第12話 修羅の娘

 ――あれは、本当にみことなのだろうか。


 眼前に広がる光景はひどく現実離れしており、これは夢なのではないかと幾度も考えてしまう。


 確かに、万が一のためにと、刀眞と瑠璃がみことに幼いうちから護身術を叩き込んでいた。

 だが、実戦を経験したことは一度もない上、これほどの力量の持ち主ではなかったはずだ。


 それなのに、多勢に無勢であり、丸腰にも関わらず、たった一人で臆することなく立ち向かうみことの動きは驚くほどしなやかで、さながら野を駆け回る獣みたいだ。


 修羅。

 その姿は、現代最強と謳われた男鬼を――みことの実の父親を彷彿とさせた。

 今のみことは、紛れもなく修羅の娘だ。


 しかし、今のままではみことが窮地に追いやられるのは時間の問題だ。

 気力も体力も削り取られてしまえば、いずれ限界が訪れ、動けなくなってしまう。そうしたら、瞬く間に身柄を拘束され、そのまま連れ攫われてしまうに違いない。


「……瑠璃さん、ここから自力で鬼頭の屋敷まで移動できますか」


 腹の底から込み上げてくる感情を抑えた声で問いかければ、瑠璃の視線がこちらへと向けられた。


「ご自分で動けないなら、俺が連れていきます。ですが、もし動けるようでしたら、俺はみことを回収したい。……お願いします、決断はお早めに」


「幸斗様、みこと様のことをどうかお願いします」


 幸斗の言葉に、瑠璃は一も二もなくはっきりとそう答えた。


「這ってでも、鬼頭の屋敷に向かってみせます。もう二度と、足手まといにはなりません。ですから、私のことはお気になさらず、御心みこころのままに動いてください」


 力強く幸斗の背を押す言葉に頷き、慎重に瑠璃の身体を下ろす。

 瑠璃は手負いの身であるにも関わらず、多少ふらつきつつも鬼頭本家の屋敷の方向へと疾走していった。


 瑠璃の後ろ姿から視線を引き剥がすと、相変わらずみことを中心に大乱闘が繰り広げられていた。


 凶器を所持している鬼は何名もいたが、かえってそれが仇になったみたいだ。

 威嚇しようにも、みことは露ほどにも武器を恐れない。それに、桃娘であるみことを下手に傷つけるわけにもいかないから、完全にただ手を塞ぐお荷物でしかない。


 自らを優位に立たせるはずの道具は、次々とみことに奪われては、自分の命を奪いかねない脅威へと変貌を遂げたり、二度と使えないように破壊されている。


 みこと目掛けて走り出したのも束の間、鬼柳一族の男鬼たちは次なる獲物として幸斗に狙いを定めることにしたみたいだ。数名の鬼がこちらへと視線を移したかと思いきや、まだ手元に残っていた武器を手に幸斗の元へと殺到してきた。


「どけ!」


 幸斗へと突き出された大振りのサバイバルナイフから身をかわし、ナイフを持つ手を捻り上げ、奪い取る。そして、幸斗を刺そうとしてきた男鬼のももに逆に刃を突き立てる。

 苦悶の声を上げた男鬼の脇腹を突き飛ばし、丸腰の男鬼の鼻面に肘を叩き込む。


「……鬼柳の者か」


 地を這うような低い声で問いを投げかけたものの、返事はない。その代わり、威嚇射撃をされ、顔のすぐ脇に銀製の銃弾が飛んできた。ある意味、これが答えのようなものだ。


「そうか……先に手を出したのはそっちだ、情けも容赦もしねぇぞ」


 今さら、鬼柳一族に期待なんてしていないし、未練もない。正直、お家騒動など余所でやって欲しい。

 でも、みことや瑠璃を危険に晒したことは許せない。その分の報いはしっかりと受けてもらわなければ、幸斗の気が済まない。


 敵の腿に突き立てたナイフを一切の手心を加えずに引き抜くなり、みことの身柄を確保するために再び走り出す。

 だが、意地でもみことに近づけたくないのか、再度複数の男鬼が幸斗を包囲しようとしてくる。


 舌打ちを零しながら、咄嗟にサバイバルナイフの柄を握り直した途端、予想外の声が飛んできた。


「――ゆき、後ろに跳べ!」


 怒号めいた指示を受けるや否や、考えるよりも先に身体が動き、勢いよく後方へと飛び退る。すると、刀眞の愛車が何の躊躇いもなく鬼柳の鬼の群れに突っ込んできた。

 いくら鬼が銀製の武器で致命傷を受けなければ死に至らない生き物だとはいえ、信じ難い暴挙だ。


 鋭いブレーキ音が周囲に響き渡ったかと思えば、シルバーのミニバンが急停止した。それから、運転席側のドアと助手席側のドアが思い切り開け放たれた。


「おいおい、せっかく車に乗ってきたんなら、足に使うだけじゃなくて、攻撃手段にもしろや」


 そう言いつつ運転席から降りてきたのは、言わずもがな刀眞だ。アイボリーのニットとチャコールグレーのスラックスに身を包んだ刀眞の右手には、棍棒こんぼうが握り締められている。鬼に金棒とは、まさにこのことだろう。


「鬼柳の当主の許可もなく、このような暴挙……鬼柳も堕ちたものだな」


 助手席から降りてきたのは、鬼頭本家の次期当主である恭矢だ。和装ではなく、プルシャンブルーのタートルネックのニットと黒いスラックスを身に着けている恭矢は、刀眞とは違い、目に見えるところに武器は持っていないが、どこかに忍ばせているに違いない。


「よう……うちの娘夫婦をよくも可愛がってくれたな」


 棍棒を肩に担ぎながら唇を笑みの形に歪めた刀眞は、どこまでも凶悪な顔つきをしている。


「きょう、お前はみことを回収してこい。ゆき、お前は俺と一緒にこいつらを血祭りに上げてやろうぜ」


 この場は、既に刀眞に支配されているも同然だった。

 ――纏う空気だけで分かる。修羅と呼ばれたこの男は、鬼としての格が違う。


 恭矢は刀眞の指示に頷くや否や、目にも留まらぬ速さで走り出した。

 幸斗もナイフの柄をもう一度構え直し、刀眞と互いの背を預け合う。


「ゆき、酒呑童子の子孫と茨木童子の子孫の共闘といこうや」


 鬼頭は酒呑童子を祖とした一族であり、鬼柳は茨木童子を祖とした一族だ。


 かつては鬼頭の一族を主と仰ぎ、忠誠を誓っていた鬼柳一族だが、時代の流れと共に忠誠心は薄れていき、いつしか対立し合い、血を流し合ったこともある。


 今では停戦協定が結ばれ、表立った争いはないものの、わだかまりが完全になくなったわけではない。

 そんな中、酒呑童子の先祖返りとも呼ばれる刀眞に、鬼柳の直系血族である幸斗が育てられ、こうして今、互いの背中を預け合っているとは、不思議な巡り合わせだ。


 しかし、刀眞の不敵な言葉に頷き、腰を低く落とした幸斗の視界の端に、みことに蹴り飛ばされた恭矢の姿が映った。


「は……?」


 咄嗟に視線を巡らせようとした矢先、宙を舞った恭矢の身体が背中から地面へと叩きつけられ、転がっていく。

 戦闘の音と気配に満ちていた空き地が、しんと静まり返る。


「――わたしの邪魔をしないで」


 恭矢に戦闘を中断されたらしいみことは、怒気を孕んだ黄金色の双眸で周囲を睥睨へいげいしていた。


「みこと……?」


 この場にいる全員の視線を集めているみことの瞳孔はいつの間にか、猫や狐みたいに――あるいは、爬虫類のように縦長に収縮していた。


 それは、鬼本来の力を引き出した際に現れる特徴だ。一応、人間にカテゴライズされる桃娘の目がこんな風に変化するはずがない。


(みことは桃娘じゃなくて、女鬼だったのか……?)


 いや、そんなはずはない。みことの瞳は黄金色で、その身体からは桃みたいに甘く瑞々しい香りだって放っているではないか。


 でも、後者はともかく、前者は本来、古代の鬼が持つ身体的特徴だったではないかと、不意に思い出す。


 江戸時代の頃には、黄金の双眸を持つ鬼はいなくなっていた。だが、それよりもっと前の時代では、額には一対の角が生え、金眼を有していたという。


 もしも、長い時をかけて桃娘が男鬼と交わり続けてきた結果、より濃い鬼の血を引く個体が産まれてきたのだとしたら。

 現代最強と評され、修羅とも酒呑童子の再来とも呼ばれる男を父に持つ娘ならば。


 桃娘であると同時に、古の鬼の先祖返りであったとしても、不思議ではない。


 周囲に睨みを利かせていたみことが、急に興味関心が失せてしまったかのような冷めた目をしたかと思えば、素早く身を翻し、再び戦いに身を投じた。


 もう、みことが戦う必要はない。刀眞が運転してきた車に乗れば、すぐに身の安全を確保できる。

 しかし、みことがこの場から退く気配など、微塵も感じられなかった。


「……怒りと力に呑まれたか」


 舌打ち交じりに聞こえてきた言葉に振り向くと、刀眞が苦々しい表情で娘を見つめていた。


 鬼本来の力が覚醒した鬼は、慣れないうちはその強大な力に溺れやすい。

 しかも、みことはおそらく義憤に駆られた末に力に目覚めたのだ。そうなると、余計に歯止めが利かなくなる。


 ――みことは、義憤に駆られやすいタイプだからなぁ。ああいう怒り方って「誰かのために」っつう大義名分があるから、正当性が生まれやすい分、かえって性質が悪いんだよな。


 以前、刀眞がぼやいていた言葉が耳の奥に鮮明に蘇ってくる。


 ――おまけに、みことは普段物分かり良く我慢してるくせに、最悪のタイミングで怒りが爆発するからなぁ。だからゆき、俺がいない時はたまにでいいからみことのガス抜きしてやってくれよ。


 父親だけあって、刀眞はみことの表面化しにくいところまでよく見ていたことを今、嫌というほど思い知らされた。


「ゆき、きょうの無事を確認してこい。俺は、みことの動きを止めてくる」


「はい」


癇癪かんしゃくを起した娘をなだめるのは、父親の役目だからな」


 棍棒をあっさりと手放したかと思いきや、野を駆ける獣のごとく、刀眞は猛然と駆け出していった。

 父親の肩からの体当たりをまともに食らったみことの身体が、うつ伏せに地面に叩きつけられた。


 倒れた娘の身体に刀眞がそのままのしかかり、拘束を試みるが、みことはまだ余力を残していたらしく、全力で父親に抵抗している。その度に、荒々しく土埃が舞う。


 予想以上の反撃を受けているのか、刀眞はなかなか娘の動きを封じられずにいる。それどころか、みことの抵抗に巻き込まれ、娘共々地面の上をのたうち回る様は、猛獣同士の攻防を思わせた。

 刀眞たちの様子を窺いつつも、言われた通りに恭矢の元へと駆け寄っていく。


「きょう兄さん、怪我はありませんか」


「……咄嗟に受け身を取ったから、大したことはない。だが、受け身を取ってなかったら、確実に骨が何本かやられてたな。あと、蹴られたところは痣になる自信がある」


 それだけ、みことの蹴りは強烈だったのだろう。この目で見ていなければ、にわかには信じ難い報告だ。


「俺のことはいい。お前は、今すぐ刀眞さんのところに行け。……いくら刀眞さんとはいえ、娘相手にはやりにくいだろう」


 確かに、刀眞にしてはあまりにも手こずっている。


 相手が赤の他人であれば、間違いなく既に決着がついていただろう。抵抗が激しいのであれば、手足の骨を折るなりして、相手の戦意を削ぎ落していけばいいのだから、刀眞にとっては朝飯前に違いない。


 でも、今の刀眞が相手にしているのは実の娘だ。二人の攻防を見たところ、刀眞は娘になるべく怪我を負わせないように注意を払っているみたいだ。


有象無象うぞうむぞうは捨て置け。あの猛獣親子の攻防戦を目の当たりにして、戦意喪失してる腑抜けは俺が引き受ける。お前は、みことを無力化することだけ考えろ……いいな?」


「……了解しました。あとは、任せます」


 恭矢が立ち上がると同時に、未だに取っ組み合いを繰り広げている刀眞たちの元へと走り出す。

 行く手を阻もうとした男鬼の鼻面に裏拳を叩き込んだ直後、みことを組み伏せた刀眞に向かって叫ぶ。


「――刀眞さん! そのままみことを起き上がらせてください!」


 口を大きく開けて自身の牙を見せながらそう頼めば、幸斗の意図をすぐに見抜いてくれたらしい刀眞がみことを羽交い絞めにしたまま、こちらに向けて持ち上げた。

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