明日、魔女をやめるから
瀬戸 森羅
明日、魔女をやめるから
暖かな陽が差し、潮風が頬を撫でる。ここはクルリエの街。海を眺めるように沿岸に並ぶ街並みは美しく、海猫の鳴く声と汽笛や波の音が心地よい。市場はいつだって賑わっていて私が通ればみんな優しく声をかけてきてくれた。
「ミュー!今日も新鮮な魚がいっぱいだよ!」
「あ、おばさんこんにちは。でも、今日は別の用事なんです。すみません…」
「あぁ、いいのいいの!また寄ってね!」
「はい!」
「ミューちゃん!野菜はどうだい?」
「ばっか、肉だろ?ほらほら」
「えっと、違くて…」
「もういいだろ、ミューが困ってる。さ、早くおいき」
「ありがとうございますっ!」
とたとたと走り出して賑やかな声の中を駆け抜ける。
「……っと」
私はきょろきょろと周りを見渡して、誰もいないことを確認する。そうして路地裏に入り込むと、人気のない店の古ぼけた扉を開ける。
「ししょ~…いますかぁ?」
「おやミュー…」
遮光カーテンで覆われた薄暗い部屋の中で、ごちゃごちゃと物の置かれた机に向かい師匠が座っていた。
ぼこぼこと煮えたぎる音を響かせながら部屋の中央に置かれた釜が煙を上げている。そこから放たれる異臭にはもうすっかり慣れてしまった。
「今日はどうしたね……もうあんたは魔女としてひとりでやってるはずだろ?」
「それが…魔法薬の調合がうまくいかなくて……」
「どぉれ…みてやろう…」
そう言うと師匠は重たそうに腰を上げて私の傍に来た。
私は懐からレシピを取り出して師匠に差し出した。
「ふむ…材料は間違いない…だとしたら、あとはあんたの腕だね。…どれ、そこの釜を使ってみようか」
そう言って師匠は空っぽの釜の中に魔法薬の材料を入れ始めた。
「さてね…あんたは昔っから焦ってしまうからうまくいかないのさ。あたしが見ててやるから、ゆっくり落ち着いてやりな」
「はいっ!」
師匠が用意してくれた釜に火をつける。緑色の球根が赤みを帯びてきたら釜をかき混ぜ始める…ここまでは順調なはずだ。
「ふう…っ」
額に汗が滲んでくる。……わかっている。今私は焦りだしている。ぼこぼこと煮えてきた釜の底の方では既に材料が焦げ始めている。早くしないと焦げてしまうけれどこの釜をかき混ぜるには力が必要なのだ。重たい…でもはやく混ぜなきゃ…早く…早く…。
「ミュー!」
「はいぃっ!」
「言ったろ!焦るんじゃないよ」
「わ…わわ…わかってるんですけどぉ…だって…仕方ないじゃないですかぁ…」
「焦げるのを気にして早くかき混ぜようとしてんだろ?それが違うのさ…。いいかい?まずその材料はそう簡単には焦げない。仮に焦げたとしてもそれは薬効の素になるからそれでいいのさ。問題は混ぜすぎてしまうことさね…。そうすると釜の中で対流が起こって狙ったとおりに火が通らない。だから失敗するんだ」
「ほえぇ…」
「わかったら頭を冷やして手を止めな」
師匠に言われた通りに一旦手を止める。そしてゆっくりと釜をかき混ぜていくと…。
「あっ…色が変わってきた!」
「やればできるじゃないか」
魔法薬が完成した!
「わぁい!できたっ!」
「よしよし。……さて、ケイシィ!いるんだろ!」
その声が響き渡ると、私の内ポケットの中で眠っていたケイシィがぶるぶると震え出した。
「…ケイシィ、はやく出てった方がいいよ」
私が声をかけると内ポケットからのそのそと1匹の小さな黒猫が這い出てきた。
「えと……こんちは」
「ケイシィ!なぜ呼ばれたか、わかるね?」
「ボクが…あの…ミューへの補助を怠ったからです…」
「わかってんじゃないのさ。で?その理由は?」
「そ…そそ…それは…ボ、ボクは教えようとしてたんだ!でもミューったらせっかちだからさぁ、教えてやる~っていってるのにししょーのとこにいくんだ~って聞かなくて!だからボクは悪くない!もう少し待てばよかったのに!言うこときかないったら!」
「……ミュー、本当かい?」
「うそっ!ケイシィ教えてくれなかったもん!」
「だぁからぁ!今度教えるつもりだったんだって!だってさししょー!簡単に教えるより自分で考えさせた方がお勉強になると思わなぁい!?」
「…ケイシィはどのくらい教えてくれなかったんだい?」
「2週間っ!」
「ケイシィ…」
「ね、ほんとだったでしょ?まぁ~ったく、疑われるのも嫌なもんだよ」
「何言ってんだい。あんた、有罪だよ」
「はっ…?え、ちょ、ちょっと待ってよ!なんで、そんなのおかしいよ!」
「何がおかしいだ。いくらなんでも2週間も放っておくのが賢い教え方だとは思わないね。あんたはただ先延ばしにしただけだ。教えるのが面倒くさいから。それじゃあ有罪だ」
「だ…だから違うって…ボクは…」
「つべこべ言うんじゃないよ。さ、おいで」
「い、嫌だ!有罪は!有罪だけはぁ!」
ケイシィは師匠に首根っこを掴まれて連れていかれてしまった。……いい気味。
とりあえず魔法薬は完成したのでこれを依頼人に届けに行こう。
私は道具の入ったカバンを持ちその足で依頼人の家まで向かった。
コンコンコン……。
依頼人の家の扉を素早く3回ノックする。
「ミューです」
「待ってたよ。入ってくれたまえ」
そそくさと年配の男性が扉を開ける。
「失礼します」
「さ、はやく」
急かすように私を2階の寝室に案内する。
「う……うぅ…」
そこに居たのは病床に臥す少女だった。
「ぱぱ……?ど…こ…?」
「ヘレナ……もう大丈夫だよ。良い薬が手に入ったからね」
「ほん…と……?」
「お願いします。この子を助けてください」
「任せてくださいっ!それじゃ……」
私はカバンの中から調合した魔法薬を取り出しいくつかの素材と混ぜた。
「これをこの子に飲ませてあげてください」
男は私から薬の入ったコップを受け取ると急いで娘の口許にコップを運んだ。
「ヘレナ、これを飲むんだ。頼む」
「けほっ……ぐ…ごく…ん…」
「全部飲ませてくださいね。じゃないと効果が薄くなるので……」
「に…苦いよ……まずいよぉ…」
「飲んでくれヘレナ!」
少女は薬を嫌がり吐き出してしまった。
「あっ…!薬が……」
薬を激しく拒絶した少女はめちゃくちゃに手を振り、薬の入ったコップが宙に打ち上げられた。
そうしてそのコップの中身は悪いことに私の頭にぶちまけられるのだった……。
「なにをしているんだ!君!どうして君が薬を使うんだ!」
「いや……使ってるわけじゃぁ……」
「もういい!出ていけ!」
「ひっ……」
「うぅ……」
尚も苦しそうな少女がベッドの上で唸っている。
「……いえ、私はその子を治さないとならないんです…。続けさせてください……」
「どうすると言うんだね!?」
興奮した男は怒鳴るように私に訊いた。
「えっと……そのぉ…」
その迫力に気圧されて私の頭は真っ白になってしまった…。
「何も出来ないで!ならばもう用はない!帰りたまえっ!」
「ご…ごめんなさいぃ……」
私はぽろぽろと涙を零しながらカバンを抱えてその家から出た。
「うぅ…ひっく……」
涙を拭きながらまだ落ち着かない呼吸で帰り道を歩く。
「やぁミュー。どしたの?その様子じゃあダメだったみたいだね…聞かせてごらんよ」
師匠のお仕置が終わったのか、てくてくと歩いてきたケイシィが私の内ポケットに潜り込んできた。
「ケイシィ……。あのね、女の子が病気で寝込んでて…薬をあげたかったんだけど苦くて吐き出しちゃったの……」
「あぁ、それでキミはそんなにびしょ濡れなのか。はは、キミもボクみたいに毛繕いできたならすぐに乾いたろうにさ。さっきししょーにびしょ濡れにされちゃったけど、見てよ、もうツヤツヤ。キレイでしょ?」
「……どうすれば…良かったのかなぁ……」
「そんなの簡単さ。苦味を与えないようにすれば良かったんだ。例えば薬を別の飲み物に混ぜてあげたり、或いはオブラートみたいに味を通さないものと一緒に飲み込ませてしまえば良かったんじゃないかな」
「……んで」
「へ?」
「なんでいてくれなかったのっ!私…私……っ!怒られて…怖くて……わかんなくて…っ!」
とうとう私は感情が抑えきれなくなってしまった。
「うわわっ!まいったな…」
「ばかっ!ケイシィのばかっ!ぐすっ…私、これじゃあもうお仕事も来ないよっ!」
「まあまあ、1度失敗したくらいじゃ大丈夫だって……」
「この依頼だけでも2週間以上かかってるんだよっ!誰かが教えてくれないからっ!」
「な…なにさっ!それだったらその間キミはなにをしてたっていうのさっ!」
「調合を繰り返して……失敗してたよ…」
「ならキミが悪いじゃないか。そんなに時間があったのに成功できなかったんでしょ?同じ方法で何回やったって無理ってわかんないの?」
「なんで……そんなごと言うっ…のっ!」
「ほんとのこと言っただけだろっ!」
「もういいっ!!ケイシィなんて…知らないっ!」
「ふんっ!こっちだって!」
「ネコ缶だってあげないしっ!…ぐすっ…おうちにも入れてあげないんだもんっ!」
「うぐ…っ!あぁいいよ!別にボクはそこらのネコとは違うんだしぃ?むしろ寂しくていつも泣いてたのは誰なのかにゃ~?」
「うぅ…う……うわあぁぁあぁん!」
「はい、ボクの勝ち」
「こんのバカ猫っ!!」
私が盛大に泣き声をあげた時、あぜ道に怒声が響き渡った。
「うひゃあっ!」
その声を発したのは私の先輩の魔女ミルコさんだった。
「あなたね……ミューの気持ち考えてあげようと思わないの!?」
「ミルコさん……どうしてここに…?」
「ああ、あたしも依頼の帰りでね。たまたまこの道を通りかかったんだけど……こいつ!ケイシィ!あなたがかわいいミューをいじめてるのを見かけてね!」
「いじめてなんかないよぅ。ボクはただ本当のことを言っただけで…」
「黙りなさい!」
「にゃっ!」
「大丈夫よミュー。あたしだって何度も失敗したわよ」
ミルコさんは私の頭を撫でながら優しく励ましてくれた。
「ほんと……?」
「ほんとよほんと。ね?べリエ?」
ミルコさんの後ろからするりとしなやかな黒猫が出てきた。
「そうよ。このコったら、べリエのアドバイスをきいておきながら全然できないんだから」
「へへ…」
「えぇーっ!ミルコさんでもそうなんですかぁ…?」
「そうよそうよ!だからミューもね、絶対に何度も失敗するものよ」
「……ま、このおばかさんがアドバイスしてれば今回は違ったでしょうけどねぇ」
「なにぃ~?べリエ!今日という今日はボクとキミ、どちらが優れているか白黒はっきりさせようじゃないか!」
「イヤよ。あんたなんか競うまでもないわ」
「ぐぬぬ~!」
ケイシィは悔しそうに前足をぺしぺしと地面に叩きつける。
「でもねケイシィ。あなた、いい加減にした方がいいわよ?」
「な、なんですかミルコさん」
「もしも、もしもよ?このまま失敗ばかり続けてミューがもう嫌になっちゃって魔女をやめる、なんて言い出してごらんなさい?」
「せいせいするねっ!」
「……あんた、本物のばか?」
「…あのね、ケイシィ。魔女が魔女をやめる時、どうするかわかる?」
「そんなのミューの勝手じゃないの?」
「何も知らないのね。あんたほんとに使い魔?」
「魔法の使い方ならよく知ってるよっ!」
「なんであなたが知らないのかわからないけど、この際だから教えるよ。ミューも知ってるとは思うけど…きいてね」
私は知っている。その時、ケイシィがどうなるのか。
「魔女はね、魔力を持つと同時にいくつもの禁忌を背負うの。生き物の命のチカラを使って普通じゃありえない効力の薬を作ったり、森羅万象の理に逆らうようなチカラを使ったりできるようになるけれど、それをすると世界から嫌われるの」
「そんなことはわかってるんですよボクだって!」
「じゃあ、魔女がやめる時は、その魔力をどうするか……わかる?」
「そりゃあ……ねぇ…別にほっとけばいいんじゃないの?」
「……そうすると、必ずツケがくるのよ。魔力を持っていてその力を制御できていれば大丈夫だけれど、魔女をやめると魔力を使わなくなるから気づかないうちに魔力が制御できなくなるの。ガス漏れみたいに気づかないうちに魔力を垂れ流してしまって、それが濃くなってしまうと……呪われてしまう。呪われれば命を奪われるか死にたくなる程のペナルティを受けると言われているわ」
「ふ…ふぅん……じゃあ……どうするの?」
「あなたが、その業を背負わないといけないの」
「……は?」
「魔女は全ての魔力と今まで魔力を使ったことによる罪を黒猫に押し付けて、そうして魔女をやめるのよ」
「じゃ……じゃあボクたちはっ!死ぬってこと…?」
「そうよ。だから言ったじゃない。自ら死を選ぶばかはいないわよ」
「ね、ねぇ…やめないよね?ミューっ!魔女続けるよね?ねぇっ!?」
ケイシィは必死になって私に縋り付き肉球を押し付けてくる。さっきまでとの変わりように少し笑ってしまいそうになったがあんなこと言われて悔しかったから意地悪してやる……。
「私、才能ないのかなぁー?」
「ある!あるある!ね?あるよ?だから続けよ?おねがい?」
媚びるようにしっぽを揺らし私の周りをくるくると歩き回りながらケイシィが高い声で言う。
「はぁ……まったく、ほんとにばかね」
「うるさいぞべリエ!」
「ま、意地悪はほどほどにしてあげましょうか。ケイシィ!今度からはちゃんとアドバイスしてね?」
「うんっ!するさ!約束する!だからミューも魔女をやめないでね!」
「あはっ!やめないやめない。だから安心して」
「どうやらやっと仲直りみたいだね」
「……まぁ、こいつは現金なだけみたいだけどねぇ」
「そんなことないさ!ボクはミューを信頼してるんだ!ね?ミュー!」
「うんっ!」
「じゃあもうあたしは行くよ。ミューも元気になったみたいだしね」
「ありがとうございますっ!ミルコさんっ!」
「ばいばい」
ミルコさんは優しく手を振ると私たちが来た道を歩いていった。
「もう日が暮れちゃうね。はやく帰らなくちゃ」
「ボクもうお腹ぺこぺこ」
「買い物してから帰ろっか」
市場に着いたのは、既に日も落ちた頃だった。日跨ぎのできない商品は定価より安く買えるので仕事の少ないミューには安心して買い物のできる時間帯である。
「わ、見て!今日はお魚が安いよ!」
「新鮮じゃない魚はボク嫌いだなぁ」
「文句言うなら何も食べないでいいです!」
「あわわ、悪かったよ!」
「おやミュー。今度こそ買い物かい?」
「あ、おばさん。こんばんは」
「今誰かと話してたかい?」
「う、ううん!ひとりごと…」
「商品選んでるとつい口に出ちゃうわよねぇ」
「はい…」
魔女として生きていることは町の人たちにはナイショだ。だからケイシィと話していることもバレてはいけない。
「その魚、いいだろ?安売りしてるけど実は新鮮じゃないってわけでもないのさ」
「え、そうなんですか?」
「豊作でね。いっぱい獲れたから安売りしてるのさ」
「わあっ!じゃあこれ買います!」
「まいどっ!気をつけて帰ってね」
「ありがとうございます!」
思わぬオトク感に喜びながら市場を出た。
「ケイシィよかったね!新鮮なんだって!」
「わぁい!早く食べたいなぁ!」
足早におうちに帰りご飯を食べた。
「じゃあおやすみね、ケイシィ」
今日は疲れてしまったのでもう眠ることにした。
ミューが寝た頃、ボクはベッドから抜け出して家の外へ出た。
月明かりが海にきらきらと反射して美しい。潮の香りを含む夜風も心地よく、遠くから聞こえてくる波の音を子守唄にしてすぐにでも眠れてしまう……はずだったのだけど、今日はそうはいかなかった。
「べリエ…」
「あら、ケイシィ。どうかした?」
ボクはべリエの許を訪れていた。
ボクは魔法のことはよく知っている。でもボクがどうしてそれを知っているのかは知らない。
ボクはどこから来た?なぜべリエの知っていることを知らない?それが気になって仕方なかった。
「ねぇべリエ。ボクたちって、なんなんだろう?」
「何よ急に」
「キミは知っていたんだろ?ボクたちの最期のこと。おかしいと思わないかい?死ぬまで尽くさなければならないなんて、冗談じゃないよ!」
「……あんたは、望んでこうなったんじゃないの?」
「そんなわけないだろ!」
「そう…違うのね」
「じゃあなにかい?キミは自分から望んだとでも言うのかい?」
「ほんとにあんたは……いや、ばかじゃないのかもね。知らないだけ」
「なんだよっ!教えてったら!」
「あんたもそうよ。覚えてないみたいだけど、べリエたち黒猫が理由もなく魔女と契約することは有り得ないの。その証拠にあんたは魔法について知っているし人間と話すことだってできるじゃない。普通の黒猫は人間と話せないのよ?知ってた?」
「それくらい知ってるよ!でも、ボクは契約なんてしてない……生まれた時からミューと一緒だった……はずだ」
「そりゃそうよ。でもその様子じゃ生まれる前のことは覚えてないってことね」
「生まれる前?」
「そう。さっきも言ったけど普通の黒猫だったら魔法を知ってたり話したりしないでしょ?べリエたちは前世で魔法を使える存在だったのよ。でもね、魔法を使うと世界から嫌われる。べリエたちの魂は呪われてしまっている。だから黒猫になって次の魔女の世話をしなくちゃいけないの」
「それってしなきゃいけないことなの?要するに…死んでからまた死ぬまで黒猫にされてコキ使われてるってことでしょ?だったらもうサボってもいいんじゃないの?」
「そういう子もいたわ。そして罰を受ける。多分だけど、あんたはもう呪われてる。大切な前世の記憶を全て失っているんだもの」
「あ……」
「……前世の記憶があれば、この役目だって悪くないはずよ。魔法使いの使い魔としてしっかり命を使えば次も魔法使いとして生きられる。記憶を持ったままね。魔法使いは長い間そうして知識を循環させて生き続けてきた。魔女をやめる子がいても魔女は減らないわけよ」
「じゃあ……ボクは…」
「あんたは記憶を失ったみたいだけど、今のあんたの記憶は引き継がれるはずよ。魔法のことは憶えてるようだしね」
「……そうなんだ」
「やっぱり納得いかない?」
「そりゃあ…そうさ。正直、生まれ変われるとかそんなのも信じられない…」
「昔のあんたのことは知らないけど、罰を受けたのならもう次はないかもしれないわ。だからミューが魔女としての才覚を発揮しないうちに魔女をやめたら……あんたはペナルティで魂ごと消えてしまうかもしれない」
「そんな……やだよ!まだ食べてみたいものだってあるし、行ってみたいところだってある!」
「あんたは……」
「それに……ミューと、ずっと一緒にいたい……」
「…………」
「……ありがとう。教えてくれて。ボク、頑張るよ。そしたらきっと、人間になれるんだよね?」
「ま、そうね」
「そしたらさ!ね、ボクと…」
「イヤよ。あんたみたいなヤツ」
「まだ何も言ってないじゃないかぁ!」
「でもま、もしまた会えたらお茶友達くらいにはなってあげようかしら」
「へぇーっ!そうかい!じゃ、頑張らなくちゃ!」
「単純ね。でも、楽しみに待ってるわ。…だから、消えないでよね」
「当たり前さ!今まではただやらなかっただけなんだから!」
「それならいいけど…」
「よし、じゃあボクは戻るね」
「はいはい。それじゃあね」
今まで何のために頑張っていくのかわからなかった。そうか、そういうことだったのか。そりゃ目的がなくちゃやる気もわかないよね。今のボクはすっごくやる気に満ち溢れている!
待っててミュー!きっとキミを立派な魔女にしてみせるから!
翌朝私が目を覚ますと、珍しくケイシィが起きていた!いつも絶対に起きないケイシィが!
「ど…どしたのケイシィ?お腹壊した?」
「何言ってんのさ!早く起きて!仕事だよ仕事っ!」
昨日怒ったからわかってくれたんだ!ずっとこの調子でいてくれるといいなぁ!
「わかったよケイシィ!今日もがんばろっ!」
その日からケイシィはとてもはりきっていた。失敗しそうなことはアドバイスしてくれるし色んなアイディアを提案してくれた。
「え、ほんとにどうしちゃったの?最近のケイシィ、まるでネコが変わったみたいだよ!」
「心を入れ替えたの!というか…目的を見つけた?っていうのかな」
「どういうこと?」
「なんとボクは!ま……」
そう言った瞬間だった。ケイシィが途端に喋るのを止めた。
「なに?なんなの?」
「…………」
止めた…というよりも、止まった、と言った方が自然かもしれない。言葉だけじゃない。ケイシィは得意げに突き出した片手をぴたりとその場に留めたままぴくりとも動かないのだ。
「ケイシィ……?ケイシィ!おーい、何ふざけてるの?……ちょっと!いいかげんにしてよ!」
それでもケイシィは動かない。
「え……何これ…どういうこと……?」
ケイシィを持ち上げてみるがその身体は強ばり開いた口も伸びた手も剥製のように動かない。
「ケイシィ!ケイシィっ!どうしたの!ねぇ!」
「…………」
「こんなのおかしいよ…そうだ!ししょーなら知ってるかも!」
私は急いで師匠の許へ向かった。
「おやミュー…。どうしたね血相を変えて」
「ししょー!ケイシィが!ケイシィがね!動かないんですっ!」
「サボり癖はいつものことだろう?」
「そうじゃなくて……えっと…これっ!」
私は籠の中に入れてきたぬいぐるみのようなケイシィを取り出した。
「これは……」
「最近ケイシィすごく頑張ってたんです…今までとはまるで違ってなんでも教えてくれて…それでどうしたのってきいたらケイシィ、目的を見つけたんだって言って…それを話そうとしたら…固まって……」
私は説明してるうちに気がついた。
「どうしよう……私のせいだ。私がそんなことをきいたからいけないんだ…っ!」
「落ち着きな。……多分こいつは禁句に触れたんだ。どうせ調子に乗ってなんでも話しちまったんだろう」
「それって……」
「いいかい、魔法使いには秘密がある。それくらいまでは話してもいいけれど、そのことを何も知らない魔法使いに言ったらいけないのさ」
「どうして……?」
「ミュー、お前はあたしに禁句を言わせたいのかい?」
「あ……ごめんなさい……それで…ケイシィは、治るんですか?」
「安心しな。明日の朝には元に戻るはずだよ」
「良かった……私、すごく心配で…」
「……随分仲良くなったんだねぇ」
「ケイシィ、悪いところもあるけど、やっぱり良い子なんです。一緒にいてくれるから寂しくないし、憎まれ口ばっか言うけどその方が返ってわかりやすいし」
「ま、仲が良いことは悪いことじゃないね。あまり深入りしすぎるのも良くは無いけれどね…」
「大丈夫ですよっ!私、魔女をやめる気は無いですから!」
「……そうだねぇ」
コンコンコン。
唐突にノックの音が鳴る。
「誰だい」
扉が開いた先にいたのはミルコさんだった。
「先生、こんにちは」
「おやミルコかい。どうしたんだい」
「依頼の発注で……って、ケイシィ!?一体どうしたの?」
「これは……あぁ、そうだったわ」
「何か知ってるのべリエ?」
「んー、べリエが悪いかもしれないわ」
「ど、どういうこと?ケイシィに何かしたの?」
「ちょっと前にね……ケイシィがべリエのところに来たのよ。それでちょっとお話をしたの」
「もしかして…それからなのかな。ケイシィ、最近すごく頑張ってくれてて……目的ができたんだって。それを言おうとして固まっちゃった……」
「あぁ……やっぱりそうね。ケイシィに魔法使いの秘密について話したの。でもその内容をあんたたちに言うのはだめなのよね。ケイシィは魔法使いの秘密について知らなかったから教えてあげたんだけど……やる気は出たようだけど禁句のことについて伝えるのを忘れていたわ…ごめんなさい」
「でもでも大丈夫!明日の朝には戻るって!」
「そう……だといいわね」
「え……?」
「いや……なんでもないわ」
「まぁとにかく大丈夫なんでしょ?いやぁ入ってきていきなりケイシィが固まってるからびっくりしちゃったよ」
「あはは、そうですよね」
「ついに生贄にされたのかと思った」
「もう~私は魔女をやめませんって!」
「冗談冗談、ごめんね」
「じゃあ私、そろそろ行きますね。ケイシィも毛布で包んでおかないとちょっとかわいそうですから」
「またね」
「ししょー、ミルコさん、ありがとうございましたぁ」
そう言って私は店を出て家に帰った。
あれから1週間が経った。
ケイシィは、まだ動かない。
「ケイシィ……なんで……?」
師匠に訊いても待つしかないと言われ、何か知っていそうなべリエも教えてはくれない。多分禁句なんだろうか…。ケイシィがいない時間が続くほど、私は今までの口うるさい文句を聞きたくて仕方なかった。
「ねぇケイシィ……もうお話してくれないの?そんな楽しそうな顔をしているのに、もうケイシィと話せないの……?」
私は泣いてばかりいた。動き出すかもしれないからいつまでもケイシィから離れられず、そうして仕事もしていなかった。
「おーいミュー」
ミルコさんが家に来た。
「ミルコさん……」
「先生がさ、最近ミューが仕事をしてないっぽいって言ってたから来てみたんだけど……ケイシィ、まだ動いてないんだね」
「そうなんです……でもっ!ケイシィが少しでも動くかもしれない…からっ…私、見てなくちゃ……」
「あぁ、泣かないで…。うーん、べリエにききたいんだけどねぇ~、禁句なんでしょ?」
「……そうよ」
「解決法くらいは……だめ?」
「…………あー!わかったわよ!今回はべリエが悪いものっ!じゃあとりあえず説明の説明をするわ」
「説明の説明?」
「禁句の解除内容について説明するための方法についての説明よ!禁句の説明をしたらべリエは発言する前に呪いを受けて伝えられずに終わるわ。でも、実はそれを回避する抜け道もあるにはあるの」
「じゃあ呪われずに済むの?」
「済まない。べリエは呪われて動けなくなるわ。でも、べリエが悪いから仕方ない……それで!その方法なんだけど……これ!」
「紙とペン?」
「そう!これにべリエが書いた禁句の内容をうっかり他人に読まれてしまうと、そこに書かれた禁句の内容に応じた呪いを受けるの」
「大丈夫なの……?」
「ほんとはイヤよ…もしかしたらずっと動けなくなるかも。でも多分こいつ戻って来れないからしょうがない」
「わかった。お願いします、べリエ」
「うん。じゃあ紙はまだ見ないでね。固まっちゃうから」
それからしばらく別の方向を向いてべリエが書き終わるのを待った。
「もういいわよ」
そう言うべリエの声は少し上ずっていた。やはり怖いに違いない。
「じゃあ…べリエはしばらくお別れだから。あと頼んだわよ、ミルコ」
「任せてべリエ。あんたのこと忘れないから」
「い…いなくなるわけじゃないんですから」
「そうよね。だから別に心配しないわよ。あなたは絶対帰ってくるもの」
「ふふ、そうね。じゃあまたね」
そう言ってべリエは私たちに紙を渡した。
どうやって書いたのかというくらい綺麗な字が書かれていて、それに目を通した瞬間にべリエは固まってしまった。
「あ……」
「ちゃんと読んであげましょう」
「はい…っ!」
そこにはこう書かれていた。
『夢、呼び声、目覚め、砦の中』
「……これだけ!?」
「禁句っていうのはほんとにべリエが黙るのも納得しちゃうほど厳しいのね。こんな途切れた言葉だけでも固まっちゃうなんて…」
「ま、逆に言えばあんたたちはかなり有利ってことさね」
「どういうことですか?」
「あんたたち若い魔女は禁句を言っても良いのさ。あたしは伝えちゃいけないことばかりでねぇ。うっかり口を滑らせたら大変さ」
「でも…どうしてそんなものがあるんですか?」
「んー…魔女が簡単に情報を漏らさないためさね。もし外部に秘密が漏れ伝わればどうなるか……想像に難くはないねぇ」
「確かにそうじゃなかったらわざわざ魔女ってこと、隠す必要ないですもんね」
「依頼人とも契約をしているからね。魔女と直接接触できる依頼人が魔女のことを他言すれば大切なものを失う。これも古の魔女が施した強い呪いだねぇ」
「じゃあ失敗しちゃったところでも依頼人は腹いせに密告したりとかはできないんですね」
「そうだねぇ。簡単には口外できないね」
「まだ気にしてる?言ったじゃない。あたしだって失敗はいっぱいしたってさ。そこからあなたが魔女だなんて伝わるはずないって」
「そうならいいんですけど……」
「まあ今はこのメモのことを考えましょ!夢、呼び声、目覚め…砦の中……」
「そのまま考えれば夢の中で砦の中にいるケイシィに声をかければ目覚めるってことでしょうけど……」
「天才!?」
「え、えぇ…?」
「でも夢の中って?」
「寝たら夢の中にケイシィがいるんじゃないでしょうか?」
「名探偵!?」
「え、えぇ…?」
「まぁじゃあとにかく寝てみないとだめってことね。それじゃあ試してみましょうか。明日の朝また成果を報告するということで」
「はいっ!」
その日の夜、私が眠りにつくと夢を見た。
大きな花畑にいた。暖かい日差しがさしてとても心地よい。蝶がひらひらと舞い風のそよぐ音と鳥の歌う声が響きそこはまさに楽園という他ない絶景だった。
「きれい…」
私はその花畑で走り回る。わけもわからず楽しかった。
「あははっ!たのしー!……あれ?なんか、やらなきゃだったっけ…?」
曖昧な意識では現実のことなど思い出せるはずもない。私はただこの夢が覚めるまで花畑を飽きることなく走り回るのだった。
翌朝師匠の店でミルコさんと集まった。
「どうだった?」
「えっと……お花畑にいたような……」
「花畑!じゃあそこにケイシィがいたのね!?」
「それが…ケイシィはいなかったんです」
「えぇ?じゃあ声をかけることもできないじゃん」
「砦もなかったですしね…」
「ミルコさんは?」
「ミートパイを…食べていた」
「えっ」
「……それだけ」
「……まさか、そのミートパイの中に…」
「なっ、ないない!ないから!物騒なこと言うなぁ」
「じゃあ夢の中で声をかけるのは違うのかな…」
「うーん……」
しばらく沈黙が流れた。
「……魔女はね、暗号をよく用いるのさ」
師匠が口を開いた。
「ししょー!」
「単語の意味よりもそこに使われている文字に意味があることが多いね」
「文字…?」
「あたしに言えるのはここまでさ。あとはなんとか自分で考えな。大丈夫さ。できなくても呪いはきちんと解ける。しばらくはこのままになるだろうけどね」
「そんなのいやですっ!もうケイシィがいない日には耐えられない…!」
「ミュー…よしっ!絶対解き明かそう!ねっ!」
「はいっ!」
「それにしてもこれに使われている文字…夢、呼び声、目覚め、砦の中……」
「アルファベットにしてみたらどうですか?」
「ふむふむ……」
あれこれ試しているとひとつの文章ができあがった!
「『ネコのミンクの全ての言葉を読め』か…確かにこれが正解っぽい……」
「ネコのミンクといえばかなり有名で昔からある絵本ですもんね」
「ミューは昔好きだったからそこの棚にあるよ」
「わっ!取ってくれてたんですか!?」
「当たり前さ」
「ししょーだいすきです!」
「じゃあとりあえず読んでみようか」
私たちは絵本を開き読み進めた。
「む…むむ……これは…」
「ミルコさんっ!これ!」
「ただのお話だと思っていたけど……今の状況とよく似ている……」
「禁句避けの本さ。ただの本のように一般に流通させているけどそれは秘密を記した本でもある。珍しいものでもないけどミューが好きだったから取っておいて良かったよ」
「ほえぇ…」
その本には要約するとこのようなことが書いてあった。
ネコのミンクはイタズラばかりしていたのである時神様が怒って身体を石にされてしまった。
不幸なことにミンクは石にされたまま誰にも気づかれずに石像だと思われて飾られてしまう。しかしどこの家でも結局は捨てられてしまう。
何度目かの拾い主のトラックに載せられて運送中にトラックが急ブレーキをかけると荷台に載せられていたミンクは吹き飛ばされて川に落ちてしまう。
もうこのまま誰にも見つけてもらえない。ミンクは全てを諦めたが3日後の満月の夜、月明かりが川を照らすとミンクはもとの姿に戻ることが出来たという話だ。
「つまり…満月の光に照らされれば治るってこと!?」
「可能性は高いわね。水の中にいる必要があるかはわからないけど、万が一のためにも水につけておきましょう」
「か…かわいそうだけど……仕方ないよね」
「幸い満月はそう遠くない!これで元に戻れるはずだよ!」
「じゃあその日の夜は一緒にケイシィたちを見てましょう!」
「うん!そうしよっか!」
そして満月の昇る日の夕方。私たちは月明かりのよく見える川にケイシィたちを持ってきた。
「もし元に戻った時流されたり溺れたりしないようにしないとね…」
「はい!」
ケイシィたちが流れないように下に網を引いて月が昇るのを待つ。
やがてぽっかりと大きな満月が空に顔を出す。
「きた!きれいなお月様!」
「治るのか……!?」
月の光がケイシィたちを照らす。しばらく何も起こらなかったが、次第にケイシィたちの身体がじわじわと光ってきた気がする。
「ミルコさん…っ!あれ!」
光は次第に強まり、そうしてケイシィたちの身体はついに眩いほどの光に包まれた!
「ごぼごぼごぼ……っ!」
水の中から大量の泡が浮かびばしゃばしゃと水をかき分ける黒い手が見えた。
「ケイシィっ!」
「べリエっ!」
私たちは急いでケイシィとべリエを引き上げた。
「ごほっ!うぇっほ!…ぷー!なんだこりゃ!びしょ濡れじゃないか!」
「……けほ。よかった。やっぱり信じた通りね」
「わぁぁ!ケイシィ!ケイシィ~!」
「な、なんだいミュー!そんなにぐしゃぐしゃな顔をして」
「ありがとうべリエ。あなたがいなかったらケイシィを助けられなかった。」
「……借りを返しただけよ。あぁ、もう一度忠告しておかなくちゃ。ねぇ、ケイシィ!」
「ん?一体これはどういうこと?」
「あんたに禁句のことを言い忘れていたの。この間あんたに言ったこと、覚えてる?」
「あぁ、あのむぐ…」
「言わないでよろしい。とにかく、魔法使いの秘密に関することを口にしたらあんたは呪われて固まってしまうの。それだけは覚えておいて」
「え、じゃあこれってまさか…」
「そうだよぅ!ケイシィ、10日も固まったままで…私もう寂しくてどうにかなっちゃいそうだった…」
「は…はは……10日…そんな時間が経っていたのか……」
「下手したら永遠だったかもしれないわね。元に戻してくれた2人には感謝しなくちゃ」
「ありがとう!ふたりとも!」
「ううん、帰ってきてくれてありがとね」
「かわいいミューが困っているんだから協力しない訳にはいかないよ」
「はぁ、疲れたわ。帰りましょ」
「待ちなよべリエ。ふふっ、ね、ケイシィ。なんであたしたちが呪いの解き方わかったと思う?」
「ちょ、ミルコっ!余計なこと言うなっ!」
「あははっ!恥ずかしいんだ?」
「えぇ?なになに?」
「いいからあんたももう帰んなさい!はい、解散!」
半ば強引にべリエに帰らされた。
その日の夜は、久しぶりにケイシィと過ごせた。
「あぁ、ケイシィ。やっぱりこのつやつやを抱きしめて寝るのが1番の癒しね」
「く、苦しいよ…」
「今日くらいは……いいでしょ?」
「ま…仕方ないか。10日もキミの面倒を見られなかったんだ。ボクがいないとてんでだめだもんなぁ」
「そんなことないも~ん」
「ははっ。そうだね。立派な魔女になってね。約束だよ?ミュー」
「うんっ!」
やっと取り戻した、暖かい夜。
そう、私とケイシィはずっと一緒。
もうどこにも行かないでね。ケイシィ…。
私はすっかり安心して、そうして安らかに寝息を立てた。
あれから何年が経ったんだろう。
今私は、少しは魔女として成長した実感を持って暮らしている。
今でも失敗することはあるけれど、その全部が成長に繋がってるって思える。それくらいには成長したと思うんだ。
その日私は師匠の店を訪れていた。いつもと変わらない依頼品の納品。それだけで済めば、どれだけ良かったことだろう。
「ししょ~っ!来ましたよぉ~」
私はいつも通りに師匠の店へ赴き調合した魔法薬を渡す。
「早かったねミュー。どれ魔法薬は…ふむ、完璧だね。あんたもそろそろちゃんとした魔女かねぇ」
「えへへ…まだはやいですよぉ」
「謙遜することはないさ。何年前だったか…あんたが魔法薬の作り方を訊きに来たの、覚えてるかい?」
「あぁ、ケイシィがまだサボり魔だった頃の!」
「そりゃあボクがきちんと教えればそんなの簡単に作れるさ!」
「調子にのらないのっ!」
「ふふっ。ま、最近のミューは確かに褒めてあげてもいいくらい自分でできるようになったけどね」
「ありがとっ!」
「どうだいミュー…ひとりでも魔女ができるようになったなら、そろそろ弟子のひとりでもとったらどうだい」
「いやぁ、それは…まだ自信ないですよぅ」
「とっちゃえとっちゃえ!そしたらボクはもう…」
「え?なに?」
「ううん!なんでもないよ!」
「でもなぁ~弟子かぁ~。ふふ、なんだか良い子とだったら楽しくやれそうだよねぇ」
「ミューは良い子だったから、あたしは楽しかったよ」
「えっへへ…ししょーも良い人だったから、私も頑張れたんですよ」
「ミューや…」
コンコンコン。
幸せなムードに水を差すようなノックの音が響く。私は浮かれた気を引き締め扉に向かう。
「誰だい」
「えっと…ブラングドッグの町のエイナです」
「滋養強壮のエリクシールの…入りな」
「失礼します」
その声が聞こえた数秒後、乱暴に開け放たれた扉から武装した数人の衛兵が入り込んできた。
「貴様、魔女だな?」
「なっ…」
「そうです!この人魔女なんです!早く捕まえて!」
「……契約を忘れたんじゃないだろうねぇ…!」
「ひっ!は、はやく!はやく捕まえて!」
「無駄だよ…あたしがかける呪いじゃあない。あんたは大切なものを失う!」
「忌々しい!さぁ、とっとと来い!」
そう言うと衛兵が師匠を拘束した!
「ミュー、あたしは大丈夫だ。あんたははやく逃げな!」
「で、でも…師匠が!」
「いいから!さ!」
「逃がすかっ!」
「ミューに触るんじゃないよっ!」
師匠が念じると私を捕まえようとした衛兵は金縛りにあったように動けなくなった!
「あたしを誰だと思ってるんだい。こんなやつらに捕まるはずないだろう」
「ふんっ!強がりを!」
「いきなミュー!」
「は…はいっ!」
私は走って店の外へ出た。
「なっ!こいつ!どこへ消えた!」
「せめてあの少女だけでも捕まえるんだ!はやく!」
後ろから大きな声が聞こえる。師匠は逃げられたんだろう。ならば私も捕まるわけにはいかない!
「ししょー!ししょー!…ぐすっ!なんで?なんで急に…」
「一体何が起きたんだいミュー!?」
周囲の様子からただごとではないことを察したケイシィが内ポケットから声をかけてきた。
「ししょーのお客さんが…魔女のことバラしたみたい」
「なんだって!?」
「それで、衛兵さんたちがやってきて…私たちを捕まえようとした!」
「なぜだ…密告を行えば強い呪いの効果を受ける…。自ら魔女のチカラを借りたクセに、そこまでして魔女を追い立てようというのかっ!」
「あっ!これ…!」
町の掲示板が目に入る。そこに貼られていた一枚の紙には、大きくこう書かれていた。
『魔女追放令』
「なに…これ……」
「みてミュー…これ…情報提供者には100万二ーディだって…」
「100万!?それじゃあ大切なものを失ってでも密告したがる人がこの先も出そう…」
「まずいよミュー…ひとまず家に帰ろう。住所までは知られていないよ」
「う…うん…」
私はこの状況に目眩を覚えながらふらふらと家に帰った。
しんと静まり返った家で、震えているしかなかった。仕事の依頼をしてきた者が告発できる状況。依頼すら嘘で会った瞬間捕えられるかもしれない。私は疑心暗鬼に陥ってしまった。
「…そうだ!ミルコさんはこのことを知ってるのかな?知らせないと…!」
私は急いでミルコさんの家へ向かった。
「ミルコさんっ!開けてください!ミューですっ!」
「どうしたんだい血相変えて」
ミルコさんはまだ何も知らないという顔をしていた。
「知らないんですかっ!ミルコさんっ!」
「お、落ち着いて…ちょっと今お客さん来てるから…」
…嫌な予感がした。
「お客さん…って…誰ですか?」
「え?ほんとどうしたの?知り合いの魔女の子だけど…」
魔女と聞いて少し安堵する。しかしまだ油断はできない。
「何しに来てるんですか?その子」
「ちょ…ちょっとぉ。流石にそういう話は…」
「いいから答えてくださいっ!」
「なっ…んー…なんか魔女をやめたっぽいけど…」
「魔女をやめた…?」
「せんぱいー、誰と話してるんですかぁ?」
部屋の奥から女の子が現れた。
「あぁ、後輩の子なんだよ」
「へぇー!そうなんですね!」
やけに嬉しそうな顔をしてその子は笑う。
「あ…あなた…ひとりですか?」
「んー?そうだけど…どうして?」
「……」
目つきが変わった。この子は告発するつもりだ。お世話になったはずのミルコさんをっ!
「えぇいっ!」
私はとっさにその子を押さえつけた。
「な、なにしてるのっ!?」
「ミルコさんっ!逃げてくださいっ!この子は信じちゃいけませんっ!」
「いや急にそんなこと言われても…いきなり襲いかかってるのはあなたの方でしょ?ほら、離しなさい?」
「で…でも……」
「もう一度だけしか言わないわよ?」
「……ぐ…」
私は仕方なくその子の拘束を解いた。
「なにするのかなぁ?この子は。あぁびっくりした」
「ごめんなさいね。普段はこんなことする子じゃないんだけど…」
「ミルコさんっ!話をきいてくださいっ!」
「…ごめんね、もう帰ってくれる?」
「そ…んな…」
「大事な話の途中でごめんね。さ、部屋に戻りましょ」
ミルコさんはその子を促して部屋に入っていってしまった。振り返ったその子は、いやらしい笑みを浮かべながら私を一瞥して部屋に入っていった。
「……よくやったよ、ミューは。でも多分無理だ。何人隠れてるかわからない」
「……うぅ…ミルコさん…」
「ほら、ボクたちも行くんだ!顔を覚えられないうちに!」
「う…うん…」
私たちは急いで家まで戻った。
「どうしよう…多分ミルコさんは……」
「名前を呼ばれなかっただけ良かったけど、時間の問題かもしれないね…」
「今まで頑張ってきたのに…どうして急にこんなことに…」
「少し前から話はきいてた…。不気味なチカラで世界を脅かそうとしている者たちがいるって噂になってる。それを真に受けた人達が、正義の名のもとに行っているんだと思う」
「自分たちだって助けてもらったのに!?」
「…そういうものだよ。人は、きっといつまでもそうだ。強すぎるチカラをそのままにしておかない。だからといって、こんな一斉にやりだすとは思っていなかったけど…」
「私は…私も……捕まるしかないの…?」
「……いや…あるよ。捕まらずに済む方法が」
「えっ…?」
「キミが、魔女をやめることだ」
「それって…」
「さっきの子は元魔女なのに告発してただろう?素性を隠したかどうかはわからないが今現在魔女の者を告発するのは元魔女だとバレるリスクが大きい。つまり魔女かどうかは魔力の有無で判断している可能性が高いんだ」
「どうやって…」
「…多分だけど…裏切り者がいたんだろうね。そいつが協力して魔女を潰そうとしている」
「なんでそんなこと…!」
「……少しだけなら、わかるかもしれない」
「どうしてっ!?」
「呪われているんだ。魔女ってのは。だから、消えた方がいい」
「じゃあ…じゃあ私たちは消えるしかないってことなのっ!?」
「だからさ、ミュー。ボクを殺してよ」
「え……」
「キミが死ぬことはないんだよ。だってさ、いつもバカ正直で、ドジで…でも…一生懸命で…優しくて、かわいい…そんなキミが、なんでこんな目に合わなきゃならないんだ」
「でもっ…それって…」
「ボクのことはいいんだよ。だって、キミはもうボクがいなくなったって生きていけるでしょう?」
「だめっ!だめなの…っ!私は…ケイシィがいなかったら…なんにもできない…!」
「……キミは、知らないだけさ。今までずっと一緒だったんだ。ボクが1番よくわかってる」
「……うぅ…うううぅっ…」
「だから…ね。…決めようか」
「ぐすっ…ふぅ…うっ…今じゃなきゃ…だめなの…?」
「…早い方がいいよ。もう残された時間は少ない。お金に目が眩んでみんな必死だろうから」
「じゃ…じゃあ…っ!あ…明日…。明日……魔女をやめるから…っ!だからっ!」
「……」
「今日は…今日だけは……ずっとそばにいて…」
「…うん。わかった。ずっと一緒だよ。ミュー」
私はケイシィを抱きしめた。淡々と話していたくせに、ぶるぶる震えてる…。強がっちゃって……もう…なんでこんな時は、うるさく弱音吐いてくれないの…?
「ケイシィ…ケイジィ……」
「ミュー…ありがとう…」
ケイシィと過ごせる最後の時間。私は時が経つのも忘れてひたすらにケイシィの温もりを確かめていた。
だが、その時間も長く続くものではなかった。
ドンッ!
玄関のドアが乱暴に破られる音がした。
「ここにいるのはわかっているぞ!魔女め!出てこいっ!」
「なっ!なんでっ!?」
「まずい…ここで捕まったら魔女をやめる儀式はできない…」
「どうしよう…上がってきちゃう…っ!」
「逃げるんだよっ!はやく!」
しかしすぐさま衛兵が上がってくる。
「いたぞっ!」
「こいつですか?」
その後ろから現れた男に衛兵は尋ねた。
「あぁそうだよ…こいつだ…こいつが魔女なんだ…!」
そこにいたのは、数年前に私が魔法薬の投与を失敗した依頼人だった。
「あ…あぁ…!」
「あの時は世話になったなぁ…市場で君を見かける度に、いつか酷い目に合わせてやろうとずっと思っていた」
「そんな…だ…だって!契約!そんなことしたら!ヘレナちゃんがっ!」
「お前がヘレナの名を呼ぶんじゃないッ!」
「ひっ…!」
唐突に目を見開いて叫んだ男はじりじりとこちらに近づいてくる。
「ヘレナはね…あの後容態が悪くなっていったんだ……日に日に衰弱していって…そうして…ついに……」
「な…それって…」
「そうだ!お前のせいだ!お前があの時魔法薬をしっかり飲ませていればヘレナが死ぬことはなかった!魔女め…お前だけは許さないっ!」
「ごめんなさい…ごめんなさいぃ……」
それを聞いた私は逃げることすら諦めてしまった。
「耳を貸すなミュー!魔法薬は強力だけど死んでしまうほどの病気を完全に治せるほど万能じゃないっ!それにこいつは運命を捻じ曲げるチカラを魔女に求めただけだ!ミューが失敗したから彼女が死んだんじゃないっ!」
「いや…私のせいだよ…だから…」
「誰と話している?」
「まさかこの猫か!?」
「隊長は言っていた!魔女は黒猫を使役していると!」
「ではこいつも魔女の手先か!」
あっという間にケイシィが捕まってしまった。
「はっ…離せ…っ!」
「ケイシィ!ケイシィっ!」
「大丈夫!ミューが無事ならボクはミューのもとに行ける!だから逃げるんだっ!」
しかし脱力していた私の背後には、既に男が迫ってきていた。
「捕まえたぞ」
私はその男に捕らえられてしまった。
「いやっ!離して!」
「離すものか。憎き仇だ。少女だろうと容赦はしないぞ」
そう言う男の目は怒りや悪意に満ちてぐつぐつと煮えたぎっているように見えた。
「やだ……怖いよ…」
「ミュー!ミューっ!!」
「ごめんね…ケイシィ……」
私は男に強く殴られて気を失った。
……頭がぼうっとする…。ここはどこだろうか。
目を開くと沈んでいく陽が私の目を眩ませた。
再び目を開きその光に目が慣れると、私は随分と高いところから街を見下ろしていた。
「きゃあっ!なにこれっ!」
驚いて身体を動かそうとすると、手足に鈍い痛みが走る。
「痛…っ!」
私は街の広場で手足を縛られたまま柱に括り付けられていた。そしてその周りには大勢の人間がいた。
「やだ…やだやだ…っ!なにこれ!ケイシィ!ケイシィどこっ!?」
「探し物はこちらですか?」
全身を黒い布で隠すような服を着た者が私に声をかけてきた。彼の示す先には身体を木箱に詰められ首だけを出されたケイシィがいた。
「いやぁぁああっ!」
「ミ…ミュー…大丈夫だよ。ボクはまだ…生きてる…」
掠れるような声でケイシィは私に話しかけてきた。
「ケイシィ…でももう……いや…なんでもない」
ケイシィの詰められた木箱が鈍く変色しているのを見たが、私は気づかない振りをした。
「どうやら…だめだったみたいだ……」
「なんで…こんなこと……」
「当たり前でしょうっ!魔女は忌々しい存在です!」
その男が高らかに叫ぶ。
その声に同調するかのように周囲の人々が私に罵声を浴びせる。
「あ…おばさんっ!助けてくださいっ!」
「あんた…あたしらのこと騙して生活してたんだろ?自業自得だよっ!」
「そんな…」
「無駄だよ…ミュー……もうボクたちの話を聴く者はいない…悪いとか…悪くないとか……そんなこと関係ないんだ」
「そんなのって…おかしいよ…」
「…ねぇミュー。憶えてる?ボクとした約束…。キミがこんな目にあってしまったのも…全部ボクのせいなんだ…」
「そんなことないっ!私が魔女になりたかったの!」
「キミは立派な魔女になってくれた…それは本当に嬉しいことだった…。楽しい日々だった…。でも…キミがこうなってしまったら…なんの意味もないじゃないか…っ!」
「私だって…もっとケイシィといたかった…。だから…最後のわがままを言った…私が悪いんだ……」
「違うよミュー…ボクがそうしたかったんだ…。離れたくなかったんだ……。すぐにボクがキミから魔力を奪って、そうしてどこかへ行けば良かった…。なのに……どうしても…キミと離れたくなかったんだよぉ……」
「うう…っ…ぐっ…」
「ごめんねミュー…」
「でも…良かったなぁ……私…絶対に…ケイシィを…生贄になんてしたくなかったから……」
「…ありがとう…ミュー…」
「なぁにあれ?猫と話して泣いてるの?」
「やだ、気持ち悪い」
「見ましたかみなさん、これこそが魔に手を染めた者の邪悪な取引です。何をしでかすかわからない!だからこそ、はやく断罪しなくては!」
その男が手をあげると私の縛られた柱の下に大量の薪が運ばれてきた。そしてその頂点、私のすぐ目の前にケイシィの木箱が置かれた。
「さぁ!これこそが私たちの正義ですっ!」
男が叫び薪に火をつけた。
木の焦げる匂いと呼吸が出来なくなるほどの煙が上がってくる。
そしてぱちぱちと薪の弾ける音が強くなり、とうとう私の足元まで火が近づいてきた。
「熱い…熱いよ……」
「苦しいだろうけど…ミュー。これで終わりだよ…。ね、ミュー。こんな時だけどさ…最期までずっとキミと一緒にいられることが…何より嬉しいんだ」
「ケイシィ……」
「さぁ、息を止めて…ミュー。帰るんだ…ボクと一緒に……それだけのこと…」
「ありがとう…だい…す…き」
そして私の意識は煙とともに溶けていった。
魔女は死なない。呪われているから。
この魔女の大検挙は魔法使いたちの歴史を大きく変えた。
魔女をやめた者たち、魔女を告発した者たち、魔女を殺めた者たち。その全てに報復することが魔法使いたちの目標になってしまった。
記憶を引き継いで生まれ変わる魔法使いたちと、その全てを絶やそうとする者たちの、暗い戦いの歴史が始まってしまった。
裏切られ憎しみを持った魔法使いたちは報復に生きるようになったはずなのだが…とある湖のほとりに、1匹の黒猫と1人の魔法使いが、誰にも知られずに暮らしているらしい。いつまでもいつまでも幸せに暮らしたのだという。
明日、魔女をやめるから 瀬戸 森羅 @seto_shinra
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