第17話 命の使い道

「――ゆきくん!」


 ――みことが家出した日から、一カ月近くが経過した。


 飛んで帰ってきた刀眞に事情を説明した上で、琴子たちの前ではひとまず口裏を合わせてもらったものの、みことと二人揃って正座させられ、厳重注意を受けてしまったのだ。


 だが、刀眞にも思うところがあったらしく、以前にも増して顔を出すようになった。

 みことは、自分がいかに無謀なことをしたのか、父親の態度から充分反省したみたいで、あれ以降は今まで通りの良い子に戻った。というよりも、あの日が特別だっただけに違いない。


「どうしましたか、みこと」


 今日は、バレンタインデーだ。幸斗の手には先程受け取った、みことが自分のお年玉を崩して用意したチョコレートの箱がある。


 刀眞も、二月一日の自身の誕生日を祝って欲しさと、娘からのバレンタインチョコ欲しさから、休暇をもぎ取り、先月末からずっと冬城家の屋敷に滞在している。


「ゆきくん、もうチョコ食べないの?」


「一度に全部食べたらもったいないので、残りは冷蔵庫にしまっておいて、毎日少しずつ味わって食べていきます」


 みことが幸斗にと買ってくれたのは、紅茶味のチョコレートだ。紅茶が好きな幸斗のことを考え、選んでくれたのだろう。


「お父さんは、さっき全部食べちゃったよ?」


 刀眞は娘からバレンタインチョコを手渡されたのが余程嬉しかったのか、みことが酒好きの父親のために選んだリキュール入りのチョコレートを、さっそく平らげてしまったらしい。


「そこは、価値観の相違ということで」


「か……?」


 まだ小学一年生のみことには難しかったのか、黄金の双眸をきょとんと瞬かせている。


「考え方は人それぞれ、ってことです」


 台所の冷蔵庫にチョコレートの箱をしまいながらそう言い直せば、みことは納得したように幾度も首を縦に振っていた。


 一旦自室に戻って本を取ってこようと、居間を横切って縁側に出ても、何故かみことは幸斗の後ろをちょこちょことついてくる。しかも、先刻から後ろ手に何か隠しているみたいだ。


「みこと?」


「あ、あのね……ゆきくんに、渡したいものがあります」


「チョコなら、もうもらいましたけど」


「それとは別に、渡したいものがあるの!」


 そう力強く宣言したみことは、後ろ手に隠していた一輪の花を幸斗に差し出してきた。


「これは……スノードロップ?」


「うん。庭に咲いてたのを摘んできたの。これね、待雪草っていうんだって。『雪の雫』とか『雪の花』って呼んでる国もあるんだって。だから、ゆきくんの花だって思ったんだー。あ……ちゃんと琴子さんに摘んでもいいか訊いたから、大丈夫だよ」


「えっと……ありがとうございます」


 どうして急にスノードロップを渡されたのか分からないものの、とりあえず礼を告げつつ受け取れば、みことがはにかんだ。


「海外ではね、バレンタインにお花をあげるんだって。それに、わたし指輪を買えるだけのお小遣いは持ってないから、代わりにお花でどうかなぁって」


 確かに、海外ではバレンタイデーに、男性から意中の女性へと花を贈るのだという。

 しかし、指輪は一体どこから出てきたのかと考えていたら、みことが言葉を続けた。


「わたし、大きくなったら、ゆきくんのお嫁さんになるね。だから、それまで待っててね」


 居間でテレビを見ている父親の耳に入らないよう、抑えた声で告げられた求婚の言葉に、幸斗は咄嗟に反応できなかった。


「本当はね、ゆきくんがわたしを捜しにきてくれた日に、そう伝えたかったんだけど……あの時はまだお庭の花、あんまり咲いてなかったから、今日まで時間かかっちゃった」


 みことは照れ臭そうに笑うと、スノードロップを握った幸斗の手をそっと両手で包み込んできた。


「あ、返事はわたしが大人になってからだからね。大人になったら、もう一回プロポーズするから」


 身贔屓かもしれないが、みことは明るく素直で、非常に愛らしい女の子だ。これから成長していけば、間違いなく魅力的な女性になるはずだ。


 そうしたら、きっと多くの男鬼がみことに寄ってくるに違いない。その中には、幸斗よりもみことの結婚相手に相応しい鬼がたくさんいるだろう。


「……ありがとうございます、みこと」


 でも、たとえ将来そうなったとしても、今だけはその純粋な好意を独り占めしたい。


「なら、みことが大人になるのを楽しみに待ってますね」


「うん! 約束だよ!」


 幸斗の手を包み込むぬくもりが離れたかと思えば、みことが右手の小指を差し出してきた。

 その意図を察し、幸斗も右手の小指を差し出し、みことの小指に絡める。


「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます! 指切った!」


 幸斗と指切りを交わすと、みことは満面の笑みを浮かべてからくるりと踵を返し、満足そうな足取りで居間に戻っていった。

 縁側には、スノードロップの花を握り締めたままぽつんと佇む幸斗が、一人取り残された。



 ***



 自室へと戻り、琴子から分けてもらった一輪挿しにスノードロップを活けると、本棚から花言葉の本を取り出す。それから、机に向かってページをめくっていく。


「……あった」


 スノードロップの写真が掲載されているページには、「希望」「慰め」「恋の最初の眼差し」「切ない恋愛」などの花言葉が記されていた。

 そしてこの花は、国によっては死を象徴する花でもあるのだという。


 その記述を目にした途端、つい笑みを零してしまった。


 ――吸血鬼は一生を添い遂げる伴侶を定め、初めてその血を口に含んだ時を境に、伴侶の血しか受け付けなくなる。実際、吸血鬼だった母も、夫であり幸斗の父でもある男鬼の血しか飲めなくなったのだと聞かされた。


 つまり、吸血鬼にとって伴侶の死は、自分自身の死に直結する。死さえも、愛し合う二人を引き離すことはできないのだ。


 だから、もし結婚したいと思った時には、その相手を真剣に見極めなければならないのだと、両親に言い聞かされた記憶がうっすらと残っている。


 純血の吸血鬼だった母とは違い、幸斗は鬼との混血だ。だから、もしかしたら母のようにはならないかもしれない。


 だが、もしも母と同じ運命を辿るのだとしたら。愛する相手こそが、幸斗の命を奪う相手になるのだとしたら。

 ――その相手は、みことがいい。


 幸斗が生きていることを肯定的に受け止めてくれるみことになら、命を差し出しても惜しくない。むしろ、幸斗にとって最も幸福な命の使い道だと、心の底から思う。


 ――わたし、大きくなったら、ゆきくんのお嫁さんになるね。だから、それまで待っててね。


 みことにそんなつもりはなかったのだろうが、あの時、生きろと叱咤激励された気がした。みことが大人になるまで、自らの命を軽んじるような真似はするなと、釘を刺されたように思えてならなかったのだ。


 そこまで考えたところで、机の上に飾った一輪挿しに挿したスノードロップに視線を移す。


「……みことになら、俺の全部あげる」


 だから、どうか幸斗に向ける想いが変わらないで欲しいと、心から願わずにはいられなかった。



 ***



「――刀眞さん。どうか、みことさんとの結婚をお許しください」


「……あ?」


 それは、みことが十八歳の誕生日を迎えてから、二週間後のことだった。


 鬼社会には、結婚できる年齢になった桃娘と女鬼は、男鬼一同の前に披露されるという、悪趣味なしきたりがあり、今日がその日なのだ。


 一応、パーティーの体を装っているものの、所謂いわゆる品評会みたいなものであることには変わらない。こんな悪習は、さっさとなくすべきだと思う。


 挨拶回りを済ませたみことたち親子二人が席を外した際に、幸斗も便乗して会場を抜け出すなり、ホテルの中庭に面した廊下にぼんやりと佇んでいた刀眞をすかさず捉まえたのだ。


 幸斗同様にスーツを身に着け、棒つきキャンディを口に咥えていた刀眞は、がりっと大きな音を立ててキャンディを嚙み砕いた。


「いきなり何だよ」


「いきなりというわけでもないでしょう。今日は、そういう名目の集まりなんですから」


 結婚が可能になった年頃の桃娘をお披露目したとなれば、次に始まるのは求婚合戦だ。


 男鬼に比べ、女鬼はずっと産まれにくい。そのため男女比が激しく、結婚が難しい男鬼の群れに、若くて子を宿しやすい桃娘を放り込んだらどうなるのかなんて、推して知るべしだ。

 現に、先刻の挨拶回りではみことに自身を売り込む男鬼が後を絶たなかった。


「この世にたった一人しかいねぇ桃娘と結婚すれば、箔がつくからな。だから、飢えた男どもが目の色変えて詰め寄ってくるのは予想してたが……まさか、ゆきまでとはなぁ」


「刀眞さん……俺とみことは、二年前から付き合ってるんですよ。予想くらいしておいてください」


 溜息を零しながら廊下の窓越しに中庭を見遣れば、一人で散策を楽しむみことの姿があった。


 今日のためにとあつらえた、鮮やかな紅葉が描かれた淡い黄色の振袖を身に纏い、薄化粧を施したみことは、ひどく可憐だ。それだけではなく、濡れ羽色の髪を綺麗に結い上げているから、透き通りそうなほど白いうなじが晒され、匂い立つような色香も醸し出している。


 あの格好で一人でいたら、結婚願望が強い男鬼に言い寄られそうなものだが、窓越しに父親である刀眞が目を光らせているからか、みことに声をかけようとする勇気ある男鬼は、今のところ見当たらない。


 窓越しにみことを眺めていたら、忠告めいた声が鼓膜を揺さぶった。


「恋愛と結婚は別もんだろ。どんなにみこととの恋愛が楽しくても、桃娘との結婚には相応の覚悟と責任が伴うぞ」


「そのくらいは承知の上です」


 もし、みことと出会っていなければ、幸斗は恋愛にも結婚にも興味を持たなかったに違いない。むしろ、忌避していたはずだ。


 しかも、幸斗はまだ大学生なのだ。相手がみことでなければ、学生結婚に踏み切る覚悟など絶対にできなかった。


「桃娘は、経済的な自立が禁じられてる。経済的に自立されたら、役目を放棄して逃げ出す可能性が出てくるからな。桃娘の嫁ぎ先には、半永久的に経済的な援助があるが、それでも経済的な負担は、お前が全部引き受けなきゃなんねぇんだぞ」


「それも承知の上です。幸い、鬼柳から信じられないほどの額の養育費を高校を卒業するまでいただきましたから。蓄えは充分にあります。大学に入ってからはバイトもしてますし、将来的にはそれなりに稼げる自信もありますので」


 幸斗は医学部に所属しているため、他学部に比べて学生でいる期間は長いものの、その後のリターンはある程度見込める。


「なら、子供はどうする?」


 むしろ本題はここからだと、灰色の瞳が物語っていた。

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