第22話 鉄槌

 暁斗の露草色の双眸は、桃娘本人であるみことではなく、その父親である刀眞の姿を捉えた。それから、掴み上げていた男鬼の前髪をぱっと手放すや否や、刀眞の元へとやって来た。


「ん? みことに直接訊くんじゃねぇのか?」


「貴殿に訊ねた方が、客観性に欠けてない話を聞かせてもらえそうだからな。それに、貴殿の言葉には力がある」


 確かに、現代最強と言わしめた男鬼である刀眞には、鬼頭と鬼柳、それぞれの本家の当主と匹敵するほどの強い発言力がある。


 母親を亡くしたら速やかに冬城一族の屋敷に引き取られるはずだったみことと、短い間だったとはいえ、二人で暮らせていた期間があったのは、それだけ鬼社会においては刀眞の意思が尊重されるからだ。


 暁斗の答えに納得したらしい刀眞に、質問が浴びせかけられる。


「鬼頭刀眞。先程まで貴殿の娘を桃娘と呼んだが……鬼柳みことは、本当に桃娘なのか」


 それは、この場にいる誰もが疑問に思っていることだろう。暁斗の問いに、刀眞は溜息を吐いてから答えた。


「……みことは生まれつき、桃娘の特徴を兼ね備えてる。金の瞳に、桃に似た香り、それから……自分を産んだ母親を早々に死に追いやった」


 誰もが知っている桃娘の知識について、刀眞の口から改めて語られると、胸がえぐられるような思いがした。

 当然、みことも思うところがあるみたいで、形の良い眉をきゅっと寄せている。


「だから、桃娘なのかって質問には、答えはイエスだ。でもな……みことの主治医によると、みことは女鬼でもある可能性があるんだと。正確には……桃娘の性質を持つ女鬼だっていうのが、医者の見立てだ」


 刀眞の返事に、大広間の中にざわめきが広がっていく。


 数日前、病院から検査の結果が出たと連絡を受け、刀眞とみこと、親子二人だけが呼ばれて帰ってきた後、幸斗は今と全く同じ説明を受けた。


「ほう……それで? 鬼柳みことは、濃い鬼の血を引く子や次代の桃娘を産めるのか?」


「それは、みことが実際に子供を産んでみねぇことには何とも言えねぇな。産めるかもしれねぇし、産めないかもしれねぇ」


 あんな露骨な言い方をされたら、刀眞は怒り狂うのではないかと思ったのだが、案外冷静だ。


(俺とみことが、やることやってるってほのめかすようなこと言われた時は、歯軋はぎしりしてたのに……)


 実際には、それどころではない状況が続いたため、幸斗とみことはまだ白い結婚のままだ。

 だが、そうとは知らないから、義理の息子への怒りに駆られたのだろうか。それとも、単に自分の娘をそういう目で見るなと、威嚇いかくしていただけだったのだろうか。


 どちらにせよ、面倒くさい義父だ。


「そうか……鬼柳みことが、男鬼を圧倒するほどの力に目覚めたようだと報告が上がってたが、身体能力の方はどうなんだ?」


「あれ以来、人間の範疇はんちゅうに収まらないくらいには、身体能力が向上したな。多分、俺から遺伝したんだろうって、医者には言われた」


 刀眞があくまでも淡々と告げた言葉に、先程の比ではないほど、大広間に詰めかけていた鬼たちの間に動揺が走った。


 それはそうだろう。ずっと自分たちの制御下に置いておけると思っていた桃娘が、修羅と呼ばれた男を父に持ったことで、文字通り「修羅の娘」になってしまったのだから。


「だから、また力が暴発しないように、しばらく俺がアンガーマネジメントと力のコントロールの仕方を教える予定だ。そうすりゃ、ああいう事件はもう起きないだろ。みことの逆鱗げきりんに触れるようなことをやらかさない限りはな」


「なるほどな……だが、その言葉だけでは安心できない者も少なくはないだろう」


 暁斗の指摘はもっともだ。


 これまで桃娘が鬼の一族から受けてきた仕打ちを考えれば、それなりの憎しみを募らせているのではないかと恐れるのが、自然だろう。


 ここにいる多くの鬼の目には、今のみことはいつ爆発するか予想が難しい地雷のように映っているのかもしれない。


 実際のところ、みことはそんなに怒りっぽくはないし、家族と平穏に暮らせればそれで充分だと考えるような、基本的に温厚な女性だ。


 しかし、それほど親しいわけではない上、あの事件の概要だけを聞いた者たちからしてみれば、みことに復讐の鬼みたいな印象を持ったとしても、ある程度は仕方がない。


 すると、今まで黙って事の成り行きを見守っていたみことが、すっと手を挙げた。


「そんなに不安で仕方がないというなら、わたしに監視でもつけたらいかがでしょうか」


 決して、みことは声を張り上げたわけではない。

 それなのに、みことの透明感のある愛らしい声は、ざわめく大広間の中でもよく通った。


「……みこと?」


「元々、護衛という名目で常に複数の鬼に見張られてる身です。今さら、そこに監視という名目が加わろうと、数が増えようと、わたしは痛くもかゆくもありません」


 怪訝そうな父親の声を無視し、みことは暁斗を見上げて尚も言い募る。


「まずは、一年の期限を設けましょうか。一年間、監視した結果、わたしが危険な存在ではないと証明できれば、監視を解いてもらう。監視した結果、それでも危険だと判断した時には、また一年監視を続行すればいい」


「みこと。先程、構わないと言ったばかりだが……やはり、若い女性には酷な案じゃないのか」


 さすがの暁斗も、若い女性のプライバシーを侵害する案を積極的に取り入れる気はないみたいで、明らかに難色を示していた。

 でも、みことはにっこりと笑顔を作り、歌うような口調で言葉を続けた。


「別に、無理をしてるわけじゃありませんよ。先程も申し上げました通り、人に見られる生活には慣れてますから……むしろ、監視の役目を任された鬼が可哀想かと」


「それは、どういう意味だ?」


「だって……新婚夫婦の監視ですよ? そんなの、拷問も同然じゃありませんか」


 にこやかに告げたみことの言葉に、場がしんと静まり返る。

 だが、数拍の後、不意に暁斗が肩を震わせた。


「……なるほど? 自分たちの幸せを見せつけて、相対的に相手を不幸にしようとは……何とも残酷な罰だな」


「別に、誰かを苦しめたくて提案したわけじゃありませんけど。ただ、あとから文句を言われても困るので、もしこの案を通すなら、そのくらいの覚悟はしておいてくださいって伝えておきたかっただけです」


 幸斗と結婚して、肝が据わったのか。あるいは、鬼の力が覚醒したおかげで、強者の余裕が生まれたのか。

 今、幸斗の隣にいるみことは、以前からは考えられないほど、したたかに見える。


「あ……でも、ゆきくんが嫌なら、別の方法を考えるよ」


 唐突にこちらへと振り返ったみことが、慌てたようにそう言い添える。


「いえ……嫌ではありませんよ。今までみことと一緒に暮らしてても、それほど人の目が気になったことはありませんし。最も平和的且つ、効果的な手段だと思います」


 人も鬼も、最も恐怖を抱く状態とは、言葉ばかりが独り歩きし、実際に目の当たりにしたわけでもないのに、想像だけが膨らんでいく時ではないかと思う。

 みことの案ならば、誰も血を流さずに済むし、自分の目で見て確かめることができる。


 ただし、幸せな結婚とは縁遠いことが多い鬼は、心に致命傷を負いかねないが、そこは自己判断で監視役を引き受けるかどうか決め、たとえそうなったとしても、自分で決めたことだと諦めて欲しい。


「ならば、監視対象の同意も得られたことだし、その方向で行こう。ああ……それと――」


 みことに向けられていた露草色の眼差しが、もう一度刀眞へと戻る。


「――鬼頭刀眞。貴殿の娘の寿命は、桃娘と女鬼、どちらの長さと同じくらいになりそうなんだ?」


 これまでの桃娘同様、みことも短命なのか。もしくは、女鬼としての性質も持ち合わせているのだから、通常の桃娘よりも長く生きられるのか。

 その点は、まだ幸斗もみことからも刀眞からも明確な答えをもらえていない。


 しばしの沈黙の末、刀眞が静かに答えた。


「それも……その時になってみなけりゃ、分からねぇよ。なんせ、前例がねぇんだからな」


 刀眞の返答は、実に曖昧なものだ。

 前代未聞の存在になってしまった以上、誰にもみことの行く末に見通しを立てられないのだろう。


 しかし、それで良いのだと思う。


 人も鬼も、自分や相手の寿命がどのくらいの長さかなんて、誰にも分からない。

 短命だと決まっていたみことが、もしかしたらもう少し長く生きられる可能性が生まれただけでも、幸斗は嬉しい。


 もちろん、過度な期待は禁物だ。

 みことに妙なプレッシャーをかけたくはないし、もし桃娘の宿命をくつがえせなかった場合、幸斗にぬか喜びさせてしまったと、罪悪感に苦しむ姿が目に浮かぶからだ。


「そうか……不躾ぶしつけな質問だったな。許せ」


「別に構わねぇよ。こんな話聞かされたら、そりゃ気になるだろ」


 刀眞に気分を害した様子はないし、みことも特に気にしている素振りはない。


 暁斗は幸斗とみことを一瞥した後、美しい所作で上座へと戻っていった。


「さて……あまり長々と話し込んでも、退屈させるだけだからな。そろそろ終わらせよう」


 再び上座に腰を下ろし、脇息に頬杖をついた暁斗は幸斗を見遣った。


「――鬼柳幸斗殺害未遂及び、鬼頭瑠璃への暴行に関しては、まず被害者たちに相応の慰謝料を鬼柳本家から払う。首謀者と実行犯には……どんな報いを受けて欲しいと望む?」


「……まさか、俺に決めさせるつもりですか」


 幸斗がそう問いかければ、兄はふっと微笑んだ。


「安心しろ、あくまで結論を出すための参考にするだけだ。鬼頭瑠璃もこの場にいたなら、意見を聞くところだったんだが……生憎とまだ入院中だからな。せめて、お前の望みだけでも聞こう」


 大広間に詰めかけている鬼たちの視線が幸斗に集中するのが、目で見て確認しなくても分かる。

 目を伏せ、しばしの逡巡の末、微笑みを湛えたまま弟の返事を待つ兄へと視線を戻した。


「……瑠璃さんには、慰謝料だけじゃなく、治療費や入院費も出してください。しばらく療養が必要なようですから、その分、誰よりもお金がかかるはずです」


「そのくらい、お安い御用だ」


「それから……俺の命を狙い、瑠璃さんを暴行し、みことをかどわかそうとした不届き者たちへの報いは……兄さん、貴方の裁量に任せます」


「いいのか?」


「ええ。過不足なく対価を支払わせる加減が、俺には分かりかねますので」


「なるほど……それならお言葉に甘えて、俺の判断基準に基づいて制裁を与えよう」


 にっこりと笑みを深めた暁斗は、どこまでも不気味だ。

 露草色の眼差しが幸斗から逸れたかと思えば、隣のみことへと向けられた。


「それで、鬼柳みことに関してだが……護衛と共に監視をつけるということで、本当に構わないんだな?」


「はい」


「みことは被害者でもあるから、念のために訊いておこう――大切な者たちを傷つけ、自らをも害そうとした奴らに、どんな罰を望む?」


「……わたしも、貴方様の裁量にお任せします。ただし……これだけは言わせてください」


 そう宣言した直後、みことがゆらりと立ち上がった。

 先刻とは違い、その瞳孔は細くなっていないものの、厳しい眼差しで後ろ手に縛られた男鬼たちをひたと見据えている。


「わたしは、自分が仕出かしたことへの罪を、時間をかけて償います。ですから貴方たちも、自分たちの行動の結果、相手の心と身体にどれほどの痛みと恐怖を与えたのか……わたしが与えた傷の痛みから想像しなさい。自分が犯した罪を、努々ゆめゆめお忘れなきよう」


 その姿は、さながら裁きを下す正義の女神のように凛然りんぜんとして美しい。

 そう告げるや否や、みことは再度腰を下ろして洗練された所作で畳に手をつき、暁斗に向かって頭を下げた。


「発言の場を設けていただいたこと、心より感謝いたします」


「礼を言われるほどのことじゃない、気にするな。さて――これで、一連の騒動の処分は決定したな。これにて、裁判を終了とする」



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 明日以降は、毎日お昼の12時に1話ずつ更新していく予定です

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