前髪センターわけ

 九月一日。新学期の始まり。


 一睡もしないまま部屋に戻りシャワーを浴びて朝ごはんも食べずに制服を着て教室に走った。その間にちらっと見たテレビでコメンテーターが今の地球は温暖化を通り越し沸騰化しているとふざけたことを言っていたがどうやら本当のことらしい。


 一番乗りで教室についた佐伯は一目散にエアコンのスイッチを入れ机に突っ伏した。窓と言う窓を閉め切り完全防備の小部屋を演出したかいが合って温度は少しずつ下がりはじめキンキンに冷える頃には佐伯真魚は夢の世界へ旅立ちっているだろう。


 こんな幸せの空間を独り占めにして教室の外の世界はうだるような熱気が支配している。これこそ最大の背徳だ。


 佐伯はそんなことを思いながら眠気が意識を上回るのを待っていた。


 コンコン。


 耳元で机を叩く音が聞こえる。


「うぃーす佐伯」


 顔を上げると隣のクラスの学級委員長、前髪センターわけがいた。


「俺の読み通りホームルームの二時間前にはいると思ったんだ、相棒」


 と、なんの躊躇もなく隣に座った前髪センターわけが訳の分からないことを並べていた。


「なんのようだ、夏休みの課題なら見せんぞ」


「三万払う」


「……鞄に入ってる好きにしろ」


 佐伯は余計なことは言わず、前髪センターわけがうちわのようにたなびかせていた三枚の諭吉を財布にたしなめて瞼を閉じる。


「サンキュー、お前が金にがめつい脱走坊主で助かったよ」


 にっこり笑顔で言う前髪センターわけは心底気持ちが悪かった。


「黙れ」


 怒りを滲ませて言った。佐伯はそう言われるたびにこんなやつに自身の生い立ちを話してしまったことを後悔する。


 田舎から出てきたばかりで、どうにか友達が欲しかったとはいえ心を許す奴を間違えたと心底思った。


 とはいえ、田舎から家出同然で上京して、右も左も分からない学校生活は物おじしない佐伯でも不安過ぎた。


 都会と言っても下町気質が残るこの街の学生はすでに中学校からの太い人脈があり、いきなりお上りさんの佐伯に仲良く接してくれるほどネットワークは甘くなかった。


 そんな時、優しい言葉で自分の話を聞いてくれたこの前髪センターわけに救われた。本当ならば二人は唯一無二の友になるはずだった。例えるならメロスとセリヌンティウスみたいな関係性を築ける二人のはずだったのだが、現実はそうもいかない。


「なぁ?」


 短い言葉をつぶやいて佐伯の制服の袖を引っ張ってくる。お前は付き合いたての彼女か、と言ってやりたくなるくらい微妙な力で腕をつつき関心を誘ってくる。


「なに?」


 たまらず返答。


「相変わらず字が綺麗だな」


「ひっぱたくぞ、てめぇ」


 そんなどうでも良い理由で人の睡眠の妨げをするなと怒鳴りつけたくなる気持ちをおさえた。


「怒んなって、よっ! 弘法大師!」


「お前絶対その言葉の意味分かってなくて使ってるだろ、冗談はその前髪だけにしろ。量産型」


「量産型……りょ、量産型っていうな! これはトレンドだ。俺はこの髪型が一番似合うからしているし、おしゃれなやつはみんなこの髪型だぞ!」


「静まれよ、にわか野郎。こっちは寝不足と諸々で苛立ってんだから無駄にエネルギーを使わせるな」


「にわかじゃない、先取りをしているだけだ。みんなよりも一歩先に進んでるだけだ」


「おい、さっきと言ってること違うぞ。てめぇが流行さきどりしたつもりでてめぇと同じような髪型のエセ優男が渋谷と新宿に何人いる? 俺はこの夏休みで百人は見かけたぞ」


「ふん、俺は人とは違う。同じような前髪でもその髪型に至るまでの苦悩と努力が違うのさ」


「俺は人とは違うなんて人と同じことを思っていてどうする。正体バレるのが早いぞ。エセ優男」


 はぁ、と息を吐いた後、佐伯は眠ることを中断し窓の外を見る。


 彼女に憑いていたモノの正体もこんな簡単に見破ることができたらと思ってしまう。


 確かに彼女には黒い靄が見えた。でも見えただけで何もできなかった。憑いているものが悪霊なのかそれとも妖怪の類なのか見当もつかない。自分がいかに拝み屋だと言え正体が分からないものを祓うことはできないのだ。


 それでも、


『救ってやると言えればよかった』


 佐伯はため息をついた。もしかしたら彼女にとってお節介だったかもしれないが、佐伯真魚にとってそんなことはどうでもよかった。二度と会うことはないと言われて今頃になって後悔する。


「……」


 佐伯はブレザーの内ポケットに忍ばせたロザリオを思い出す。


 あの後、交番に届けに行かなかった。違う。届けたくなかった。と思う。彼女の行き先が分からなくともすぐに路地裏から飛び出して大声で探せばあの子は見つかったかもしれない。きっと未練たらたらでワンチャンを期待していたのだ。このロザリオが再び自分と彼女を引き合わせてくれるかも、と。


 あの異国の少女があんなに寂しそうな笑顔を見せるものだから。


 なんでもいいからとっかかりをつくらないと、二度と彼女を救うことができず、そのまま雪のように消えてしまいそうで嫌だった。

「女々しいな」


 舌打ちする。


「どうしたん?」


「どうもしねぇよ、さっさと写してクラスへ帰れ」


 ホームルームが始まるまであと一時間をきった。だるくて暑くて退屈な新学期がいよいよ始まる。

 


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僧侶に悪魔は祓えない うさみかずと @okure

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