第2話 魔王様の花嫁候補①
「ああ、魔王様っ! こんな至近距離で羽ばたくとはっ!」
執事が手に持っていた書類のうち半分ほどが風に舞いあげられる。
慌てて手を伸ばした執事の努力虚しく、書類はボコボコ泡立つ堀に吸い込まれていった。
瞬く間に溶けていく書類を救出する術はなく、執事は頭を小さく左右に振りながらため息をついた。
「魔王様。この堀の物騒な液体、やめませんか?」
「何を言っている、こういう『いかにも』なやつが、いいのだろう?」
そして魔王様と呼ばれた漆黒の男は、己の腕の中でフニャフニャになっている娘を覗き込む。
深海を思わせるネイビーブルーの目を大きく見開いたと思ったら、意識を失ってしまったのだ。
「怖がらせてしまったかな」
「あんな至近距離で魔王様と見つめ合うなど自殺行為です! そのチャレンジ精神に免じて、身元確認なしで入城ということでよろしいですか?」
執事が呆れ声で言った。
そして恨めしそうに堀を見やる。
落とした書類はもう跡形も残っていない。
「どうせ、身元確認用の書類は溶けてしまいましたし。ちょっと薄汚れていますが、おそらく本日到着予定の花嫁候補のひとりだと思われますので」
「いいだろう。俺がこのまま運ぶとしよう」
背中の翼をしまい、娘をヒョイっと肩に担いで城へと入ろうとする魔王の背中に向かって執事が諫言する。
「魔王様! 一人称は『余』または『我』です」
魔王は立ち止まり、めんどくさそうに執事を振り返ると、すぐにプイっと前に向き直った。
「はいはい」
「『はい』は1回で十分です!」
「はーい」
「伸ばさない!」
(あーうるせえ、これだから魔王様になんかなりたくなかったんだよっ!)
こみあげてくるやり場のない不満をどうにか抑えながら大股で廊下を歩く魔王に対し、すれちがう部下の魔物たちは頭を垂れて一礼してやり過ごしたのち、口々に肩に何を担いでいたのかを話題にした。
「なんか、白くて金色でふわふわしたもの担いでなかったか?」
「あれ女の子だろ」
「てことは、例の花嫁候補か?」
「自分の花嫁候補をあんな荷物みたいな担ぎ方するか?」
「だって、坊ちゃん、気が利かない野暮天だからな~」
「シッ! 『坊ちゃん』言うな。聞こえたらツノ折られるぞ」
一同は、次第に遠ざかっていく魔王の背中を生温かい目で見送った。
******
とりあえず倒れた娘を担いで執務室まで来たが……どうすりゃいいんだ?
扉を開けて中に入ると、側近のメフィストがボルドーの艶やかな髪を揺らしながら近寄ってきた。
大体何を言われるかは予想がついている。
だから俺は自然と目をそらした。
「魔王様、一体どこをほっつき歩いていらしたんですか?」
「ちょっと森へ視察に?」
「ほう、それで? その肩に担いでいるモノは、森で拾ってきたわけですね?」
俺はメフィストを見て首をフルフルと横に動かす。
「いや、この娘は橋をフラフラ歩いていて危なかったから回収してきた。橋から落ちると溶けるからマズイだろ」
メフィストはため息をついて娘の顔を覗き込むと、その紫色の薄い唇を不気味ににぃっと上げた。
「セイレーンですか、珍しい。歩き慣れていないのでしょうね、お可哀そうに」
「で、どうしたらいい?」
メフィストのこめかみからピキッという音がした気がした。
「どうされるおつもりだったんです? 拾ってきたのは魔王様なんですから、責任とっていただかないと困ります。まさか、こちらに丸投げする気だったんじゃあないでしょうね?」
「いやぁ……うん、まあそこまで考えてなかった」
メフィストがやれやれといった様子でため息をつく。
「あなたはまったく……とりあえず奥の仮眠室のベッドに寝かせては?」
「なるほど、いい提案だ」
さっそく執務室の奥にある仮眠室のベッドに娘を下ろした。
さっきから娘の体が熱い気がしていたのだが……ふわふわの金髪をかきわけて額を触ってみると、かなり熱いではないか。
慌てて執務室へと戻る。
「おい! あの娘、熱があるぞ?」
すると、髪と同じボルドーの瞳に侮蔑の色を込めたメフィストが吐き捨てる。
「吸い取ってあげればよろしいでしょうに」
怖い!
「はい……」
小さく返事をして仮眠室に戻った。
苦しそうに呼吸をする娘の赤い顔を見つめ、額同士をくっつける。
熱い……これだけでは吸い取り切れないな。仕方ない。
俺は、そっと娘の唇に己のそれを重ねた。
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