序章 第二話 追う者と折られる者
初めて彼と顔を合わせた時、私の表情は引き攣っていて、多分上手く笑えていなかったと思う。
学院長から直々に呼び出しがあり、久々に訪れた学院の応接室には、学院長と見覚えのない人物が椅子に腰掛けていた。
「あら、オランジェさん。
急に呼び出しにも関わらず、お越しいただいてありがとうございます」
「滅相もございません。私も学院の一生徒ですから気を遣わないでくださいませ」
笑みを浮かべた老年の女性、小柄だが真っ直ぐとした姿勢で大きな灰色の帽子が少しマスコットのように可愛らしいこの人こそ学院長であるラーデン・ルナティカだ。
曾祖母の友人で、彼女が亡くなってからもギュールズ家を陰で支えてくれた恩人でもある彼女とは、物心つく前に会ったきりで、この学院に入学したその日に久々にお会いて挨拶した。
聖炬火騎士団の灯火修道士、そこから部隊長に昇進、その後は現場を離れて修道会司祭の任に就いたのち、橄欖礼院の学院長の座に着いた異例な経歴の持ち主で、騎士団と修道会のどちらにも影響力を持っている。
私の中でも一般的な生徒の持つ学院長のイメージと相違ないといえる。
それよりも、向かいに座っている人物に目を向ける。
(うちの生徒ではないみたいだけど)
あまり見慣れない黒い服装、背丈からぱっと見た感じ自分よりかいくつか年下のような印象を受ける。
(顔を見ればわかるか…、!?)
こちらに向き直った顔をみると、一瞬声が出そうになってしまった。
グッと堪える。
驚いたのも無理はなかった。
顔の半分は眼帯で隠れているが、首筋にかけて火傷の痕がみえる。右手には黒い皮手袋を付けているが、袖口から露出する肌も火傷しているところを見ると、その全体が傷に覆われていることが容易に想像できた。
嫌な間が生まれてしまった。
そう思い、恐る恐る彼の顔を見てみる。
何とも無表情で、その目つきは睨むというか目の奥まで覗かれているような感じで、さらに嫌な気分になった。
「では、紹介しますね。
彼はセロシア。聖炬火教会のアレキサンドラ修道士からの推薦で、本日より修道教会から学院に特例で編入することになった生徒です。
こちらオランジェ・ド・ギュールズさん、二学年の主席を務める生徒です。これから困った事があれば、彼女に相談するように」
私の反応をまるで意に返さず、学院長は話を進めていく。理解が追いつくまでに、紹介が終わりそうだ。
(修道会?あそこの学院は女性しか入学できないはずだったけど、まさか…)
「彼は男性ですよ」
それはそうですよね、と早とちりしてしまった。
私の疑問を察してくれたのか、学院長は一から説明してくれた。
「彼は修道会の運営する孤児院出身の方です。
孤児院で預かられる子供たちは、長らく戸籍が存在しないから修道会がその身元を保証するために、孤児達は修道会の一員として登録されるのです。
だから、彼は修道会の所属という理由です。
それと、彼には入学するにあたってある程度の作法や教養は身についてると思いますが、それ以上に不慣れなことの方が多い学院の生活で一人は心細いでしょう。
だから、優秀な学年主席の貴女にお声がけしたのよ」
「な、なるほど」
一通りの話を聞いて、改めて自分が呼ばれた理由がわかった。確かにそういう事情であれば、私に白羽の矢が立つのも頷ける。
良くも悪くも古い風習の残るこの学院で、何の後ろ盾もない彼が生活していくのは、とても酷な話だ。
ただ、二つ返事はできない。
彼を庇えば、少なくとも他の派閥から反発的な意見が出てくる。これから先、ギュールズ家の家名を継ぐ者としてより多くの繋がりを作らなくてはいけないし、在学中に難関とされる騎士団への入隊試験に受かるため、今より実力をつけなければならない。
正直に、余計なことにかける余裕がない。
「オランジェさん」
その気配を察知したのか。
まるで、その考えを見透かされたように答える。
「彼の入学については、学院にとって決して良い方に捉えられないかもしれませんが、彼の存在は、きっと貴方にとって良い影響を与えると思いますよ」
(どういう意味だろう?)
衝撃だった、学院長にそんな事を言われるとは思わなかった私は、その場で面食らってしまった。
別に悪い意味で言ったわけではないのだろうけど、私には言葉の意味の通りに彼から得られるものなど、あるとは思えなかった。
逆をいえば、そういった黒い部分が出てしまった自分に対して、ショックを受けてしまった。
あとは頼みますね。
そういって学院長の話は終わり、渋々と承諾してしまった私は、とりあえず彼に学院内を一通り案内することにした。
隅々まで説明すると日が暮れるので、一年生が主に使う教室や施設を案内し、必要な説明はその場で済ましていく。
彼はただ黙ってついてきて、説明を聞いていただけだったが、最後に今は使っていない旧教室棟のことだけ聞いてきた。
旧教室棟はいくつかの教科の準備室や備品の物置になっているため、生徒はそれほど頻繁に出入りしないと、答えると納得したようだった。
それから一ヶ月間は彼の動向を気にかけるようにした。案の定、彼は周りの生徒から距離を置かれ、奇怪な目で見られた。
授業に真面目に取り組んでいるようで、その姿勢には感心したが、しばらくして一部の生徒からの陰湿な虐めを受けていることを聞いて、それを私にはおろか先生にも告げる様子はなかった。
当然といえば当然だが、あまり気分のいい話ではなかった。
学院長から直々の頼まれごとをされた手前、行動を起こさないのも良くないか。
(自分でも、本当に薄情だと思う)
生徒が少ない放課後を見計らって、彼に会いに向かった。
「セロシアくん」
彼は、突然呼びかけた私に驚いた様子も特になかった。
「オランジェ・ド・ギュールズ様、こんにちわ。
…何か御用でしょうか」
当たり障りのない挨拶、前に会った時と同じような無表情で、一体何を考えているのかわからない。
「学院の生活はいかがですか?
慣れない事が多くて大変でしょう、何か困ったことなどありませんか?」
(頑張れ、私!)
いまの私ができる精一杯の笑顔で話しかける。
こんな無理して笑ったのは、本家で行った社交会以来だった。
そんな私の努力も空しく、彼は何の反応も示さなかった。
「特に、これといってありません」
(な、何もないわけないでしょ!)
この二ヶ月間様子を見ていたからわかるが、自分にされたらとても耐え難い仕打ちをあれ程受けていて、
「特にって!あんな辛い目にあって、…」
言葉を飲み込んだ。
私にそれをいう資格があるというのか。
その間、何もせずただ自分の保身のことを第一に考えていた人間に。
何も言わずに去っていく背中を、ずっと見えなくなるまで見つめることしかできなかった。
これ程、自分に無力感を覚えた事が、今まであっただろうか。
表面的に誰にでも優しい態度をとっていても、私は貴族としての考え方や価値観を捨てきれない。所詮、誰にでも平等に接することなんて、到底無理なのだ。
(あれは…)
ある日の事だった。
放課後に先生に頼まれた資料を取りに図書館に向かう途中のことだった。
見たことのある人物の姿を見かけた。
(セロシアさん、どこに向かって…)
彼が向かう先は分からなかったが、方向的には旧校舎がある。
確か学院を案内したときに、今は使われていないと説明した気がする。
(一体何の用だろう)
隠れてこそこそするのは正直後ろめたい気もするが、彼の同行が気になって好奇心に負けてしまった。
後からついて行くが、それなりに距離をとっているにも関わらず、何度かこちらの方を振り返ってくるのだ。
この距離で、本当に気づいているのなら、もはや人でなく獣ではないか。
今更気付かれるのも癪だったので、気休めではあるが気配を弱める魔術を使い、引き続き後を追った。
案の定、着いた先は旧校舎だったが、中ではなくその裏手にある外、庭くらいの広さの空間に訪れた。
旧校舎の外側にあるここであれば、確かに隠れて何かをするには持ってこいの場所だが、ここで何をするのだろう。
放置された植木や花壇は乱雑に生え散らかっていて、よくわからない壊れた備品の山がいくつか作られていた。
彼はその山を少し整頓するように、等身大の的を一つ作った。
(何してるんだろう)
よもや精神疲労で変な行動を起こしてるのでは、とあらぬ想像をしてしまったが、そんな訳でもなく、彼は的から5メートルほど離れたところで姿勢を正し、精神統一を始めた。
実のところ、彼が魔術を使うところを見たことがなかったので、少し興味があった。
学院長が気にかけている理由が、今ここでわかるのではと思い、しばらく観察する。
直立不動の姿勢をとって、しばらく経つ。
魔力の"起こり"は一切なく、その状態を維持している。起こりは魔術を発動する際の揺らぎのようなもので、魔力を視覚化できると魔術師がどのタイミングで魔術を発動するかわかるようになるのだが、
(いつになったら使うのだろう)
そう呆れ半分で様子を伺っていたが、ふとおかしな点に一つ気づいた。
起こりはもちろんだが、彼の魔力の揺らぎが不自然すぎるくらい自然で微弱なことだった。
魔力の生成は息をするのと同じで、周囲の自然元素を吸収して体内に魔力として変換し、それと同時に余分な魔力は身体から外へと放出される。
これは生まれた時から身についている人間の生態の一つである。
魔術師の素質を測る基準として、この視覚化された魔力が大きければ大きいほど魔力総量が多く、魔術師として適性があると判断される。
だからこそ、この揺らぎの少ない魔力がまるで"意図的に抑え続けている"ように見えてしまった。
そして、次の瞬間、その違和感を晴らすように。
衝撃音と共に、前方にあった的が粉々になって散った。
何の前触れもなく、一瞬で。
(な、なに、いまのは?!)
ただ、漠然と眺めていたせいで全体の動きを追いきれなかったが、一つだけ確かな事があった。
あれは、彼の魔術だった。
(まさか、そんな、凄い…!)
興奮を抑えつつ、今見ていた流れを順を追って思い出していた。
先ほどまでみたものが全て本当だとすれば、彼は一体何者なのだろう。
一つ言えるのは、今の技術は学院では決して教えてくれないような内容だった。そうなると、あれは独学か何か系統流派のものだろうか。
その洗練された動きに、私は心奪われていた。
今思えば、その感情が芽生えたのはこの時だったのかもしれない。
以来、私は暇さえあれば彼を探すようになった。彼を見かける度に、意識してみればみるほど、彼の本質が見えてきた気がする。
"あれ程の実力"がありながら、彼は陰湿な虐めを受ける生活を送っている。
彼が何も言わないのは、言えないわけでもなく、構っている暇がないからだった。
ただ、一心に技の一つ一つを磨き上げていく。
その姿勢が私には眩しかったが、それでも歩むべき道に迷わないようにその背中をしっかり見続けていた。
◇
橄欖礼院では生徒の資質を測るために、年に二回の試験『技能試験』が実施されている。
一つは歴史学、魔術学、魔法生物学など幅広い知識を試す『学術試験』。
もう一つは魔術、剣術および戦術の素質を試す『実技試験』である。
数ヶ月前、セロは二年生になってから初めての学術試験で上位五名のうちに入った。
これで加点対象となり、次にある二つの実技試験でも高順位を取れれば、騎士団への入隊試験を受ける資格が得られる。
わけだが、その高順位を前回の試験で取ってしまった弊害で、貴族派閥の当たりがさらに強くなってしまった。
それ自体は予想の範囲であったが、ここで少し想定外のことが起こってしまった。
(まさか、ロッカーを開けられるとは…)
生徒のロッカーは学院から支給され、それぞれに持ち主以外が開けることの出来ない防護魔術が付与されている。
無理やり開けようとすると反撃術式が発動し、感電する仕様で、イタズラで開けようとしたものがいたが二ヶ月入院生活を送ったとか。
開けたり閉めたりしたが、自動施錠が起動しないところを見ると、
(防護魔術をそのものを解体したのか)
魔術解体。
魔術同士で打ち消しあうのではなく、文字通り魔術そのものの術式を解体して消す特殊技術。
主に防護魔術、結界魔術などの設置型に重宝されるが、習得難易度も高いため在学中に教わる事はあっても自在に操れる人間はかなり少ない。
(ましてや学院の教師が施した魔術を解体できるほどの腕前となると、限られてくるな。
なんというか、だいぶ面倒だな)
ロッカーの中を一通り確認したが、"あるもの"が無くなっていた。
魔術試験で必要になる特定魔術使用許可証、そして魔杖である。
基本的に学院内で自由に使用できるのは初級魔術と下級魔術までで、それ以上は危険なためこういった許可証がないと使用できない。
試験で扱う魔術は中級魔術から上級魔術までなので試験の前には必ず申請しなければならないので無くさないように仕舞っていたのだが。
(裏目に出たか…どうしたものか)
まもなく競技場で始まる試験を前に、物理的にどちらも用意するのは不可能だ。
試験に参加できても、準備不足で減点対象になりかねない。
「あ、あのセロさん」
集中していて、背後から近づいてくる人物に気づかなかった。内心自分が動揺していることにびっくりしたが、それをみた相手も少しびっくりしていた。
「オランジェ様、どうかされましたか?」
この学院で唯一自分がまともに会話する人物だ。ただ、この人も"あのギュールズ家"の人間であるため、正直なところ信用に足る人物か測りかねているところだ。
「いえ、試験前に一度お会いしたくて参ったのです」
不思議な言い回しだ。
妙に落ち着いている様子をみるに、本当なのだろう。
それにしても、まるで何かの願掛けのようだ。
「私は今年の騎士入団試験を必ず受けます。
そのため、この後の魔術試験で上位一位で受かる所存です」
凄く大きく出た。
しかし、あり得ない話ではない。噂では、この学年主席の魔術師としての技量は並の教師など相手にならないほどの実力だそうだ。
それにしても、この人も騎士団への入隊希望だったとは、かなり意外だった。
「そうですか、それならお互い頑張らないとですね」
上手い返しができなかったが、彼女は満足したように、はい!と満面の笑みを返してくれた。
「そうだ、何やら考え込んでいた様子でしたがどうかされましたか?」
確かに試験直前にこんな所で突っ立ていたら、不審な行動をしているようにみえなくない。
「実は…」
時間がないため、端的に説明した。
話を聞いている間、彼女は難しい顔をしていたが、話を遮ることなく最後まで待ってくれると、
「…なるほど、そういう事ならこちらを使ってください」
そういって渡されたのは、美しい白樺の杖だった。年季が入っているが、よく手入れされたいい杖だ。
「予備の魔杖です、もしもの時のために用意してたのですが活躍できそうで嬉しいです」
「そんな、お借りするなど」
「大丈夫ですよ、それに予備といっても私が幼少期から使っているお下がりですし。
あ、でもちゃんと使える杖ですから安心してください!」
まさかこんな所でこの人に助けられるとは。
自分自身、他人に借りは作りたくないのだが、今回は非常事態だしお言葉に甘えることにした。
「ありがとうございます」
「いえいえ!これくらいお安い御用ですよ。
それより、試験に参加できても許可証がないと通過するのは難しいですね。
下級魔術では限界がありますし…」
確かにそうだ。
下級魔術だけでは試験を合格するのに、威力が足り得ない。等級の違いは、根本的に魔術の出力によるものだ。
勢いのある激流であれば岩を動かせるが、ただの水飛沫では動かないのと道理だ。
だが、
「心配いりません、杖だけでも貸していただければ十分です」
彼女は驚いていた。
それは自分の強がりでも何でもなく、自力で何とかできる確信がある様子だったからだろう。
懸念点はいくつかある、少しでもミスがあればその場で試験は終了するし、最悪の場合退学もあり得る。
それでも、俺はこの試験から降りるわけには行かなかった。
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