幕間 鬼と桃娘の恋

修羅と呼ばれた男

「――ねぇ、男鬼は結局顔と胸で女の人のこと判断するよねって聞いたけど、ほんとー?」


 ――つい先程まで、春休みにどこに出かけるかと談笑していた幸斗ゆきと刀眞とうま、それから冬城の屋敷に遊びにきていた恭矢きょうやを取り巻く空気が、みことが突如として投下した爆弾により、あっという間にぴしりと凍りついた。


 三月も半ばを過ぎたというのに、男鬼三人は真冬の雪原、あるいは戦火の真っ只中に放り出された心地だ。


 そんな三人の心境に構わず、のんびりと食後のお茶を飲むみことに、いち早く衝撃から立ち直ったらしい刀眞が問いかけた。


「……みことー? それ、誰から聞いたんだ?」


「んー? ここのお手伝いさんー」


みことの返事を聞いた幸斗は、思わず眉根を寄せる。


(ここのお手伝いさん、ろくな話しないな……)


 つい二ヶ月ほど前にみことが突然失踪したのも、元はといえば女中が叩いた幸斗の陰口のせいだ。

 口さがない女中たちに内心辟易している幸斗を余所に、みことの話は続く。


「それでね、写真で見るお母さん、顔は可愛いし、胸も結構大きいでしょ? だから、お父さんはお母さんのことが大好きなのかなぁって思って」


 幸斗は直接みことの母親であるひかりに会ったことはないが、写真でその容姿は知っている。そして、ひかりがみことの言う通りの女性だと分かっているからこそ、刀眞はどう答えるつもりなのかと、息を潜めて見守る。


 恭矢も似たような心境なのだろう、同情に満ち満ちた眼差しを刀眞に向けていた。


 だが、当の本人は幸斗たちの心配など意に介さず、みことの質問にあっさりと答えた。


「いや? 俺、見た目だけなら、ひかりのことそんなに好きじゃなかったぞ?」


「そうなの!?」


 母がどういう女性だったのか、いかに愛していたのか聞かされて育ったみことにとって、父の返事は青天の霹靂へきれきだったに違いない。

 かくいう幸斗も、信じられない気持ちでいっぱいだった。


「だって俺、結婚式当日まで自分が結婚するって知らされてなかったんだぞ? しかもひかりの奴、良くも悪くも人形みたいに澄ました顔してたしよー。第一印象、あんまり良くなかったな」


「お父さん、ぶっつけ本番で結婚式やったの!?」


 それは、あまりにも可哀想だ。幸斗なんて、想像しただけで胃が痛くなってきた。


「……有名ですよね、その話」


 恭矢は既に知っていたみたいで、苦笑いを浮かべながら遠い目をしていた。


「じゃ……じゃあ、お父さんはどうして今はお母さんのこと、大好きになったの?」


「んー? ひかりの奴、意外と気が強くて負けず嫌いだったからだな」


「お父さんは、お母さんが気が強くて負けず嫌いだったから、大好きになったの?」


「まぁ、きっかけはそうだな。俺、気が強い女好きだし。あとは、相性が良かったんだろ」


「ふーん……」


 理解したのか、よく分からないのか、みことは曖昧な声を出すと、どこからともなく取り出したノートに鉛筆で父親の答えを丁寧に書き出していく。


 そんな中、幸斗は恭矢と目を合わせ、互いに頷き合った。


 ーーこれが、修羅と呼ばれた男か。


 実の娘から浴びせられた集中砲火も難なくかわし、無事生還してみせた刀眞に、滅多に向けない尊敬の眼差しを恭矢と共に注ぐ。


「じゃあ、きょう兄さまはどんな女の子が好き?」


 鉛筆を動かす手を止めたみことが顔を上げ、今度は恭矢を無垢な黄金色の双眸でじっと見据えた。


 しかし、刀眞が先に手本を見せてくれたからだろう。

 心に余裕が生まれた恭矢は柔らかな微笑みさえ浮かべてみせ、みことをまっすぐに見つめ返しつつ答えた。


「兄さまは、一生懸命な頑張り屋さんが好きだなー」


 見た目には触れず、内面に関する好みだけ口にすればいい。

 幸斗と同じように、刀眞の回答からそう学習したらしい恭矢が返事をすると、みことは何故か目を輝かせた。


「兄さま、それ香夜かよちゃんのことでしょ!」


 まだ幼くとも、みことは恋バナが好きみたいだ。にこにこと楽しそうに笑っている。


「みことのことでもあるよー」


「そうなの? 兄さま、ありがとう!」


 ただ単純に質問に答えただけではなく、しっかりとみことを喜ばせてみせた恭矢を目の当たりにした刀眞は、悔しそうにギリっと歯を食いしばった。


 そんなに強く歯軋りをしていたら歯が欠けてしまうのではないかと、刀眞を横目に考えていると、不意に紫の眼差しと黄金の眼差しが絡み合った。


「じゃあ、最後にゆきくんは? どんな女の子が好き?」


 ここまで来れば、みことが幸斗にも問いを投げかけるのは、最早必然だろう。

 そう頭では理解しているのだが、先に質問に答えた二人がにやにや笑いながら幸斗の答えを待っているのが、ひどく鬱陶しい。


 なるべく二人の顔が視界に入らないようにしつつ、少し考えてから口を開く。


「……一緒にいてホッとする子、でしょうか」


 両親を失ってからみことと出会う幸斗の境遇は、安穏あんのんとはかけ離れたものだった。

 息をするのも躊躇われるような張り詰めた空気を思い出すだけで、気持ちが沈んでいく。


 だから、一緒にいることで自ずと緊張を強いられる相手は遠慮したい。


「別に女の子に限った話じゃないですけど、どうせ一緒にいるなら、傍にいるだけでこっちまで優しい気持ちになるような……自然と笑い合える相手が良いです」


「ゆきくん……!」


 より具体的に回答した途端、みことの満月みたいな両の瞳がどうしてか今にも泣き出しそうに潤んでいく。視線を動かせば、刀眞と恭矢まで目頭を押さえて俯いていた。


「……ゆき。行きたいところがあったら、遠慮なく言え。俺が連れてってやる」


「ここに来る前に買ってきたシュークリーム、好きなだけ食べていいからな」


「あ、ありがとう、ございます……?」


 ただ、みことの質問にありのままに答えただけなのに、何故か急に幸斗に優しくなった二人に若干の気味の悪さを覚えつつも礼を告げると、さらに何か込み上げてくるものがあったみたいだ。刀眞も恭矢も、より一層深く項垂れてしまった。


 そんな二人に幸斗が呆気に取られていたら、突然みことに両手をぎゅっと握り締められた。


「ゆきくんの好きな女の子のタイプ……わたし、ずっとずっと覚えてるね!」


 視線を移せば、どこまでも真剣な色を帯びたみことの眼差しに射抜かれ、思わず息を呑む。


 ――いつも満月みたいで綺麗だと思っていたみことの双眸が、もっともっと光り輝いて見えた気がしたから。


 でも、力強くそう宣言したばかりのみことは、ぱっと幸斗の手を解放するや否や、もう一度鉛筆を手に取って一心不乱に動かし始めた。


 視線も柔らかなぬくもりもあっさりと離れていってしまい、不満を抱えながらみことを眺めていたら、菜の花色のワンピースに合わせた菫色すみれいろのリボンが結ばれた、濡れ羽色のポニーテールが目に留まった。

 

 綺麗に結われたポニーテールは、みことが動く度に楽しそうに揺れる。


「ああ……あと」


「ん?」


 何気なく言葉を継げば、みことはまたすぐに幸斗に向き直ってくれた。


「強いて言えば、髪の毛が長い女の子が好きです」


 これくらいならば、外見にまつわる好みを口にしても構わないのではないかと思いながら、そう付け加えた。


 初めて出会った頃から髪を長く伸ばしているみことは、ポニーテールやハーフアップにしていることが多い。そうすると、自然と髪飾りを使うことも多くなり、みことの愛らしさを一層引き立てるのだ。


 もちろん、髪が短くとも使えるものもあるに違いないが、ヘアアレンジのレパートリーは格段に減ってしまう。

 琴子ことこ瑠璃るり六花りっか、香夜の手で時々施される凝った髪型など、いい例だろう。


 みことをまっすぐに見据えていたら、突然右手の親指をぐっと立てられた。


「……ゆきくん。わたし、これからも髪伸ばすよ」


 そう言うなり、みことは再び鉛筆を走らせた。


 真剣な面持ちで、三人の男鬼から得た回答をノートにまとめていくみことの横顔を眺めつつ、この少女は将来、どんな女性に成長するのかと、ぼんやりと考える。


(……みことがみことだからこそ持ってる良さをなくさずに大人になってくれれば、それが一番だな)


 だが、しばらく考えた末に導き出されたのは、あまりにも面白みがないものの、実は一番難しいことなのではないかと思うような結論だった。



    ***


「で? 包み隠さずに答えるとしたら?」


 後日、幸斗がそう問いかければ、刀眞は豪快に笑ってみせた。


「そりゃあ、顔が良くて胸がデカい方が良いに決まってるだろ」

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