第9話 ドライブデート

 幸斗と共に婚姻届を提出してから、数日が過ぎた。


 婚姻届に不備がなかったため、無事受理され、みことと幸斗の結婚は正式に認められた。

 だから、二人で一緒に暮らすため、幸斗が目星をつけておいてくれた物件を見にいったり、引っ越しの準備をこつこつと進めたりと、何かと忙しい。


 そんな中、今日は息抜きのデートの前に、幸斗の両親に結婚の報告をするために霊園へと墓参りに訪れていた。


 霊園に向かう途中で購入した白百合の花束を手に、コンクリートで舗装された道をネイビーブルーのスニーカーを履いた足で踏みしめていく。そして、幸斗の両親が眠る墓の前で立ち止まる。


 一旦花束を下ろし、包装を解いていく。それから、水を入れた手桶ておけを持ってくれていた幸斗から柄杓ひしゃくを受け取り、二人で簡単に掃除をして、花立てに供えられていた枯れた花を捨てると、汲んできた水を注ぐ。


 柄杓を手桶に戻したら、チョコレート色のリボンが胸元に飾られ、肩と鎖骨が見える程度に襟がゆったりと開いている、マカロンピンクのニットに百合の花粉が付着しないように気をつけながら、花束を持ち上げて花立てに供えた。


 用意しておいた線香をあげると、幸斗と一緒に手を合わせ、黙祷を捧げる。


 ゆっくりと閉じていた瞼を持ち上げて隣を見遣れば、幸斗は既に目を開け、両親が眠る墓をじっと見つめていた。

 みことの視線に気づいたのか、紫の双眸がこちらへと向けられ、ふわりと表情が緩んだ。


「……みこと。二か月前にも一緒に墓参りにきてくれたのに、今日も一緒に来てくれて、ありがとうございます」


「どういたしまして。ゆきくんこそ、わたしのお母さんの命日には、一緒にお墓参りしてくれて、ありがとう」


 両手を背中に回し、にっこりと微笑み返す。


「それじゃあ、片づけをしたら、デートに行きますか!」


 今日は、ドライブがてら自然豊かなアスレチック施設に遊びにいく予定だ。だから、動きやすいようにチョコレート色のショートパンツと黒いニーハイソックスを穿き、髪型はポニーテールにしている。


 本格的にアスレチックを攻略するつもりならば、もっと機能性を重視した服装選びをしたのだが、今日はあくまでもデートなのだから、そこまで激しい運動はしないだろう。それに、ウェアやシューズのレンタルもやっているところだから、いざとなったらレンタルしたものに着替えればいい。


「はい、そうしましょう」


 幸斗は刀眞から借りたライターをアイボリーのスラックスのポケットへと突っ込み、また柄杓を入れた手桶を持つと、どこか逡巡しゅんじゅんするような素振りを見せた。


「……ゆきくん、あっちのお墓にもお線香あげていこうか?」


 そう訊ねながら、霊園の隅にある石塔せきとうを指差す。


 あの無縁仏の墓には、実家の墓にも嫁ぎ先の墓にも入れてもらえなかった、とある女鬼が眠っている。両親の墓参りの際、供花くげこそ用意しないものの、幸斗はそちらにも足を運び、線香だけをあげていくのだ。


「いえ……今回はやめておきます」


 しかし、幸斗は緩く首を横に振り、さっさと歩き出してしまった。

 大人しくその後ろをついていくと、幸斗は手桶と柄杓を借りた場所に戻し、霊園の駐車場へと足を向けた。


 恭矢に借りたという黒いミニバンに二人して乗り込み、幸斗は車のエンジンをかけてカーナビの操作を始めた。


 本当は父の車を借りようと思ったのだが、生憎、今日使うということだったから、恭矢が貸してくれたのだ。


 今日の幸斗は、黒いVネックのニットを身に纏っている。秋の終わりから冬にかけては、タートルネックのトップスを着ることが多いからか、露わになっている幸斗の首筋に自然と視線が吸い寄せられていく。


(ゆきくん、わたしよりずっと色っぽいな……)


 幸斗の従姉である香夜も匂い立つような色香を纏っているから、血筋の問題だろうか。

 思わず幸斗の横顔を凝視していたら、紫水晶のごとき瞳がみことを捉えた。


「俺の顔に何かついてます?」


「ゆきくんの肌は白くてすべすべしてて、羨ましいなぁと思ってました」


 正直に答えれば、幸斗がこちらへと上半身ごと向き直り、みことをしげしげと眺めてきた。


「……みことの方が、ずっと肌が綺麗だと思いますけど」


「本当? 嬉しい! スキンケアには、わたしなりに気を遣ってるんだ!」


 香夜に、若さに甘えるな、肌の手入れをおこたるな、そうすれば五年後、十年後の自分が泣きを見ずに済むと口を酸っぱくして言われてきたため、毎日みことなりに肌の調子を整えているのだ。


 今日は運動をして汗をかきそうだから、化粧水と日焼け止めだけを塗った頬に両手を当てて喜ぶと、不意に芽生えた疑問を口にする。


「ゆきくんは、化粧水とか使うの?」


 幸斗の雪みたいに白くて綺麗な肌を興味津々に見つめながら問いかければ、怪訝そうに見つめ返された。


「いえ、そういうものは使ったことがありません」


「じゃあ、洗顔フォームは何を使ってるの?」


「顔を洗う時は、水だけで洗ってます」


「……もしかして、何もしないでそれなの?」


「スキンケアとか、考えたことありません」


 香夜が耳にしたら、嫉妬で怒り狂いそうな発言だ。そこまではいかなくても、みことも羨ましいと思う。


「何もしなくてもそれとか、羨ましい……」


「でも多分、このままだと歳を取れば取るほど、劣化していくと思いますよ」


「え……それは、それでもったいないね……。今度、男性向けのスキンケア用品、探してみようかな……」


「なんで、俺よりみことの方が遥かに俺の肌に熱心なんですか」


「え、いいじゃない。ただ商品を探すだけでも楽しそう」


 香夜にあれこれと教え込まれた影響なのか、みことは化粧品を見るのが好きだ。肌質や肌の色との相性が最優先事項ではあるものの、綺麗な容器に入っているものを見つけると、自然と胸が弾む。

 そんな雑談を交わしつつも、幸斗は車の運転を開始した。


「みこと、寒くはないですか」


「うん、平気」


 幸斗の運転は非常に安定しているため、乗り心地が良い。あまりにも落ち着くから、気を抜くと眠くなってしまいそうだ。


 確か、去年の春休みに自動車の運転免許を取ったばかりだというのに、幸斗は基本的に何でもそつなくこなしてしまう。


「眠くなったら、寝てていいですからね」


「えー、せっかくのドライブデートなんだから、寝るのはもったいないよ」


「それじゃあ、音楽かけてもいいですか」


「あ、どうぞどうぞ。遠慮なく」


 霊園の駐車場を出てしばらく道路を走っていたところで、ちょうど赤信号で車が停車した。その隙に、幸斗の長く綺麗な指先が素早く自身のスマートフォンを操作する。

 すると、車のスピーカーから静かなクラシック音楽が流れてきた。


 ピアノの演奏が得意だったという亡き母や、冬城家の屋敷にあるグランドピアノを弾いていた幸斗の姿に憧れ、みこともピアノを習っていたから、クラシック音楽にはそれなりに詳しい。だから、この曲が何の曲かすぐに分かった。ドヴォルザークの「新世界より」の第二楽章だ。


「……ゆきくん、どうしてわざわざ眠くなるような曲をチョイスするの!」


「単に俺が聴きたかっただけですよ」


「なら、どうしてそんな意地悪そうな顔してるの!」


「元々、こういう顔です」


「もう……ゆきくん、結構わたしのことからかうの好きだよね……」


「別に、からかってるわけじゃありませんよ。もしかしたら、今日もみことが寝不足かもしれないと思っただけです」


「ゆきくんとのデートだからって、もうはしゃいで寝付けなくなったりしないよ」


 幸斗と付き合い始めたばかりの頃は、デート前夜となると、なかなか眠れなかった。

 でも、いざ幸斗の顔を見れば、眠気なんてあっという間に吹き飛んでしまったから、みことの口からその事実をわざわざ伝えようとは微塵も思わなかった。


 それなのに、幸斗はみことの些細な変化をすぐに見抜いてしまう。いくらみことが考えていることが顔に出やすい性質であり、一緒に暮らしていた時期が長かったとはいえ、幸斗の観察力はあまりにも鋭いと思う。


 溜息を吐きながら窓へと視線を動かすと、幸斗が微かに笑う気配がした。


「それはそれで、寂しいものがありますね。俺に振り回されてる時が、みことは一番可愛いのに」


「……やっぱり、ゆきくんは時々意地悪だよね」


 意地悪とは言ったものの、幸斗がやっていることは好きな子虐めともまた違う。あれは、ただただ不快でしかないが、幸斗の場合はみことを甘やかし、可愛がる故のからかいだから、つい反発したくなってしまうのだ。


 窓際へと頬杖をついて車窓の景色を眺めていたら、信号が青に変わったらしく、再び車が動き出した。

 ふと空を見上げれば、先刻までは晴れ渡っていたのに、いつの間にか雲が出てきて、だんだんと日が陰ってきた。


 屋外で身体を動かす時は、晴れているよりも曇っているくらいがちょうどいいのだが、天気予報が外れて雨が降り出してきたら、アスレチックで遊べなくなってしまう。


「ゆきくん。空、曇ってきたね」


「予報では雨は降らないみたいですが……雲行きが怪しくなってきたら、別の場所も考えてみましょうか」


「でも、あの辺って外で遊ぶところばっかりだよね」


「あとは、温泉ならありますが……みことを温泉に連れ込んだりしたら、刀眞さんに殺されそうなので、まだやめておきたいですね」


「なんで? わたしたち、もう結婚したじゃない」


 さすがに、結婚してまで父親にあれこれと干渉されたくない。つい最近まで高校生だったとはいえ、みことだって、ある程度は自己責任で判断し、行動できる。

 窓から幸斗へと視線を移せば、紫眼が一瞬だけみことを見遣った。


「……みことって、分かってて言ってるのか、何も分かってないのに言ってるのか、判断が難しい時があるので、厄介ですね」


「何それ。わたし、そこまで考えなしじゃないよ」


 確かに、みことは箱入り娘だ。その上、そういうことに関しては父も幸斗も過保護なところがあったから、同世代の女子と比べれば、異性への耐性が低いかもしれない。


 だが、みことは桃娘として、しっかりと性教育は受けてきたのだ。だから、そこまで色恋沙汰に鈍いつもりはない。


「ゆきくんが相手だから、言ってるんだよ。ゆきくんは、わたしが本当に嫌がるようなことはしないでしょ」


 その辺りは、心の底から幸斗を信頼している。大抵の場合、幸斗はみことの意思を尊重してくれる。だから、みことがはっきりと嫌だと告げれば、大人しく引き下がってくれることが多い。


 窓の外へと視線を戻し、スピーカーから流れてくる曲に合わせてメロディを口ずさみ始めたら、隣から溜息を零す音が聞こえてきた。


「……みことは、俺の理性を試すのが好きですね」


「そういうゆきくんは、わたしをからかうのが好きですね?」


 そう言い返した直後、突然みことのミントグリーンのショルダーバッグからスマートフォンの着信音が流れてきた。

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