第3話 魔王様の花嫁候補②


「パール、深海の存亡のすべてをあなたに託すわね。必ず……必ず魔王様から奪ってきてね、お願いよ。あなただけが私たちの希望なのだから」


 お姉さまがわたしの手を握りながら、切実な声で何度も同じ言葉を繰り返した。


「大丈夫よ、お姉さま。必ずや使命を果たしてきます。だから待っていてくださいね」

 お姉さまを安心させようと、わたしは笑顔で胸を張った。


 浅瀬の海面に出れば水質汚染、深く潜れば異常な地殻変動による海水温の乱高下と有毒ガスの発生……。

 海で暮らす魔物たちの健やかな住環境が皆無に等しくなってどれぐらい経っただろう。


 魔王城に嘆願書を送っても梨のつぶてで、ついに痺れを切らしたわたしたちセイレーン一族は、強硬手段に打って出ることにしたのだ。


『海溝の地殻変動を止めるには、魔王の体の一部が必要。心臓が理想的で、無理ならそれに準ずるものが必要』なのだという。

 先代の魔王様は、自ら出向いていらして、体のどの部位を使用したかについては不明ではあるけれど、地殻変動を鎮めてくれたらしい。


 現在では、おそらくそれがまったく機能していない。

 魔王様が代替わりして効果がなくなってしまったのだろうか。


 先代の魔王様は50年前に勇者によって滅ぼされた。

 今は代替わりして、息子が跡目を継いでいる。

 その新魔王に嘆願書を送ったにも拘わらず、無視され続けているのだ。


 バカ息子め。海で暮らす魔物たちのことなど、何とも思っていないのだろう。

 こうなったら力づくでも、刺し違えてでも、魔王から体の一部を奪い取ってやる!


 セイレーン一族の話し合いでそう決まった。


 その使命をなぜわたしが背負ったかというと、若いセイレーンの中で下半身を二本足に上手く変化させられるのが、わたしだけだったから。

 お姉さまもどうにか変化させることはできるが、歩行がわたし以上にポンコツすぎてダメだった。


 我々セイレーンは海の中で暮らしているため、下半身は魚の形状をしているのが常だ。

 背中には翼もあるから、ある程度の飛行はできるけれど、長距離は飛べない。

 海から出てしまえば、下半身を二本足にして歩かないことには魔王城にたどり着くことも、まして魔王様から体の一部を奪うこともできないのだ。


 こうして一族の使命を背負って魔王城までやって来たわたしだったけれど、生来、海から出たことがなかったために、ここに来るまでにとんでもない苦労をした。


 海の中のことならなんでも知っているのに、陸でのわたしはてんで世間知らずだったのだ。


 セイレーンは歌が得意だ。

 旅費を失ってからは、路上で自慢の歌声を披露して日銭を稼いだ。

 夜泣きがひどいという赤ん坊に子守唄を歌って寝かしつけるベビーシッターのアルバイトもした。

 何度もくじけそうになるたびに一族の顔を思い浮かべて踏みとどまった。


 だから、どうにか無事に魔王城まで到着して、ホッとしてしまったのかもしれない。

 魔王様の深紅の瞳を見た瞬間に、わたしは気を失ってしまった。


 体が熱くてとてもだるかった――。

 


 次に気づいたとき、わたしはどこかに寝かされているようだった。

 背中に当たるふかふかな感触が心地いい。

 ベッドだろうか……こんな寝心地のいい寝床に横になったのは久しぶりだ。


 いや、それよりも、唇に当たっているこの柔らかい感触は一体なんだろう?


 目を開けてみると、誰かの黒くて長いまつ毛がすぐ目の前にあった。


 これは……!? もしかすると……いや、もしかしなくても……!


 わたしはこの長まつ毛の持ち主と口づけの真っ最中だったのだ。


「んん~~~~っ!」

 驚きのあまり、体を起こしながら両手で思い切り突き飛ばした。


 艶やかな漆黒の長髪が揺れるのが見える。

 顔を上げると、深紅の双眸がキョトンとしながらわたしを見下ろしていた。

 

 その姿は紛れもなく魔王様で、つまりわたしは今しがた魔王様に口づけられていたということで……?


「なっ、なにをしてらっしゃるんですか!?」

 思わず大きな声で詰問すると、魔王様は下唇を親指で拭って、にぱっと笑った。


「よかった、元気になったか?」

 その口の両端に見える、尖った牙が色っぽい。


「ん~そのわりにまだ顔が赤いな。もう少し吸い取ったほうがいいな」

 魔王様はわたしの顔を覗き込みながら何やらブツブツつぶやいている。


 そして、何の話かさっぱりわからず首をかしげているわたしの頬を両手で包んで上を向かせると、有無を言わさぬ様子で再び唇を重ねてきたのだった。



 お姉さま、パールは生まれて初めての口づけを魔王様に奪われました。


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