第18話 月の瞳
「俺も桃娘と結婚したからな。桃娘との間にいかに子供ができやすいかってのは、こちとら経験済みだ。……避妊しなけりゃ、本当にすぐだぞ」
その口振りから察するに、刀眞が結婚してからみことが産まれるまでに四年以上の期間があったのは、妻が身籠らないように配慮したからなのだろう。
少しでも妻に長生きして欲しかったのか。結婚した当時、十六歳だった幼妻を思いやった結果なのか。もしくは、まだまだ若かった夫婦が二人きりでいたかったからなのか。
しかし、どんな理由にせよ、鬼と桃娘には子供を作らないという選択肢はない。本人たちが望まずとも、いつかは周囲から圧力をかけられる。
それに、桃娘とは不思議と自らの宿命を受け入れ、母となる覚悟を早いうちに固める生き物だ。みことの母親であるひかりも、きっとそうだったに違いない。
「……俺が社会人になるまでは、子供は作らないつもりです。たとえ仕事が軌道に乗っても、みことが子供を望まないうちは、間違っても妊娠させないように気をつけます」
随分と踏み込んだ答え方をしていると、我ながら思う。
でも、曖昧な返事では目の前の男鬼は納得しないだろう。だから、あえて明言している。
「分かった、そこまではいい。でもな、ゆき。お前は吸血鬼とのハーフだ。みことに何かあったら、ゆきも命を落とすリスクが高くなる。そうなったら、残された子供はどうする? ひかりには俺に託すって選択肢があったが、お前と結婚した場合、みことは自分がいなくなった後に子供のことを頼む相手が確実に一人減るんだぞ」
刀眞が口にしているのは、紛れもない正論だ。幸斗が刀眞と同じ立場でも、確実に同じことを指摘する自信がある。
だからこそ、耳に痛い。
「刀眞さんの言いたいことは分かります。最悪、俺とみことの子供は俺と同じような目に遭うかもしれません。そうなることは、俺もみことも望みません。ですが――」
油断なく幸斗を見据える灰色の双眸を、真っ向から見つめ返す。
「――いつ命が尽きるのかなんて、俺やみことじゃなくても、誰にも分かりません。もし俺じゃない男鬼をみことが選んだとしても、相手が長生きする確証なんてない。何だったら、みことが相手に先立たれる可能性だってある。リスクを恐れてばかりいても、何も始まらない」
深く息を吐き出してから、刀眞に向かって頭を下げた。
「子供については、みこととよく話し合った上で対策を講じていきます。だから、お願いします。二人で幸せになってみせますので……どうか、俺にチャンスをください」
幸斗がそう言い切った途端、その場に沈黙が落ちた。
だが、刀眞が口を開くまで絶対に顔を上げないし、ここを動くつもりもない。
じっと沈黙に耐えて頭を下げ続けていたら、頭上に溜息が落ちてきた。
「……ゆきの覚悟は分かった。まあ、二人ともまだまだ若いんだし、子供のことは追々考えてもどうにかなるだろ」
その声色から、刀眞に試されていたことを悟る。幸斗の返答次第では、仮にみことの承諾が得られたとしても、刀眞に二人の結婚を認めてもらえなかっただろう。
「その代わり、条件がある」
「……条件、ですか」
おそるおそる顔を上げながら言葉を復唱すれば、刀眞が大きく頷いた。
「みことがゆきのプロポーズに『いいよ』って言ったら、いいぜ。お前ら二人の結婚を認めてやるよ。あと、みことが高校を卒業するまでは待てよ」
刀眞に提示された条件とやらに、思わず呆気に取られる。
だって、あまりにも幸斗にとって好都合な条件ではないか。
幸斗は二年前のクリスマスから、みことと恋人として交際しているのだ。だから、幸斗に分が悪い試練だとは欠片も思えない。
実は、刀眞は幸斗とみことの結婚を推奨しているのだろうかと考えていたら、何故か笑われてしまった。
「言ったろ? 恋愛と結婚は別もんだって。それに、みことの奴、意外と結婚に関してシビアに考えてるからなー。ゆきが思ってるより、ハードルが高くなってる可能性もあるぞ」
「……そうだとしても、俺にできることをやるまでです」
別に、プロポーズに失敗したところで、命を取られるわけではない。幸斗ではない男鬼が選ばれた場合、その相手を毎日欠かさず呪うに違いないが、やはりみことの幸せが一番だ。そして、みことの幸せを決められるのは、みこと本人だけだ。
だから、幸斗にできることといえば、当たって砕けろの精神で真摯に自分の想いを伝えていくことだけだ。
刀眞に一つ頷いてみせると、みことがいる中庭へと向かう。
もう十月下旬だというのに、今年はなかなか秋らしい陽気にならないため、中庭に植えられている木々の葉はまだ色づいていない。
その代わり、秋薔薇は咲き乱れており、冬城家の屋敷にはない花にみことは見入っていた。
「みこと」
幸斗が名を呼べば、みことはすぐにこちらへとぱっと振り向いた。それから、嬉しそうに微笑み、ぱたぱたと駆け寄ってきた。その拍子に、結い上げた濡れ羽色の髪に挿してある
普段着慣れていない振袖に身を包み、足袋と下駄を履いているのだから、とてもではないが走りにくいだろうに、みことは難なく幸斗の元へとやって来た。
「ゆきくんも休憩しにきたの?」
「そんなところです」
「もう、あの会場の空気、嫌になっちゃうよねー。なんかこう、息が詰まりそうな感じ」
黙っていれば、良くも悪くも精巧な人形みたいなのに、こうして話していると、やはりみことはみことでしかないと、しみじみと実感が湧いてくる。
「しかもさ、わたし、今日は振袖着てるでしょ? だから、おいしそうなごはんやデザートがあっても、あんまりお腹に入らなくて……もう少し帯を緩めてもらえばよかったなぁ……」
心底残念そうにぼやきながら、朱色の帯を撫でるみことの発言は、どこまでも色気がない。
白い肌も、そこから立ち上る桃みたいに甘く瑞々しい香りも、ひどく官能的だというのに、ここまで自身が持つ艶やかさを台無しにできるのは、ある意味才能だ。
しかし、そういうところがみことらしいと思うし、微笑ましくも感じられる。
「じゃあ、帰ったらすぐに着替えて、みことが食べたいものを一緒に食べにいきましょう」
幸斗がそう提案した直後、表情を曇らせていたみことは黄金の瞳をぱあっと輝かせた。
「いいの!? ゆきくん、ありがとう! もう、ゆきくんは最高の彼氏だね!」
「みことの最高の彼氏の基準が甘過ぎで、心配になってきますね……」
「そうかな? 簡単に幸せを感じられる方が、お得でいいと思うけどなー」
上機嫌にそう言う傍ら、不意にみことが幸斗の腕に自分の腕を絡めてきた。
「みことから腕組んでくるの、珍しいですね」
以前、遊園地でデートしていた時に一度だけ「腕組んで歩いてみたい!」と、みことが言い出したことがあった。
でも、実際に腕を組んで歩いてみたら、思っていたよりも歩きづらくて、二人で苦笑いしながら腕を解き、手を繋ぎ直したのだ。
「……だって、わたしに声をかけるタイミングを窺ってる鬼たちの視線が
確かに、先程から複数の視線を感じていたが、みことが幸斗にぴったりと寄り添ってから、あまり気にならなくなってきた。みことの言う通り、それ相応の効果が発揮されているに違いない。
「わたしにはゆきくんっていう恋人がいるのに、どうして今日みたいなイベントがあるんだろうね」
「一応、伝統だからじゃないですか」
幼い頃から許嫁がいた香夜だって、こういう場に出なければならなかったのだ。何の拘束力もない関係である恋人がいるだけのみことが、辞退できるわけがない。
幸斗の左腕に両腕を絡めたみことは幸せそうに表情を緩めつつ、すりすりと頬擦りをしてくる。まるで、飼い主に甘える犬や猫みたいだ。
「鬼さんたちは、馬鹿だね。こういう場を作ったところで、わたしはゆきくんしか目に入らないのに」
ふと、黄金の双眸が悪戯っぽく上目遣いに幸斗を見つめてきた。
――こういう時、幸斗は窒息してしまいそうなほどの幸福を覚える。
みことは、いつも幸斗にまっすぐな好意を向け、はっきりと言葉にしてくれる。みことにとって幸斗は特別な存在なのだと、言葉や態度で何度だって伝えてくれる。
「……みこと」
「ん?」
だから、幸斗も同じ分だけみことに愛情を返したいと思うのだ。
「名前を呼んでみただけです」
「えー何それ」
幸斗の返事に、みことは楽しそうにくすくすと笑う。
(もし、刀眞さんの言う通りだったとしても――)
――幸斗の、みこととこれから先もずっと一緒にいきていきたいという願いを受け取ってもらえなかったとしても、それでも伝えようと心に誓った。
***
――そして決意した通り、みことが高校を卒業したその日の夜に求婚したが、結果はこの有様だ。
もし目を覚ましたみことが、やはり幸斗なんかと結婚するのではなかったと言ったら、婚姻を解消することができるだろうか。
相手を大切に想うが故に、その手を放す。そういう愛もあるのだろう。
だが、目の前で眠る花嫁を手放すことなんて、幸斗にはできそうにもない。
そんなことを考えていたら、みことの閉ざされた瞼がぴくりと震えた。それから、緩やかに満月を思わせる瞳が姿を現していった。
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