第33話 陰謀⑤

 サナギだったイモムシが2匹ともチョウになった。

 ひらひらと舞う光沢のある漆黒の羽は魔王様を連想させて、とても綺麗だ。


 プールの上を飛ぶチョウを見て、ベリアル様も「だぁぁぁ」と言って指さしては喜んでいる様子だった。

 

 がしかし、このチョウたちをこのままここに置いておくわけにもいかない。

 チョウの食べ物は花の蜜らしい。

 魔王城にはフローラをはじめ植物系の魔族もいるけれど、たいていは虫やニンゲンを甘~い香りで誘って食べてしまうタイプのため、迂闊にチョウを近づけると勢いで食べられてしまうかもしれない。


 あれだけイモムシを怖がっていたフローラに、頭の花の蜜を吸わせてやってほしいとも頼みにくいし……外に逃がしてあげるのが一番だと思った。


「……というわけで、今日はチョウを魔王城の外に逃がしに行こうと思っているんです」

「そうか。ベリアルはどうする?」

「お散歩がてら、一緒にお連れしようかと思っています。よろしいですか?」

「わかった、よろしく頼む」


 いつものように川の字で寝て、魔王様とわたし、ほぼ同時に目を覚ましたところだった。  

 先代の魔王様の旅行中、ベリアル様を預かるようになって、夜は当たり前のように魔王様の寝室のベッドで一緒に寝るようになった。

 といっても、魔王様はお仕事が忙しくて、わたしが寝てしまってからそっとベッドに入って来るから、翌朝にベリアル様が目を覚ますまで、あるいはメフィスト様が来るまでのわずかな時間が魔王様とふたりで話せる貴重な時間だった。


「パール」

 魔王様の手が頬にふれて、唇が重なった。


 ――と思ったら、魔王様が「いてててっ!」と言いながら離れて…目を開けると、ベリアル様が魔王様の肩に乗って、その小さな手で魔王様の髪やツノを滅茶苦茶にいじっているところだった。

「ベリアル様、おはようございます」

 微笑ましい光景に自然と笑いがこぼれた。


「だうっ!」

 おはようの挨拶をしてくれたのだろうか、魔王様の左側のツノを勢いよく叩いて勢いよくあげた手が掴んでいるものを見て、わたしは思わず悲鳴をあげた。


「きゃあぁぁぁっ!魔王様っ!」

 魔王様は左のツノを押さえている。

 いや、正確に言えば、左のツノがあった場所を押さえている。


 そして、ツノ本体はベリアル様の手に握られていて、しかもそれをよだれまみれにし始めたのだった。


 お…折った?

 ベリアル様が、魔王様のツノを折ったの!?


「魔王様、大丈夫ですか? ツノが……」

 オロオロしているわたしに、魔王様は頭をさすりながら「大丈夫だ、もともとグラついていたんだ。問題ない」と言って苦笑した。 


 えぇぇぇっ? ツノ折れたんだよ?

 問題ないの!?


 混乱する一方で、これはチャンスだということにも気づいた。

 

 そうだ! 魔王様のツノがもらえれば……。


「あの! 魔王様!……そのツノ、いただけないでしょうか」

 思い切ってお願いしてみた。

 ツノがあれば、羽よりも効果が高そうだから、心臓問題を先延ばしにできるかもしれない。

 

 勢い込んで懇願するわたしに対し、魔王様は目を伏せて申し訳なさそうに言った。

「すまないパール。おまえの望みなら何でもきいてやると言っておきながら申し訳ないんだが、これはフローラに渡す約束をしているんだ」


「そうでしたか、もう先約があったんですね。わたしのほうこそ厚かましいことを言って申し訳ありません…」

 わたしったらまた、自分のことばかり考えてたわ。恥ずかしい…。


「パール、そのかわり……」

 魔王様が何か言いかけたとき、寝室のドアが開いてメフィスト様が入ってきた。


「パール様の悲鳴が聞こえましたが?幼い弟君が見ている前で嫌がるパール様を無理やり襲うなどという鬼畜行為は悪魔としては正解ですが、婚約前の男としては最低です」

「なっ! 何を言ってる、誤解だ!」


「ではなぜ、パール様が泣きそうな顔をなさっているんです?」

 メフィスト様のその言葉に焦ったのは、わたしのほうだった。

「違いますっ。これは、魔王様のツノが折れて驚いてしまって…」


 ツノ?と呟きながらメフィスト様は再び魔王様に目を向けると、ププっと笑った。

「なるほど、いつも以上にマヌケなお顔をなさっていると思っていたら、そういうことでしたか」


「うるさい、マヌケとはなんだ。失礼なヤツだな」

 魔王様はベリアル様がレロレロ舐め続けているツノを奪い、一瞬「うえっ」という表情を見せたあと、ベッドから立ち上がった。


「今日は終日不在だ。パール、お出かけは気を付けて行ってこい。ベリアル、パールのことを頼んだぞ」

「はい。魔王様もいってらっしゃいませ」

「だうっ!」


 さっき、魔王様は何を言おうとしていたんだろう…そう思いながら寝室を出て行く魔王様を見送った。

 

 パールが抱えている悩みが解決したら正式にプロポーズさせてくれ―――

 魔王様のあの言葉は、今でもまだ有効なんだろうか。

 魔王様の心臓をもらわなといけない――それが重い足枷となって、わたしの悩みは解決できそうにない。

 魔王様と我が一族セイレーンと、どちらか片方を選ぶことなど、とっくにできないほどに、わたしは魔王様のことが好きなのだから。


 ツノをフローラにあげる約束をしているっていうことは、煮え切らないわたしからフローラのほうへ心変わりしたのかもしれない。

 魔王城のみなさんの態度も相変わらずそっけないままで、すっかり嫌われてしまったようだし。

 もうそれならばいっそ、わたし自身が海溝に身投げでもすれば解決しないだろうかとすら思ってしまうけれど、自分に魔王様の心臓と張り合えるほどの価値があるとも思えない。


 魔王様の羽を利用した「ごまかし」はいつまでもつのだろうか…。


 パールには、深いため息をつくことしかできなかった――。



 お姉さま、パールは八方塞がりです!


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