バ畜坊主と拾いネコ


 朝起きて歯を磨いていたら午後十時になっていたなんてよくあることだ。


 それくらい学生時代の青春とは短く儚いもの。その時間を少しでも長く味わうためには学校が終わってからの放課後が大切になってくる。部活に打ち込むもよし、恋愛するもいいだろう。しかし


「おまたせしました119番のお客様、お取り口までどうぞ」


 佐伯は駅前の牛丼屋で午後六時から午後十時までのシフトに入りせっせと牛丼をつくっていたのだ。


 なぜかって、おいおい野暮なこと聞くなよ、金がねぇからに決まってるじゃありませんか。


 佐伯はぼやきながらどんぶりに米を盛り肉を盛る。この時間席についているのは背広をきた大人たちが多くみな牛丼とみそ汁を急いでかきこんで駅に向かって歩いていく。


「佐伯くーんお疲れさん。まかない食べてもうあがっていいよ」


 厨房の奥から店長の声が聞こえて佐伯は返事をしたあと、夕飯の代わりになるまかない牛丼を自作で作って口に運ぶ。つゆだくにねぎだくの最強コンボは疲れた心と体を回復させていく。


「ごちそうさまでした。店長お先です」


「はい、ご苦労さん。ところで佐伯くん相談なんだけど、やっぱり土日のどっちか入って……」


 佐伯は店長の話を聞く前に店を出ていた。さすがに土日もここでアルバイトするのはしんどすぎたのだ。


 北千住駅西口商店街はまだ人の流れが活発で、飲食店も家系ラーメン店や居酒屋などざっくばらんである。


 まぁ少し路地裏を行けば道路に当たり前のように吐しゃ物が散乱していて、ムフフなお店も乱立しているが、そこもすべて含めて佐伯は人間らしいこの街が好きだった。


 いつか入ってみたい大人のおもちゃが売っているお店を一瞥して佐伯はそそくさと駅に続く階段を登った。


 さすがに午後十時を回れば人は夕方よりもまばらだった。しかし、小波程度の人の流れは健在で佐伯は夏休みを過ぎた佐伯は道行く人をかわすことが上手くなっていた。


 今だって軽やかなステップを踏みながら視野を広く改札までの最短距離を歩いていく。


「ん?」


 と、佐伯は違和感に気が付いた。直線的なコンコースの向こう――改札前にある喫茶店の外のベンチに大きなキャリーバックを横に置いた見慣れた金髪が見えたのだ。俯きぎみに下を向いた彼女の金色に輝く頭が何となく、とてつもなくやっかいなことになっている予感がしていた。


 だいたい、あいつは教会に祈るとか言ってなかったけ? なのになんでこんな時間にスーツケースを持ってベンチになんか座ってるんだ?


 最初は、待ち人でもいるのかと遠目で眺めていたが、そういうわけでもなさそうだ。もしかして、あいつも家出とかしたのかなと佐伯は考えていた。


「まぁでも、ほっとくわけにはいかねぇよな」


 親切とお節介は紙一重なんて言葉があるが、きっと彼女にしたらお節介なんだろうな、そう頭で思いながら一歩、二歩と思わず前に足が進んだとき、ようやくアンネと話ができるところまできた。


 悪魔憑きのエクソシストアンネ・ミッシェルは啜り泣いていた。


「ぁ……………………………………………………………おい」


 ――冗談だよな。


 アンネは佐伯の存在に気が付いていない。しかし雑踏に気づかれない程度の音量で鼻をすする音が聞こえ来る。


「おいエクソシスト」


 佐伯の声のボリュームが上がる。しかしその声もアナウンスにかき消された。アンネはピクリとも動かない。何だかカラスにつつかれたハトの気持ちになる。要するに切ない気持ちになっていた。


「おい、こんな時間に夜遊びか? 何やってんだよ?」


 今度はアンネの肩に軽く触れからかうように笑顔で言った。つくづくこんな形でしか話しかけられない自分の経験値の無さに恥ずかしくなる。こんなとき前髪センターわけだったら、女の子が安心する言葉を発してからスマートにハンカチを差し出すんだろうな、しかし、佐伯には自らの引きつった顔を隠すための笑顔をつくるのが精いっぱいであった。


「あっ……」


 アンネが顔をゆっくり上げた。


 彼女はやっぱり泣いていた。この世の不幸をいっぺんに背負ったような顔で。


「あっ……」


 佐伯の顔から笑みが消える。


 アンネは声の主が佐伯だと分かると、泣き顔をすぐにいつものピシッとした顔に戻して肩にふれた手を払った。


「なんですか?」


「な、なんですかじゃねぇよ。お前どうしたんだ? 何があった?」


 振り払われた右手を構わず今度は両手で彼女の肩に触れる。そうでもしないとアンネはどこかに行ってしまいそうな雰囲気があった。


「離してください、あなたには関係ないでしょ」


「ああ関係ねぇよ、でもよ顔見知りがこんな時間にこんなところで泣いてるのをはいそうですかと見過ごすほど俺は物分かりが良くねぇんだ」


「そうですか、じゃあ私はこれで……」


「ちょ、ちょっとまてって」


 アンネが転がしていこうとするキャリーバックの取っ手を掴んだ。彼女は怒りを滲ませながら佐伯を睨みつける。


「ほっといてください」


「ほっとけるかバカ、お前家は? 下宿先の親切な教会に帰らないのか?」


「……追い出されました。やっぱり悪魔憑きはかくまえないって」


 アンネは目を伏せながら声を震わせ言った。


「そんな、じゃあお前は今夜どこで寝るんだ?」


「別にどこでもいいでしょうバカ、適当にネットカフェとか泊まりますよ。バカ」


 眉をひそめ唇を噛みしめてから強い口調で言い放つ。年頃の女の子とのコミュニケーションが皆無の佐伯でも分かるほど無理をしているのが分かった。


「いやいやいや、女子高生が一人で簡単に泊まれるか! 補導されるわ。それに泊まれたとしても変な奴に絡まれたらどうすんだよ」


「ふん、変な人ってあなたのような人のことですか」


 突然斜に構えたアンネに腹が立ったが、今夜の佐伯は冷静だった。 


「あのなぁ、自分を誤魔化すのもいい加減にしろよ。どうせ腹もへってんだろ? まったくどうして女ってやつは素直に助けてと言えないのかなぁ」


「主語を大きくしないでください。その発言女性蔑視ですよ。それに助けてくれと言ったら本当に助けてくれるのですか? ふかふかベットがあるホテル代を貸してくれるのですか?」


「うるさい、俺だって金がない」


「ほら見なさいやっぱり……」


「だから俺の部屋に来いよ。そういう事情なら泊めてやる」


「……なっ」


 一拍ためてアンネの顔が沸騰したように真っ赤になる。それから自分の身体を自らの両手で抱いて、


「お、男の人っていつもそうですよねっ私たちのことなんだと思ってるんですか!」


「お前なに一人で盛り上がってんだ?」


 佐伯は呆れながらアンネのキャリーバックを強奪して改札に歩き始めた。


「ちょっと待ちなさい!」


「待たねぇよ、早くしないと電車行っちまうだろ。部屋についたら夕飯作ってやるから黙ってついてこいバカソシスト」


「あなたねぇ、エクソシストまで冒涜するつもりですか? それに私はお腹なんて……」


 そう言いかけて大きなお腹の音がコンコースに鳴り響く。


「すいてない」


 アンネは小さな声でつぶやいたが、羞恥心で顔を下げていた。


「おーい耳が真っ赤だぞ」


「う、うるさいですよ。わかりました。あなたがそこまで言うなら夕飯をご馳走になりましょう。さぁ早く案内してください」


 やけっぱちにアンネは改札を我先に通っていった。


「おーい」


「なんですか」


「俺の部屋は草加だぞ」


 逆路線に行きかけたアンネがUターンしてきて、


「そ、それを早く言いなさい!」


 一喝した。

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