機嫌なおして


「まったくもうこんな予定はなかったのに」


 ぶつくさ言いながら横を歩いていく。


 草加駅から歩いて徒歩十五分というところに佐伯の下宿先のアパートはあった。


 アンネがそれを見たとき、まぁなんだ。佐伯は彼女が言いたいことがよくわかる。


 なんて言うか、今を生きる現役男子高校生が住むにしては相応しくない事に、それはあの戦争で一面焼け野原になりましたが奇跡的にここは残りました。みたいなウルトラぼろい木造二階建てのアパートだった。このご時世に洗濯機が堂々と外に置いてあるところに気が付くとアンネは口をあんぐり開けながら佐伯をみつめた。


「安心しろ、風呂はないけどシャワーはあるしトイレは水洗洋式だ」


 そう聞いてアンネは胸を撫でおろす。


 これが前髪センターわけならば、半年間は話題に困らないほど自虐ネタにしてやり過ごすことができるが、金髪碧眼美少女が隣にいるんじゃネタにもできない。


「俺の部屋二階だから」


「そ、そうですか」


 ぼろぼろに錆びた鉄の階段を登り、二階の一番奥の部屋まで歩く。


 その短い距離を歩きながらふと外を見るといつの間にか雲が厚くなって月が見え隠れしている。


 佐伯とかかれたネームプレートのドアにカギを差し込むと、ぎぎぎと木がこすれる音が聞こえてドアが開いた。


「ど、どうぞ」


「お、お邪魔します」


 佐伯がアンネを招き入れる。先ほどの威勢はどこへ行ったのか、ここに来てめちゃくちゃ緊張してきていた。


 ――おいおい、どうすんだ。勢いで部屋にこいなんて言っちゃったけど、女の子を部屋に上げたことなんて人生で初めてだぞ。どうすりゃいいんだ?


 部屋に入るなり沈黙が怖くなる。なにか言葉をかけなければと刹那に熟考し、ついに導き出した。


「め、めし作っとくから先にシャワー浴びて来いよ」


「あの!……私心が弱っている時に出会った人のこと信用しませんから」


「あぁそう、じゃああっちでテレビでも見てて、あとポットにお湯あるから紅茶でも飲んでて」


 コップとパックを速やかに渡して、顔を背ける。


 ――はいミスった。ワードチョイス間違えた。


 余裕を装っていたが佐伯の心は崩壊寸前だった。


 ――何今の言葉、えなりくん? いやえなりくんも言わないわそんなこと。


 一人つっこみを心の中で繰り返しながら佐伯は台所に立ちフライパンを手に持ち、明日の朝食用にセットした炊飯器を急炊に変更する。


「あの!」


「うぁ……なんだよ急に大きな声出して」


「なにかお手伝いをしましょうか?」


 せわしい佐伯の様子を案じてアンネが声をかけてきた。


「いいから、座ってて」


「……はい」


 佐伯はそう言って制止させ、夕飯の下ごしらえに取り掛かる。


「好き嫌いある?」


「ありません」


「そう」


 これ以降会話が続くことはなかったが、アンネの口元は微かに緩んでいた。


「お待たせ」


「これは」


「佐伯家特性の目玉焼き丼」


 机に置かれたのは丼ぶりに盛り付けられた白飯の上にのった目玉焼きである。


「これ醤油」


「あ、ありがとうございます」


 戸惑いながらもアンネは醤油入れを傾けようとすると


「あぁ! ちょっとまてそれじゃあかけすぎちゃうだろ」


「えっ、あっすみません?」


 大きく息をはいて安堵する。佐伯はアンネの手から箸をとって目玉焼きの白身部分と黄身の部分に穴をあけた。 


「いいかここに穴をあけて、醬油がこぼれないように垂らすんだ。あっ醤油はひとつの穴に一滴な」


「いってき?」


「うん、五つ穴をあけたから五滴。やってごらん」


「はぁ」


 大きく息をはいてアンネは緊張し指を震わせながら醤油を目玉焼きの上に傾けた。


「はい、一滴、次の穴」


「あ、あのぉ」


「なに?」


「なんだか貧乏くさいのですが」


「……そうかな」


「そうですよ」


 佐伯は指摘されて初めてハッとした。


「……あぁごめん、いつも自分が食べるときの感じでやってた」


 恥ずかしくて顔が引きつる。


 ――やばっ、またやっちまった。本当にバカ。


 佐伯は心の中ですぐに自虐に走っていた。


「フフフ」


 瞼を開けた。目の前には口に手を添えて笑うアンネが穴に醤油を数えながら垂らしていた。


「いただきます」


 お行儀よく上手に箸を使って口に運ぶ。しっかり器を左手に持ってアルバイトで見るサラリーマンよりもきれいに食べていた。佐伯は黙々と食べる彼女の姿を穏やかな気持ちで眺めていた。


「ごちそうさまでした。美味しかったですよ」


「こちらこそ、ごめんなこんなもんしかなくて」


「いえ、ありがとうございました。この恩は必ず返します」


「良いって、困ったときはお互い様だろ」


「……それじゃ私はお暇しますね」


「おう……おいちょっと待て今十一時すぎだぞ。どこへ行くんだ?」


 立ち上がったアンネを呼び止めて慌てて前に立つ。


「駅前にインターネット喫茶を見つけたので、そこに泊まります」


「いやいや、もういいだろう。ここまで来たんだ泊ってけよ」


「いえ、これ以上赤の他人のあなたにご迷惑をかけることはできませんから」


 立ちふさがる佐伯をするりと交わしてアンネは玄関へと足早に移動する。


「なんでだよ、別に襲って食うなんてしねぇよ。俺はこんなんでも修行僧だぞ」


「そうじゃなくてですね……もう大丈夫だって言ってるんです」


「ダメだって、さっきのニュース見なかったのか? これから局地的な雨が降るって注意報でてただろう?」


「じゃあ、雨が降る前に入店しますから」


 アンネは力づくで佐伯に掴まれた腕を払いキャリーバックを転がす。


「ありがとうございました。それじゃあまた明日」


「ちょっと待てって」


 ドアノブに手をかけ回し押す。ドアが開いた瞬間。佐伯とアンネの視界に入り込んできたのはバケツの水をひっくり返したような激しい雨だった。


 地面や屋根に勢いよくぶちあたる雨の音に二人は黙り込んだ。数秒後アンネは振り返って、


「傘を貸してくれますか?」


「ここにそんなものはない」


「……」


 ――嘘をついた。まぁ嘘と言っても東京に引っ越してきたときにコンビニで買った今じゃぼろぼろなビニール傘だ。どのみちこの雨じゃとどめをさすようなものだって。


「泊ってけよ。お前らが大好きな神様もそう言ってるぜ」


「ムぅ~」


 神様というワードを出されてしまうとぐうの音も出ないのだろう。アンネは不服そうな顔をしながらも部屋に戻っていった。

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