするだろう。


「おいそこ! 聞こえてるからな!」

「笑えないレベルってのは聞き捨てならんぞ!」

「こちらはいつでもウェルカムだ!」


 耳は正常に機能しているらしく、三馬鹿男子が抗議の声をこちらに向けてくる。


「談義に迎え入れる気があるならせめて体裁を整えような。今のお前らに人権とかないからな?」


 両手を広げて優しく抱き留めるポーズを取ったバカCに文句をつける。


 事実として、近くにいた女子たちが馬鹿どもを汚物でも見る目で睨め付けている。あんなところに合流したら針のむしろだろう。


 クラスの女子から良い目で見られたいなどとは思っていないが、わざわざ侮蔑されたいわけでもない。


「な、なぜだ! なぜそのような目で俺たちを見るんだ!」

「やめろ! そんな目で俺たちを見るな!」

「俺たちは国技を通じて女の子と心の交流を図りたいだけだ!」


 そんな馬鹿どもの弁明を女子が切って捨てる。


「お前らがしたいのは交尾だろ。国技に謝れ」


 手厳しい。俺は黒板の上に視線をちらりと向け、現在の時刻を確認する。


「ほれ。そろそろ授業が始まるから自分の席に戻れ」


 しっしっと、外園を手で追い払った。



 □□■■■■□□



 俺や外園の通う針ヶ谷はりがや高校の図書室は特別教室棟一階の最奥——もとい最西端に配置されている。放課後の帰りがけに寄るのであれば、余分な階段の昇降をせずに済む配置なのでポイントが高い。これでもし図書室が四階にあったのなら、俺は向かうたびに嘆息していただろう。


 放課後の図書室は静かだ。平時は利用者が少なく、その利用者も大半はマナーを心得ているので、騒がしくなるようなことはほとんどない。


 だとしても、それでもこの利用者の少なさは些か問題があるのではないかと考えてしまう。


 針ヶ谷高校は一応これでも進学校を名乗っているというのに、放課後の図書室で自主学習に勤しむ生徒の出現率が極低確率なのはどうなのかと、そんなことを隣に座る真枝沙耶に言ってみる。


 真枝まえだ沙耶さや。同学年の女子。俺や外園とは別クラスの図書委員である。真枝は手入れの行き届いた黒髪を腰まで伸ばしており、高校生にしてはやや大人びた容姿もあってか全体的に趣深い印象を受ける少女だ。


 そんな真枝は不思議そうな表情をした後に、何かに思い至ったのか納得したかのように言った。


八方やかたくん、あなたは校舎の全容を把握していないでしょ」

「……エスパーか?」

「この場合は推論なので、探偵と言って欲しいかな」

「そうか。じゃあ探偵さん、どうしてそのような結論に至ったのか説明をしていただこうか」


 ここで少しばかり話は逸れる。


 当番となった図書委員の主な仕事は本の貸し出し、返却本のバーコード読み取りによるデータ管理、本棚への並べ直しなのだが、利用者が少ないために当番となった図書委員の基本業務はカウンターの内側で銘々に持ってきた本で読書をすることになる。


 当番になると基本的には手透きであるため無聊を慰める必要があるのだが、スマホやタブレットの操作、内職等は禁止されている。ゲーム機は言わずもがなだ。一応は委員の仕事なので、その辺は厳命されているというわけである。


 だが、唯一の例外として図書室内の蔵書から持ってきた本の閲覧は許可されている。結果として、図書当番の基本姿勢は読書となる。読書習慣のない輩などは小学校や中学校のときに存在した「朝読書」を思い出すと言っていたりする。


 時折、チャーリーだかウォーリーだかを探す大判本を取り出して盛り上がる奴らも存在するのだが、司書の男性教諭――水森先生まで一緒になって楽しそうに探していたことがあった。それでいいのだろうか。


 そういうわけで、俺も真枝も手元の小説に目を落としながら会話をしている。


 ちなみに、俺が読んでいるのは毒笑小説という短編小説集で、真枝が読んでいるのはプロジェクト・ヘイル・メアリーの下巻である。


 両者ともに推理小説ではなかった。


「八方くんは知らなかったようだけれど、針ヶ谷高校には自習室が存在するのよ」

「……なんと」


 知らなかった。そのような場所がこの針ヶ谷高校に存在しただなんて。


 こちらの驚きをよそに真枝が自習室の利点を挙げ始める。


「そんな自習室は冷暖房完備です」


 なんと。


 地球温暖化やヒートアイランド現象の影響もあってか日本の夏の平均気温は上昇の一途を辿っている。昔は生徒に我慢を強いたり打ち水で誤魔化したり扇風機でどうにかしていたそうだが、熱中症の危険性などについての周知が進んだこともあってか「クソ暑いなか冷房をつけないのはただのバカ」という認識が浸透しつつあった。文科省ではそのことを受け、東北・北陸方面や北海道などの比較的涼しい地域を除いて全国的に空調設備(冷房)の導入を行っており、その設置率はかなり高い。ただし、それらは普通教室への対応が主であり、特別教室の空調設備普及率はその限りではなかったりする。


 そのため、特別教室に分類される自習室に空調設備があるという事実は確かにセールスポイントだった。


 だが、俺とて一介の図書委員。負けじと対抗心を燃やしてみる。


「それなら図書室にだって空調はきいてるじゃないか」


 俺はそう言って壁際に設置されている大型のエアコンへと目を向ける。でかでかとしたそれは普段はお目にかかることのない業務用のもので、随分と年季が入っている。今は稼働していないが、気温が上がり始めれば冷気をこれでもかと吐き出してくれる頼もしい存在だ。


 そんなエアコンだが、難点としては冷房機能のみしかないということだろう。蔵書の保存状態を考慮してなのか、針高(針ヶ谷高校の略称)の図書室にはかなり早い段階で冷房用の空調が設置されていたのであるが、古い故に融通だんぼうが利かない。まだまだ現役ではあるが、暖房機能がないために冬場はストーブに頼らなければならないというのが実情だ。


 冬場に頼ることになるのはストーブだが、ストーブでは図書室の広さも相俟って隅の方があまり温まらないのである。とはいえ、ストーブは風情があるのでそのことを差し引いてもギリギリ及第点と言えるだろう。加えて図書室には辞書や一部の参考書がある。条件としてはイーブンどころか勝っていると言えるかもしれない。


 だが、真枝はそんな俺の考えが甘いと微笑した。


「自習室はなんと、自動販売機が設置されているのよ」

「む。……それは、つまり」

「そう。自習室は飲用可よ」

「なるほど。確かに誰もが自習室を使うわけだ」


 飲食禁止の図書室に対して、食はダメでも水分補給が可能な自習室の方が優先されるのも納得である。


「図書室で自習をするのは自習室が満員のときか、あとは複数人での勉強会のときかしらね。自習室は一席ごとに仕切りがあるから、一人で黙々とやるのに向いているのよ」

「そうなのか。まぁ、それは自習室としては適切な形式だな」


 勉強なんてのは基本的に一人で黙々とやるものだ。複数人で集まろうと意味は殆ど無いと言っていい。というか皆無だ。勉強会と称して複数人で集まろうとも、気が散った奴が他の人を邪魔して集中を欠くのがオチだ。


 成績のいい奴が教師となり「不明点について聞かれたら説明をする」という形式を取るのであれば意味もあるだろうが、それではその教師役の学習が進まない。


「それにしても、針ヶ谷に一年も通っていて自習室の存在を知らないなんて驚きね」

「俺は活動範囲が狭いんだ」

「自習室は図書室の反対にあるのだけれど……」


 思わず閉口してしまう。


 特別教室棟一階の最西端に図書室があれば、最東端が存在するのもむべなるかな。そして、そこに自習室はあるのだと真枝は言う。


「どうやら、狭いのは視野もだったようだな」

「自分で言ってしまうのね……」


 ふと気になったので聞いてみることにした。


「真枝さんは自習室を利用したことがあるのか?」

「あるわよー。試験前は混むから推奨しないけれど、そうでなければ席の確保はできるし、周りが黙々と勉強してるというだけで気が緩みにくくなるから、結構良かったわね」

「へー」

「関心のなさそうな相槌ね」


 事実として自習室そのものには関心がなかったりする。どちらかと言えば雑談の延長として、続けるためのフックとして振っただけに過ぎない。とはいえ、話を振っておいて興味なさげというのは感じが悪い。これは俺の会話能力の低さが悪い。なので弁明を試みる。


「俺は自分の机でいくらでも集中できるタイプの人間だからな。勉強していて気が緩むという感覚がいまいちピンと来ないから、ふんわりした相槌になったんだ」

「へー。……え、なにそれすごい。試験日前に部屋の掃除とかをしたことがなかったりするタイプのヒト?」

「掃除は常日頃から定期的にするものだろ。その定期のタイミングが重なればするぞ」

「うわぉ。人間味の薄い返答だね」

「わぁ失礼」

「確かに失礼だ。ごめんね」

「気にしてはいないから、そちらもお気になさらず。むしろ、どういう返答であれば人間味を濃く感じられたんだ?」

「そりゃ、あるあるとして同意するとか……?」

「試験日前に掃除をすることがあるあるなのか? というか、それのどこに人間味を感じ取ればいいのだろうか」

「それはほら、目前に差し迫った試験という現実から目を逸らすという――いわば現実逃避をしちゃう部分とか」

「現実逃避って人間味あるかねぇ?」

「あるでしょ。現実という認識を持っているのはきっと人間だけだし、それから目を逸らせるのも人間だけの特徴だよ。特権と言ってもいいわね」

「嫌な特権だこって……」

「特権なんて傲慢なものだからね。嫌らしいのは仕方がない」

「さいですか」


 真枝との会話はまさに益体のないものだった。お互いに実りのある話をしようという気構えがないからこそのどこかいい加減な雑談。けれど、これを無意味だとは思わないし、どこか楽しいと思っている自分がいることも自覚している。


 ふと思い出したかのように、真枝が疑問を口にした。


「――あれ? でもさ、八方くんって何度か図書室で自習をしていたことなかったっけ。ほら、一年の頃に外園くんと一緒にここで勉強していたことあるよね?」


 言葉に詰まる。真枝さんと話すようになったのは二年になってからというか、そもそもこちらが真枝さんを知ったのが二年生になってからだ。だというのに、相手はそれ以前からこちらのことを認知していたのか。


 針高は一学年が三百人を超え、全校生徒が千人近くになる過大規模校――マンモス校だ。同級生といえども同じクラスや同じ部活などでもない限り、顔も名前も把握しないままに卒業することすらままあるのが実情だ。そんな中で他クラスだった俺を知っていたというのは驚きだ。


 有名人などであれば広く認知されることもあるにはあるが、別段こちらに目立つ要素はない。所属する部活もなければなんらかの活動に励み成果を上げているわけでもない。よくもまぁそんな俺のことを知っているものだと思う。こちとら人の顔と名前を覚えるのが苦手で、去年のクラスメートなど半数以上も顔と名前を覚えずに進級してしまった体たらくなのだから脱帽ものである。


 などと思ったが、すぐに答えへと思い当たる。


 外園友だ。真枝さんだって名前を挙げていただろう。


 あいつは見目が良く、それも特徴的だ。そのため、一部の女子やごく一部の男子に人気らしい。加えてあいつはフットワークが軽いので色んなコミュニティに顔を出すので、有り体に言えば顔が広い。針高内ですれ違う生徒たちに「外園って知っている?」と訊けば、五人に一人は知っていると答えるだろう。


 それに対して、俺のことを知っている奴は五十人に一人もいないだろう。そう考えれば外園の顔の広さがうかがえるはずだ。……いや、これは比較対象が悪いな。うん。


 俺は外園と一緒にいる機会が多いので、そういった部分から人に記憶されていることもあるのだろう。なので、そのことには特に言及せずに答える。


「いや、その時だって自習ではなかったよ」

「そうなの? 教科書とか参考書とかノートとか広げていたと思うのだけれど」

「広げてはいたさ。けれど、それが必ずしも自習になるわけじゃないだろうよ」

「自習じゃなくて勉強会ってこと?」

「勉強会でもない。あれは学習指導だよ。一方的に勉強を見ていたんだ」

「八方くんが外園くんに教えてもらっていたの?」


 肩が落ちる。


「いや、逆だよ。俺が外園の勉強を見ているんだ。どうしてそうなる?」

「だって、外園くんって試験の成績いいんでしょ? 頭がいいって話もよく聞くし」

「高校の試験は頭の良さよりも要領の問題だから、その認識は若干ズレている気もするな……」

「お、なんか頭の良さそうな発言だ」


 そうだろうか……。


「でもまぁ、確かに外園は試験の点数はいい方だな。どの教科も満遍なく上位三十位までには入っているし」

「なんでそんなことを把握している」

「さっきも言ったけれど、勉強を見ている側だからな。そりゃ把握しているよ」


 というか、試験が終わるたびにいつもあっちから見せに来るのだ。毎度毎度、褒めて欲しそうな表情を浮かべながら見せびらかしてくる。


「……もしかして、八方くんてすごく頭がいい?」

「頭がいいかどうかは別として、試験の点数はいいほうだよ。どれも上から片手で数えられる順位だし」


 聞かれたから答えたが、これで自慢しているかのように受け取られるのも嫌だなと思う。


「そりゃすごい」


 けど、真枝はそういった顔はせず、感心したように言うだけだ。


「どうも」


 真っすぐに称賛されたため、素直に受け止めるしかできなかった。



 □□■■■■□□



 この日から、真枝との話題に外園が出てくるようになった。


 小さいときからの付き合いがある外園について、俺は色々なことを知っている。家族ぐるみでの付き合いもあるから、学外での姿もそれなりに知っている。その話を真枝は興味深そうに聞いていた。


 外園以外と会話をするときに、どういうことを話せばいいのかわからなくなるときがあった。だから、そういうときに外園の話をすればよかったのは楽だった。


 外園との話題にも真枝の名前を出すようになった。俺が特定個人の名前を挙げるのをたいそう珍しがって、外園もたいへん興味深そうだった。


 それから一ヶ月後。


 真枝は外園に告白をして、外園はそれを受け入れた。


 ――日差しの熱を鬱陶しく感じ始めていた。

 ――そんな、せっかちな夏の足音が響く日だった。

 ――こういうこともあるかと、俺はとりあえず呟いた。




 











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