第7話 水棲魔族用プール①

「ちょっとアナタ、なかなかやるわねぇ。ドジっ子キャラを演じて抜け駆けだなんて、卑怯じゃない?」

 サッキーの吐息が耳にかかってくすぐったい。


 魔王様との謁見を終えたわたしたちは、ヒツジさんに案内された応接室に居る。


 この広い応接室を囲むように個室のゲストルームが並んでいて、そこが花嫁候補のわたしたちが寝泊まりする部屋ということらしい。

 応接室はいわば共用スペースだ。


「では本日はごゆるりとお休みください」

 一通りの説明を終えたヒツジさんがと退室したところで、横に座っていたサキュバスのサッキーがわたしに抱き着いてきて耳元で息を吹きかけながら「卑怯だ」と言ったのだ。


「ひゃっ! あの、あの! 誤解です。わたし普段、下半身が魚なので二本足に慣れていなくて!」

 ゾクゾクしながら釈明するわたしに妖艶に微笑みながら、サッキーは色っぽい吐息とともに

「あら、おかわいいこと」

と言った。


「なんですにゃ、抜け駆けって?」

 ケットシーのミーナが猫目をくるくるさせながら聞いてくる。


「パールさんったら、わたくしたちが最敬礼の姿勢でいるときに、上手くできないフリをして、魔王様に手を貸していただいていたのよ」

「にゃっ、そんなことしてたのにゃっ!」


 フローラは、わたしたちをクスクス笑いながら見ている。


 ていうかサッキーさんったら、あの光景をしっかり盗み見ていたのね。

「ですからあれはフリではなくて、本当にわたし、足がポンコツすぎるんですっ!」


 わたし、そもそも花嫁狙いじゃありませんから!

 海の平穏を取り戻すべく、魔王様の体の一部を奪いに来ただけです!

 心の中で叫ぶ。


 でも……魔王様とすでにキスしてしまったことは黙っていたほうがいいだろう。

 どうしてあんなことになったのかよくわからないけれど、胸の奥にそっとしまっておこうと思う。



 翌朝、目を覚ますとまた体が熱っぽくてだるかった。

 寝心地のいいベッドでぐっすり眠ったはずなのに、まだ長旅の疲れが取れないのか、それとも水が恋しいのか……。

 

 朝食の時間になっても個室から出てこないわたしを心配したのか、ヒツジさんが様子を見に来てくれた。


「お加減がよろしくないようですね」

「水を……足がつけられるぐらいの桶に冷たい水を入れて持って来てはいただけないでしょうか」

 ベッドに横になったままお願いすると、ヒツジさんは快諾してくれた。


「ありがとう、ヒツジさん」

 お礼を言って、わたしは再び体を休めるために眠った。


 お姉さま、パールは水が恋しいです!


 ******


「私、ヤギなんですけどね」

 パールの部屋から出てきた執事がボソっとつぶやいた。


 それを聞いたフローラがクスクス笑う。

「パールさんて、執事さんのこと『ヒツジさん』って呼びますよね」


「あれはきっと、パールちゃん、なまってますのにゃ。『しつじさん』と言っているつもりですのにゃ」

 ミーナがしたり顔で言う。


「あらぁ、そうだとすると、指摘するのも可哀そうねえ。アナタ田舎者ねって言ってるみたいで」

 サッキーが妖艶に微笑むと、執事も頷いた。

「そうですね」


 わたしが眠っているときに交わされたこの大いなる勘違いのせいで、わたしはこの先随分と長い間、執事さんのことを「ヒツジさん」と呼び続けることになる。


 そのたびに魔王様をはじめ周囲の皆さんがわたしのことを生温かい目で見守ってくれていたのだと気づくのは、かなり先のことだ——。


 

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