第7話 団欒
「なんだ、刀眞。まだ泣いてやがったのか」
「うるせぇ、
「たかだか娘が結婚するってだけだろ。なにも、永遠に会えなくなるわけじゃねぇんだからさ」
「たかだかじゃねぇよ!」
「そうですよ、父上! 俺は……結珠がいつか結婚すると考えただけで、今にも息が止まりそうです……!」
娘を持つ父親二人の目は血走り、その叫び声には悲壮感が溢れている。
しかし今、その娘二人はのんきに煎餅をぽりぽりと
「修羅とも呼ばれた現代最強の鬼も、娘のことになると
「そのくそだっせぇ呼び方はやめろ」
父が忌々しそうに表情を歪めた途端、英泉の目が愕然と見開かれた。
「え……くそダサい……? 俺、一生懸命考えたのに……」
父は昔から腕っ節が強く、誰が言い始めたのか知らないが、修羅と呼ばれるようになったのだと聞かされたことがある。
中二病の臭いがするこの呼び名はやめて欲しいと、父は常々嘆いていたのだが、まさかその呼び名を考えたのが、刀眞の従兄弟に当たる英泉だったとは夢にも思わなかった。
父も、犯人の正体が意外だったのだろう。思わぬ真相に絶句している。
場に、何とも言えない沈黙が落ちる。
(ど、どうしよう……!)
父の失言を撤回しようと、みことが慌てて口を挟む。
「英泉おじ様。漢字にカタカナのルビを振るような呼び名よりは、ずっといいと思うよ!」
みことがそう告げるや否や、英泉の父と同じ灰色の双眸がより一層見開かれていく。どうやら、みことが咄嗟に思いついたような名前も候補に挙がっていたみたいだ。
(フォローするつもりが、全然フォローになってないいいいいいいいいいい!)
現に、英泉と結珠を除くその場の全員から「他に言いようはなかったのか」と呆れた眼差しを頂戴してしまった。
あわあわと意味もなく口を動かしていたら、蝶が描かれた藤色の着物に身を包んだ、気品溢れる女鬼が白い箱を携えてやって来た。
「ただいま戻りました……あら、あなた。どうかなさったの?」
しんと静まり返った一同を、英泉の妻であり恭矢の実母でもある
「お、おかえりなさいませ。お義母様! その箱はどうされたのですか?」
この場の空気を払拭する好機を逃してなるものかと、香夜が姑に声をかけた。
「ああ、これですか。せっかく幸斗さんとみことさんが結婚の報告に来てくれたのに、大したおもてなしもできないのはいかがなものかと思いましてね。わたくしのお気に入りのお店でケーキを買ってきたんですよ」
「え!? お気遣い、ありがとうございます……!」
まさか、わざわざみことたちのために買い出しに出かけていたとは思わず、恐縮して頭を下げると、六花は上品に微笑んだ。
「遠慮なさらなくていいんですよ。おめでたいことがあった日にお祝いするのは、当然のことです」
「じゃあ、お義母様。紅茶かコーヒーの用意をしてきますね」
急いで立ち上がって夫に娘を預けた香夜に、六花は緩く首を左右に振る。
「大丈夫ですよ、香夜さん。お茶や食器の用意は、こちらに向かう途中にお手伝いさんに頼んできましたから。――さあ、まずは本日の主役のお二人さんに、どのケーキを食べるか選んでいただこうかしら」
六花が卓上に白い箱を下ろすと、白魚のような美しい手が中身を披露してくれた。
「わあ、おいしそう……!」
白い箱から姿を現したケーキたちは、どれも綺麗に飾り立てられ、ただ眺めているだけでも楽しい。この場にいる人数分よりも随分と数が多いが、おそらく念のため余分に買ってきてくれたのだろう。
「えーっと……苺のタルトとミルフィーユ、どっちにしようかな……悩む……!」
どうにか二つまで候補を絞ることに成功したが、今度はそのどちらかにしようかと悩んでしまう。
苺のタルトとミルフィーユを忙しなく見比べていたら、幸斗もみことと一緒になってケーキの箱の中を覗き込んできた。
「なら、俺がミルフィーユにしますから、みことはタルトにしたらいかがですか? それでシェアすれば、両方食べられるでしょう?」
「……いいの、ゆきくん?」
「俺は構いませんよ」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな……!」
声を弾ませて幸斗の提案に頷くと、あとから客間に入ってきた女中が卓の上に春の花々が描かれた皿とフォークを下ろし、飲み物の用意を始めた。六花は重ねられた皿から二枚取るなり、美しい所作で苺のタルトとミルフィーユを取り分けてくれた。
「はい、召し上がれ」
「次は、買ってきてくださったお義母様が選んでくださいな」
「そうですね……では、ティラミスをいただこうかしら」
「ティラミスですね、了解です……あら、結珠が好きなプリンもあるわ。結珠、ばあばが結珠の大好きなプリンを買ってきてくれたわよ」
「ぷりん?」
「そう、プリンよ。結珠、ばあばに何か言うことはないかしら?」
「ばあば、ありがと!」
「どういたしまして」
そうやって微笑ましそうに孫娘を見つめる六花は、香夜同様、孫がいるとは到底思えないほど若い。確か、六花は四十五歳だったはずだ。
(ひえ……)
でも、みことがこのまま結婚すれば、父だって四十代のうちにおじいちゃんになる可能性は充分にあるのだ。
みことがつい遠い目をしている間にも、それぞれにケーキが配られていく。
「それじゃあ、改めまして。――みことさん、幸斗さん、この度のご結婚おめでとうございます。今までみことさんに花嫁修業をつけてきた師としましては、誇らしい気持ちでいっぱいです」
六花の言う通り、みことは香夜とその妹と一緒に花嫁修業を受けてきた。
おかげで家事を一通りこなせるようになったし、これからの生活で果たして役立つのかどうかは謎だが、茶道や華道、それから書道、日本舞踊なども叩き込まれてきた。
その教えを説いた師の一人である六花の言葉に、自然と姿勢を正す。
「香夜さん同様、みことさんも優秀な生徒さんでしたから、これ以上わたくしから言うことはありません。――身体を大事にして、仲良くおやりなさい」
「……六花おば様、今までご指導いただき、ありがとうございました。お祝いの言葉にも、感謝申し上げます」
「幸斗さんはまず勉学に励み、無事大学を卒業することですね」
「はい。そのお言葉、肝に銘じておきます」
幸斗と揃って頭を下げながら、純粋な感謝の気持ちが込み上げてくるのと同時に、「身体を大事にして」という言葉は「できる限り子孫を残さなければならない身体なのだから、大事にしろ」という意味なのだろうかと、思わず
みことは確実に鬼の子を産むことができる桃娘である上、この場に父親が同席しているから、その点には触れられなかったものの、香夜が結婚する時は、それはもう凄まじい剣幕だった。
男鬼に比べ、女鬼は圧倒的に産まれにくい。だから、桃娘というものが誕生したのだ。
そのため、大切に養育される見返りとして、桃娘はもちろんのこと、女鬼はある程度の年齢に達したら、子を産むことが最重要課題とされる。
だが、時代が進むにつれ、鬼そのものが産まれにくくなってきた。
そして、その原因は女鬼だけにあるわけではないのに、子が産まれない時に真っ先に責められるのは女鬼だ。
子を
(本当、こういうところはやだなぁ……)
たとえ、結婚後に苦労させないための激励だとしても、現代の価値観を知ってしまっている以上、そう思わずにはいられない。
しかし、そんなことはおくびにも出さず、にこやかに顔を上げる。
「それでは、小言はこの辺にしておいて、いただきましょうか」
六花の言葉を合図に、お茶の時間が始まった。
「結珠、自分で食べられるか? パパが食べさせてやろうか?」
「じいじでもいいぞ」
いつの間にか立ち直った父親と祖父に詰め寄られた結珠は、ぎゅっと握り締めたスプーンに視線を落とした後、母親を見上げた。
「ままがいい!」
「ママがいいの? はい、じゃあ、結珠。あーん」
「あーん」
小さな口いっぱいにプリンを頬張って幸せそうな結珠とは裏腹に、きっぱりすっぱりと振られてしまった恭矢と英泉はどことなく寂しそうだ。
鬼頭一家のやり取りから目を逸らしてフォークを手に取り、気持ちを入れ替えたみことは苺のタルトにフォークを差し入れ、一口分を取り分ける。
「ゆきくん。はい、どうぞ」
このまま食べさせようか、あるいはミルフィーユの皿の端にでも乗せようかと考えていたら、幸斗が口を開けてきた。このまま口に入れろということに違いない。
素直に幸斗の口の中にタルトを入れてあげようとした矢先、光の速さでみことたちの背後に移動してきた父に、今まさに食べさせようとしていたタルトに食らいつかれてしまった。
後ろを振り返り、父親の行儀の悪さに唖然としているみことに構わず、刀眞はタルトを
「結婚するまでは、手を繋ぐところまでしか俺は許さねぇぞ!」
「お父さん、わたし、今日結婚したよ……? 冬城みことから、鬼柳みことになったんだよ……? まさか、もう忘れちゃったの……?」
父親の頭の具合を本気で心配したら、刀眞はぎりぃっと奥歯を食いしばった。
「……今日は休日だから、婚姻届は預かってもらっただけで、まだ受理されてねぇだろ……なら、まだギリ結婚したことにはならねぇ……」
なんて、面倒くさい父親なのだ。
ちらりと隣を見遣れば、幸斗が父に憐れみの目を向けていた。そういう目をしたくなる気持ちは、よく分かる。
(このくらい、別にいいと思うんだけど……)
なにも、父親の目の前で
「……刀眞さん。あんまり締め付けを強くすると、かえって反動がすごいことになりますよ」
「刀眞、お前なぁ……自分はひかりと結婚するまで、去る者は追わず来る者は拒まずだったくせに、娘には潔癖さを求めるなんざ、フェアじゃねぇな」
「りっちゃん、英泉……あんたらは息子しかいねぇから分からねぇだろうけどよ……娘を持つと、男は価値観が変わるんだよ……なぁ、恭矢。お前ならこの気持ち、分かるだろ?」
父と六花は歳が近く、昔は幼馴染みたいな関係だったらしい。その名残で、六花がいくつになっても父は「りっちゃん」と呼ぶのだ。
「すみません、そこは共感できかねます」
理解者だと信じていた男鬼から同意を得られず、父は悔しそうに歯噛みした。そんな刀眞を見て、香夜がころころと笑う。
「恭矢さん、昔から愛が重い分、心変わりしないものね」
香夜は姑の前では、幼い頃からの呼び方である「きょうくん」ではなく、「恭矢さん」と呼ぶ。やはり、姑の前では何かと気を遣うのだろうか。
「俺は推しには一途だからな」
ちなみに、恭矢が言うところの推しとは、嫁である香夜、娘である結珠、あと何故かはとこであるみことだ。
幼少期の頃から、恭矢には実の妹のように可愛がられていたが、もうそろそろ卒業をしてもいい頃合いだと思う反面、香夜の言う通り、みことのはとこは愛の熱量が非常に高いため、ある程度分散させた方がいいのかもしれない。
「それに、もし香夜の信頼を裏切ろうものなら、香夜に社会的に抹殺されそうで怖い……」
「あら、よく分かってるじゃない。社会的に消されるのが怖いなら、存在そのものを抹消して差し上げましょうか?」
自分の分のティラミスを口に含みながら、香夜は上機嫌に笑う。
「ゆきくん、あれが夫婦円満の秘訣かな?」
みことが二歳の時に母が亡くなったから、両親がどういう夫婦だったのかよく覚えていない。母との思い出を語る父の口振りから、仲が良い夫婦だったことは痛いほどに伝わってくるのだが、この目で直接確かめることはできない。
だから、夫婦のロールモデルが英泉と六花夫妻、恭矢と香夜夫妻しかいないみことが真顔で訊ねれば、幸斗は形容し難い表情を浮かべた。
「……みことはみことらしさを失わず、そのままでいてください」
良いことを言っているみたいだが、何とも抽象的な内容だ。
でも、無理に他者を真似ることを望まれていないことはよく伝わってきたため、素直に頷いてから幸斗がみことの皿の隅に乗せてくれたミルフィーユをフォークで刺した。
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