僧侶に悪魔は祓えない

うさみかずと

悪魔憑きのエクソシスト

「まったくお節介が過ぎちまった。こんな面倒なことに巻き込まれてまで救ってやろうと思わなければよかった」


 我ながら女々しすぎる心の思いを吐露する。


「おい、もういいだろう! もういい加減にしてくれよ!」


 嘆くようにそう叫んで佐伯真魚は逃げ回ってばかりでやんわり筋肉痛の予兆を感じながらも足を止める気はない。


 丑三つ時の閑散とした駅から延びた大通りを風のように走り去りながら、チラリと後ろを振り返る。


 三人。いやもっといる。


 もう一キロくらい走ってる。まだ振り払えてはいない。


 余談だが佐伯の体育の成績は可もなく不可もなく。


 精一杯のお世辞を言えば高校生男子の平均よりちょっと上くらい。


 それでもまだ追い付かれていないのは追いかけているのがチンピラできっと四六時中、酒タバコをやっているからだろう。


 ただもし実際に取っ組み合いにあったら複数人相手になすすべもない。


 足元を照らす街灯の下にある小さな石ころを意識的に蹴って佐伯は走り続ける。


 八月三十一日。夏休みの最終日。


 本来なら貧乏高校生の佐伯が満を持して起業した副業の依頼を見事に成功し、それ相応の報酬をもらった記念すべき日。のはずだった。


 高額報酬だ! 


 もう奴隷のようにこき使われる飲食店のアルバイトしなくていいんだ! 


 なんてテンション爆上げして小躍りしながらコカ・コーラを買ったまではよかった。


 コンビニから出て明らかに関わっちゃいけない半グレかぶれみたいな輩に絵にかいたような金髪碧眼美少女が一人絡まれていた。


 こんな深夜に変だなぁと思いながら雰囲気が変わるのを感じ、危険を知らせるために声をかけたのがいけなかった。


 まさかちょっと声をかけただけで逆上されるとは思わなかった。


 そんな短い時間で何ができるっていうんだ。


 一瞬の隙をついて路地裏に身体を向けると、輩たちは佐伯を見失って大声で叫んでいた。


「これだからチンピラは嫌なんだ」


 ようやく足を止め膝に手をつき息切れしながらつぶやく。右手をズボンのポケットにまさぐり握りしめ目を閉じる。


 佐伯の目的はあくまで救済。


 だからこそ救済にならず、誰も不幸にならなければそれで良いのだ。と心で思いつつも


「いけてるクラスの奴らは彼女との初めてを堪能し終わり大人になっているはずだよなぁ。こんちくしょう」


 悔しい。自分で選んだ選択とは言え自由を謳歌できない青春を過ごしていることに。佐伯真魚は一人で勝手にノックアウトを喰らったような気がする。あと数時間もすれば朝だ。


 新学期だ。


 なにが夏休みだ。何がアオハルだ。アルバイトと課題でほぼ終わったわ。ドアホ。と悪態をつき空っぽのポリバケツを蹴っ飛ばした時、


「見つけた」


 背後からチンピラの罵声が飛んだ。


「勘弁してくれよ」


 さっそく罰が当たった。


 再び走ろうとしたがすでに足が棒だ。その場でへなへなと立ち尽くし汗だが鼻水だが分からない液体を垂れ流しながら後ろを振り返る。


 チンピラの姿はなかった。いやそもそもここまで追いかけてきたのはチンピラだけではなかった。


「悪い予感ほどよくあたる」


 佐伯は大きく息を吸って吐いてポケットから右手を取り出した。


「Ich wusste es gut」


 ぴきっと空気が振れたような緊張感が走る。


 それは異国の言葉で韓国語でも中国語でもない。英語に似ているがイントネーションが違う気もする。


 狭く暗い路地裏は街灯の光や月の光が届かず闇が支配していたため気が付かなかった。


 佐伯は路地裏に身を隠すために入ってきた方向から女の子が一人近づいてきている。


 白のシャツと青色のジーンズ。シンプルな服装はすべてユニクロで揃えたような格好だ。


 佐伯は真っ暗なアスファルトに顔を俯きながら笑っちゃう。


 というか、さっきまでコンビニの前でチンピラに絡まれていたのが彼女だ。


「ウェアユーフローム?」


「ドイツです。バイエルンってわかりますか?」


 つたないかたこと英語で会話を試みると綺麗な碧い目の彼女は流ちょうな日本語で返してきた。


「日本語喋れるんかい」


 思わずつっこむ。


「あいつらは?」


「死んではいませんよ」


 まるで死以外のなにかしらのイベントが起きたような言い方だった。


「しかしあなたどうしてわかったのです? 何者?」


 うわぁ、と佐伯は疲れたように一言。


 今日は最高の一日だった。試行錯誤してようやくもぎ取った依頼で依頼主を満足させ感謝され充分な報酬をいただいた。だからこそ普段は絶対に関わり合いたくないと思っている人種。


 明らかにいかれてる大学生くらいのチンピラにちょっかいを出されている異国の女の子の雰囲気を見て思わず危険だと知らせてやろうかなとか思ってしまったんだ。


 でもそれは、彼女をチンピラから助けるのではなく、チンピラたちを彼女から……いや正確には彼女に憑いている得体のしれない邪悪な何かから輩たちを救済してやろうと思っただけだ。


 佐伯はため息をつく。


「異国のお嬢さん。あんたこそ何者だ。はっきりとは見えないけど良くないものが憑いている。というかその状態で生きているのがおかしいほどやばいもんだ……意味がないかも知れないけど拝んであげるからこっちへきな。気休め程度にはなるだろうよ」


「面白いですね」


 右手に握った数珠を指さして彼女は笑う。不気味なのは彼女一人しか笑ってないのに反響していろんなところから笑い声が聞こえてくるのだ。


「しかし残念です。私は悪魔祓い。この国じゃ珍しいですよね……あなたは?」


「拝み屋。分かりやすく言えば悪霊祓いかな、まだまだ実績足りないけど」


「そうですか、じゃあ拝み屋さん。祓えますか?」


「まぁやってみようか」


 とは言いつつ佐伯の直感が半笑いするように言っている。悪霊とかそんな次元じゃない。無理祓えるわけがない。レベルが違い過ぎた。


 手を動かそうとすると彼女の周りの空間が歪み始めて、まるで重力が地球のそれと比べられないほどかかっているように感じるほど身体が重くなる。


 佐伯は合掌しかけた手を止め数珠を下げた。


 彼女は鼻で笑った。


「そうですよね、どんなに立派な司祭様や高貴な修道士様でさえ私に憑いているものを祓えない。きっと神様でさえ不可能なんです。だからこんなところで油売ってるあなたなんかに祓えるわけがないのですよ」 


「何が憑いてる?」


 唐突に彼女の一人語りに横やりを入れる。すると彼女の口はぴたりと止まった。


 音もなく、空気の質が変わっていく感覚が分かる。


「悪魔。とんでもない力を持った悪魔が六体、私の身体を乗っ取ろうと蠢いています」


「悪魔? この時代に?」


 水の音が聞こえた気がした。都会の路地裏で水辺なんてないのに水の匂いもふんわりしてきた。


「やめた方がいいですよ」


 まずいな、佐伯は咄嗟に数珠を構えて口を開く。


 パーン!


 数珠の玉が目の前ではじけ飛ぶ。


「なっ」


 驚愕の一言が出た。除霊できないどころか会話すらできない。それどろか彼女に憑いている邪悪な靄の正体すら視認することができない。こんなことは始めてだった。


 精神が揺れた瞬間、鼻の奥に焼けるような痛みを感じた。


「やめなさいカイン」


 彼女の一声が佐伯の身体の違和を止めた。


「まいったね」


 佐伯は自分の鼻から出た血を左手で受け止め身体を震わせた。邪悪で強い怒りを肌で感じた。


「あなたすごいですね、悪魔を怒らせてその程度で済むなんて」


 言葉こそ気軽なものだが、彼女は本気で驚いてその碧い目を丸くしている。


「ご先祖様のご加護かな、知らんけど」


 内心では口から心臓が飛び出てくるくらい胸をバクバクさせながら佐伯真魚は必死に取り繕った余裕綽々の顔を引きつらせながらもう一度余裕の笑みを取り繕ってみせた。この時ほどどんなに忙しくても毎日サボらずにお経を読んだかいがあったというものだ。


「まったくあなたに構って貴重な時間をロスしてしまいました。さようなら、きっともう会うことはないでしょうね」


 一瞬だけ口元を緩ませ路地裏を去る彼女の背中を眺めた。


「うん……ロザリオ?」


 カラスの鳴き声が聞こえる。


 散らばった数珠の玉を拾っていると薄暗闇に紛れて僅かな光を反射していた。


 つなぎの千切れたロザリオはあの子のものだろうか。追いかけようにも佐伯には彼女がどこへ向かったか分からない。


 いつの間にか夕暮れとも見える朝焼けの光が路地裏にも差し込んできて闇の支配が消えていく。


「助けられなかった。助けてやるとも言えなかった。くそ、何が拝み屋だ。この恥さらしが」


 佐伯は汗だくになりながら最高な一日の終わりから最悪な一日が始まった事実を受け入れられないで、今頃になって動かせるようになった足を叩く。


 己の未熟を嘆くように、


「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時……」


 唱える。


 最悪な一日の始まり、それを挽回するにはそうとう頑張って徳を積むしかないのだ。

 

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