予約 後編
(うっそぉ……)
つい先刻受け取ったばかりのペアチケットに目が釘付けになったままのみことは、心の中でそう呟いた。
ドラッグストアで会計を済ませた際、それなりの数の商品を購入したおかげか、商店街でのみ使える福引券を二枚もらったのだ。
だから運試しにと、幸斗と共に福引きに挑戦した結果、みことがテーマパークのペアチケットを当てたのだ。
夢と幻想の国と謳われているテーマパークのチケットか、すき焼きセットが当選したら嬉しいなとは思っていたが、まさか本当に当たるとは予想だにしていなかった。
「よかったですね、みこと。そこの遊園地、昔から好きでしょう?」
ペアチケットに落としていた視線を上げれば、幸斗が柔らかく微笑みかけてくれた。
その微笑みを目の当たりにしたら、今までいじけたり、複雑な心境になったりしていたのに、何だか全てがどうでもよくなってきた。
幸斗とペアチケットを交互に見比べた末、そっと差し出す。
「ゆきくん。誕生日にはちょっと早いけど、これ誕生日プレゼントにあげる」
幸斗の誕生日は、今月の二十四日だ。
ちょうど、今年は何をプレゼントしようかと頭を悩ませていたところだったから、これも何かの巡り合わせなのかもしれない。
「いいんですか?」
「うん。『好きな人』を誘って、行ってきて」
幸斗は、特別遊園地が好きなわけではない。
だが、中学生の男の子ならば、美術館や植物園よりは、テーマパークの方が意中の相手を誘いやすいのではないか。
みことも笑顔を作って幸斗の手にペアチケットを握らせると、紫の眼差しがそこに注がれる。
「それじゃあ、帰ろっか」
かさばるものや重いものは幸斗が持ってくれているから、みことが肩にかけているエコバッグは軽い。
だから、足取り軽く踵を返そうとした矢先、唐突に右手首を掴まれた。
驚いて振り返れば、再び紫水晶の瞳に捉えられる。
「なら――」
みことが口を開くよりも早く、幸斗へと身体ごと向けられたかと思えば、先程渡したばかりのペアチケットの片割れを、掴まれた右手に握らされた。
「――今度のイブ、俺と一緒に行ってくれますか」
みことは「好きな人を誘って」と背を押す言葉を添えて、幸斗にテーマパークのペアチケットを譲り渡した。
そうしたら、幸斗にクリスマスイブに一緒に行こうと誘われた上で、ペアチケットの片割れがみことの手に戻ってきた。
この一連の行動が意味を汲み取れないほど、みことは察しが悪くない。
しかし、みことにとっては不意打ちでしかなかったため、咄嗟に反応することができなかった。
「え、えええ……」
我ながら間が抜けていると思う声が、秋の夕暮れの空に吸い込まれていった。
***
「ゆきくん、早く早く! パレード始まっちゃうよ!」
「みこと、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。それより、転んだり人にぶつかったりしないように気をつけてください」
「もう……ゆきくんこそ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
クリスマスイブ当日。
その日は幸斗の誘いを受け、共に夢と幻想のテーマパークに訪れていた。
思いがけない誘いに戸惑いつつも受けた直後、そういえば幸斗は受験生なのに、のんきに遊びに出かけても大丈夫なのかと、遅まきながら気づいたのだ。
でも、幸斗曰く「受験生にも、息抜きは必要」とのことらしい。
確かに、幸斗は小学生の頃から成績優秀で、受験する予定の高校も余程のことがない限り落とされないだろうと、担任の教師に太鼓判を押してもらえたと言っていたから、一日くらいならばこうして遊んでいても支障はないのかもしれないと思い直したのだ。
そして今日、みことは幸斗と一緒に全力で楽しみ、最後に夜のパレードを見てから帰る予定だ。
ちなみに、みことが幸斗とクリスマスイブにテーマパークに遊びにいくと伝えたら、父も一緒に行くと言い張っていたものの、幸か不幸か、仕事が入ってしまったため、今日は来られなかったのだ。
その代わり、瑠璃が護衛についてくれているはずなのだが、朝から夜の間、ずっと姿が見えないどころか、気配すら感じられない。
もしかしたら、みことたちに気を遣ってくれているのかもしれないと考えているうちに、目的地に辿り着いた。
今日はラズベリー色のワンピースの上にアイボリーのコートを羽織り、朱色のマフラーを首に巻いているのだが、それでもじっとしていると寒い。
両手に息を吹きかけてみても、あまり効果を感じられない。
(手袋もはめるかぁ……)
スマートフォンを操作する上で、手袋は邪魔になってしまうから、できれば避けたかったのだが、背に腹は代えられない。
渋々、モスグリーンのショルダーバッグからパールグレーの手袋を取り出そうとした寸前、ふと右手を掴まれた。
咄嗟に振り向くと、前を見据えたままの幸斗に手を握られた。
その上、幸斗の指がみことの指と指の間にするりと絡みついてきて、否応なく頬が熱くなっていく。
声もなく繋がれた手に視線を落としていたものの、パレードの賑やかで華やかな音楽が聞こえてきたから、慌てて意識をそちらへと向ける。
だが、あれほど心待ちにしていたはずのパレードの一団が近づいてきているにも関わらず、しっかりと繋がれたぬくもりにばかり気を取られてしまう。
気恥ずかしさからマフラーに鼻先を埋めた直後、低く穏やかな声が鼓膜を震わせた。
「――みこと。今日はみことの時間を俺にくれて、ありがとうございます」
幸斗が感謝の言葉を述べている間にも、パレードの一団がゆっくりと目の前を横切っていく。
美しく幻想的な光に視線を固定したまま、マフラーに隠れたままの口をもごもごと動かす。
「べ、別に……わたし、ここ好きだし、今日はすっごく楽しかったし……お礼を言うのは、わたしの方だよ」
陰で護衛されているとはいえ、幸斗と二人きりでテーマパークに遊びにきたのは生まれて初めてだ。
だからその分、いつも以上にはしゃいでしまったし、幸斗はみことの希望ばかり優先するから、結局誕生日プレゼントにはならなかった気がする。
「だ、だから、その……こっちこそ、今日はありがとう、ゆきくん。いっぱい楽しませてもらっちゃった」
空いている左手でマフラーを下にずらして隣を見上げると、はにかみながら繋いだ手をきゅっと握り返す。
こちらへと視線を向けた幸斗は、何故か息を呑んだ後、またすぐにみことから目を逸らしてしまった。
多少疑問には思ったものの、みことも正面へと向き直り、眼前を通り過ぎていくパレードの一団を目で追っていたら、再度隣から声が聞こえてきた。
「……みこと。俺たちは小さい頃から、同じ家で一緒に暮らしてますよね」
「うん……? そ、そうだね?」
今さら過ぎる言葉に困惑しつつも、前を見据えたまま頷く。
「だから、昔からそのことでからかわれることもありましたし、ありもしない噂話を流されることもありましたよね」
「まあ……小中学生の好奇心を掻き立てるには、充分なシチュエーションだろうからね……」
幸斗の言う通り、確かに小学生の頃から二人ともその手の嫌がらせを受けてきた。
みこととしては、その程度の攻撃で満たされる自尊心しか持ち合わせていないなんて、ある意味幸せだなとしか考えていなかったのだが、もしかして幸斗は嫌な思いをしてきたのだろうか。
もし、そうだとしたら申し訳ないと思っている間にも、幸斗は言葉を続ける。
「だから、俺のせいでみことが傷ついたりしたら嫌だと思って、ずっと黙ってました。でも……俺が曖昧な態度を取り続けたせいで、かえってみことを振り回してきたのかもしれないとも思ったんです」
「……それって、十月の時の話?」
また隣を振り仰ぐと、いつの間にかみことを見下ろしていた幸斗が浅く頷いた。
「うーん……別に、振り回されてはないよ?」
みこと自身の感情に翻弄はされたものの、幸斗に振り回された覚えは砂粒ほどにもない。
少し首を傾げてそう答えれば、幸斗はどうしてか微かに眉間に皺を寄せた。
「……それはそれで、少し複雑ですね」
「ゆきくん、面倒くさい男の子みたいだよ」
みことがそう指摘すると、幸斗は咳払いをしてから言葉を紡いだ。
「……話を戻しますね。今は一緒に暮らしてるから、もしそういうことになったら、お互いあることないこと言われるでしょう。だから……俺があの家を出るまで、待っててくれますか」
そう問いかける幸斗の手が、先刻よりもみことの手を強く握る。
「今日、誘った時点で自分の気持ちを伝えたも同然ですけど……ちゃんと言葉にして伝えたいんです。だから……俺が高校を卒業するまで、待っててください」
パレードの幻想的な光が、次第に遠ざかっていく。
しかし、人工的な光よりもずっと美しく澄んだ輝きを閉じ込めた紫水晶の双眸に見つめられている今、惜しむ気持ちは露ほどにも湧かなかった。
ゆっくりと、唇から吐息が零れ落ちていく。
冬の夜気に晒された呼気は白く染まり、やがて冷たい空気に溶けて消えていく。
幸斗と手を繋いだまま、もう一度マフラーを口元まで引き上げると、小さく頷いた。
「――うん」
照れ臭くてたまらなくて、そのたった一言を口にしただけで、どっと疲れてしまった。
パレードが終わったから、周囲にひしめくようにして見物していた人垣が、ぱらぱらと割れていく。
ある者は帰るためにゲートへと向かい、またある者はパーク内にあるホテルへと足を運ぶ。
みことたちもそろそろ帰らなければと、繋いだ手を軽く揺らした直後、幸斗が空いている右手をおもむろに差し出してきた。
何事かと目を瞬かせたのも束の間、クリスマスらしくラッピングされた可愛らしい小さな包みに、まさかと勢いよく幸斗を見上げる。
「――メリークリスマス、みこと」
「ゆ、ゆきくん……クリスマスプレゼント、用意してくれたの?」
誕生日プレゼントならば、毎年幸斗と贈り合っている。
でも、幸斗からクリスマスプレゼントをもらうのは、今日が初めてだ。
受け取ってもいいのかと、幸斗の顔とプレゼントを見比べていたら、繋いでいた手を放され、両手のひらの上に包みを乗せられた。
「……ありがとう、開けてもいい?」
「どうぞ」
包みのリボンをするりと解くと、いつか見たものとよく似た色合いの、リップグロスが中から出てきた。
だが、幸斗がプレゼントしてくれたのは、みことがドラッグストアで見たものよりも、もっと値段が高いコスメブランドのものだ。
再び視線を上げれば、幸斗が柔らかく微笑みかけてくれた。
「香夜さんに、中高生の女の子が好きそうなものを教えてもらったんです。みこと、本当はこういうの、欲しかったんでしょう?」
確かに、そういうことに関しては香夜が身内の誰よりも詳しい。
しかし、みことの内心をばっちりと見抜かれていた上、香夜にまで筒抜けになっていそうで、気恥ずかしさが胸の内に込み上げてくる。
「う、うん……そう、だよ。本当に、ありがとう。でも……わたし、ゆきくんに何も用意してない……」
元々、今日は幸斗への少し遅れた誕生日プレゼントのつもりだったのに、本当にみことばかりがもらってばかりだ。
今からでも何か探そうかと考えていたら、先手を打つように幸斗が口を開いた。
「今日一日、みことの時間をいただいたんですから、それで充分ですよ。それに――」
幸斗の手がこちらへと伸びてきたかと思えば、何度も上げたり下げたりしていたせいで、形が崩れてしまっていたみことのマフラーに触れ、そっと巻き直してくれた。
「――みことは、待っててくれるんでしょう? そうしたら、その間のみことの時間もいただくようなものなんですから、これ以上は望みませんよ」
そう言い終えると同時に、幸斗の手が離れていく。
視線を落とすと、みことが巻いた時よりもずっと綺麗に形を整えられたマフラーが視界に入った。
幸斗の言う通り、みことは待つと約束した。
でも、幸斗は今のうちからこんなにも素敵な男なのだ。ただぼんやりと待っているだけでは駄目だと、本能が囁く。
(だから……わたしは待ってる間、自分磨きをしないと……!)
幸斗の隣に並び立つに相応しい女性に、少しでも近づきたい。
そのためにも、自分でできることから少しずつ努力していこう。
(とりあえずは今まで通り、花嫁修業を頑張ろう!)
花嫁修業では、家事や芸事と一緒に、礼儀作法も学ぶ。
みことには、品格がまだまだ足りないから、それを徐々に身につけていければと思う。
(それに……できたら、わたしからもちゃんと伝えたいな)
相手を想っているのは、なにも幸斗だけではないのだ。
みことの口からも、この気持ちを言葉にして伝えたい。
そんなことを考えながら、幸斗から受け取ったプレゼントを包み込むように握り締めた。
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