第6話 鬼頭本家

 みことは高校を卒業し次第、誰かしら男鬼と結婚しなければならなかったため、いつでも入籍できるようにと、年が明けてから戸籍謄本こせきとうほんを取り寄せておいたのだ。


 それが功を奏し、二人の婚姻届を時間外窓口で預かってもらう際、何の問題もなく済んだ。

 平日ではないため、まだ受理はしてもらえなかったものの、鉄は熱いうちに打っておいた方がいい。


 役場の前で幸斗とハイタッチを交わしていたら、シルバーのミニバンに乗った父があとから駆けつけ、そのまま三人で昼食を食べにいくことになった。それから食事を済ませた後、鬼頭本家に顔を出して二人の結婚を報告しようという流れになり、現在に至る。


 鬼頭本家の屋敷は、冬城家の屋敷がある九鬼町くきちょうの隣の市である百目鬼市どうめきしにある、和風建築の豪邸だ。この一帯は所謂いわゆる高級住宅街なのだが、その中でもこの屋敷は飛び抜けて立派だ。


 だが、そんな見事な屋敷の客間では、大男二人が泣きながら畳の上に突っ伏していた。


「お父さん、きょう兄さま……そんなに泣かないでよ……」


 出された香りの良い緑茶を一口飲み、卓上に下ろしつつそう声をかけたものの、滂沱ぼうだの涙を流す男鬼二人の耳には入らなかったみたいだ。


「お父さん、ここに来るまでは、割と物分かり良かったのに……」


「今になって、実感が湧いてきたの! 今になって、娘が嫁いでいく絶望が襲いかかってきたの!」


 父が涙を流しながらも勢いよく顔を上げ、心からの叫び声を上げた。そして、また畳の上に沈む。


「刀眞さん、まだまだ甘いですね……俺なんて、みことの口から『ゆきくんと結婚します』って聞いた瞬間に、絶望しましたよ……く……っ! 俺のことを『にいに』って呼んでた、あのみことがぁ……っ!」


 みことの七歳年上のはとこである恭矢きょうやがよろよろと顔を上げ、この世の悲しみを一身に背負ったかのような声を出した。濃藍こいあいの和服がよく似合う塩顔イケメンなのに、止め処なく溢れ出す涙のせいで台無しだ。


「あら、きょうくん。みこちゃんが結婚しただけでその調子なら、娘が結婚する時はどうするの?」


 呆れを隠さずに自分の父親とはとこを眺めていたら、みことの左隣に座っていた、桜が描かれたクリームイエローの着物を着こなした、あでやかで美しい女鬼が、頬に片手を当てて小首を傾げた。その拍子に、結い上げられた栗色の緩やかに波打つ髪に差してある、枝垂れ桜を模した簪の飾りがしゃらりと揺れた。


香夜かよ、なんてことを言うんだ! 想像しただけで、無理! 死にたくなる!」


「きょう、それが娘を持った父親の宿命だ……俺と同じ地獄に、さっさと堕ちてこいよ……」


 将来、ほぼ確実に自分と同じ苦痛を味わうであろう同士を見つけた父は、どことなく嬉しそうだ。


「まま、ぱぱ、どうしたのー?」


 香夜の膝の上で手遊びをしていた、母親と同じ桜の柄が描かれた空色の着物を身に着けた愛くるしい女の子が、不思議そうな顔をした。


「パパはねー、ちょっと気が触れちゃったのよー」


「き? ふれ?」


「……香夜ちゃん、さらっと残酷なこと言うね……。それにしても、結珠ゆずちゃん、前よりお喋り上手になったねー」


 みことがにこやかに話しかければ、結珠は得意げな顔をしてみせた。


「結珠、もう一歳九か月になるからね。ちょっとしたお喋りは、お手の物よ。ねー、結珠」


「うん!」


 そうやって娘に話しかける香夜は、とてもではないが母親に見えないほど、ひどく若々しい。実際、まだ二十二歳だ。


(でも、お母さんがわたしを産んだのは二十歳の時だし、鬼社会は結婚が早いからなー)


 晩婚化が進んでいる世間からすれば、前時代的だ。

 再びのんびりと緑茶を飲んでいたら、香夜の優しい垂れ目がちの胡桃色くるみいろの瞳がみことへと向けられた。


「そういえば、みこちゃん。ゆきくんからもらった指輪、もう一回見せてくれる?」


「あ、うん。いいよ」


 再度湯飲みを卓の上に置いて左手を差し出すと、香夜に指先を掬い取られ、まじまじと見つめられた。


「シンプルだけど、本当に綺麗よねぇ。さっすが私の従兄弟いとこだけあって、センス良いわね!」


 みことの指先を掴んだまま、香夜は今の今まで大人しくお茶菓子をいただいていた幸斗ににっこりと笑いかけた。


「お褒めいただき光栄です、香夜さん」


「あら。せっかく親戚同士なんだから、そんなにかしこまらなくていいのに」


「香夜ちゃん。ゆきくん、誰に対しても割とこんな感じだから」


「えー。でも、みこちゃんにはもう少し砕けた態度じゃない? 私にも、そうして欲しいー」


「香夜さんは、鬼柳本家のご息女で、鬼頭本家の次期当主の奥方様ですから。馴れ馴れしくはできません」


「ゆきくんだって、鬼柳本家のご子息でしょう?」


 そうなのだ。幸斗の亡き父親は鬼柳本家の次男で、香夜の母親はその妹だ。だから、血筋だけを見れば、幸斗は香夜と対等な立場のはずなのだ。


「……そう認めてるのは、香夜さんたちくらいですよ」


「あら、あきくんだって今では認めてるんじゃないかしら」


「納得はしてないと思いますけどね」


 そんな相手に、自分の結婚の保証人になって欲しいと頼み、署名と捺印をもぎ取ってきた幸斗はなかなかの胆力の持ち主だと思う。


「それでも、今の鬼柳本家の当主に曲がりなりにも認められたなら――」


「ぶっちゃけ、俺は鬼柳家なんてどうでもいいですし、のし上がってやろうという野心も特にありませんから。認められようが認められまいが、どっちでも構いません」


 強がっているわけではなく、それが幸斗の本心なのだろう。本当に興味がなさそうだ。


 非常にややこしいのだが、幸斗の母親は最初に鬼柳本家の長男の子を産み、次に次男の子を産んだのだ。だから、暁斗と幸斗は異父兄弟であり、従兄弟同士でもあるのだ。


 涼しい顔で緑茶を飲み始めた幸斗を、香夜は複雑そうな面持ちで眺めている。香夜としては、従兄弟の境遇を改善させたいのだろうが、幸斗としては余計なお世話というところに違いない。


 厄介な一族に挟まれたみことは、既にこういうやり取りには慣れてしまっていたため、空いている右手で黙々とお茶菓子として出された薄焼きの煎餅を口に運ぶ。

 しばらくそうしていたら、やがて香夜は溜息を零し、もう一度みことの左手に視線を落とした。


「指輪に話を戻すけど……婚約指輪の宝石に、自分の目の色とそっくりのアメジストを使うなんて、ゆきくん、なかなか独占欲が強いわね?」


 場の空気を和ませようとしているみたいで、香夜は明るい話題を振ってきた。


「自分がバイトで稼いだお金で買ったんですから、どんなものを選ぼうが、俺の勝手でしょう」


「え!? ゆきくん、わざわざ自分のバイト代から出してくれたの?」


 鬼柳本家の敷居しきいまたがないことを条件に、冬城家の屋敷に預けられてから高校を卒業するまでの間、幸斗名義の口座にかなりの額の養育費が振り込まれてきた。大学に進学した今、もう養育費は振り込まれなくなったとはいえ、相当な額の貯金があるはずだ。


 驚愕を露わに問いかければ、幸斗に怪訝そうな顔をされてしまった。


「当たり前でしょう。みこととの結婚は、鬼柳本家とは何の関わりもないんですし、首を突っ込まれたくもないので、今まで貯めたバイト代で買いました」


 幸斗が通っていた高校は、進学校でもあり難関校でもあったからなのか、校則でバイトは認められていなかった。


 その反動なのか、医学部に所属しているから勉強が大変なはずなのに、幸斗は大学に進学してからバイトにも勤しむようになったのだ。


 てっきり、大学の進路相談の際、学費を援助するという刀眞と揉めていたから、学費を自力で払うためにバイトに励んでいるのかと思っていた。


「わたし、てっきり学費のためだとばかり思ってたよ……」


「そっちも、三分の一は自分で払ってますよ。三分の二は、刀眞さんが出してくれてますけど」


「あ、その件はそういう形で決着がついたのね」


「あの件では刀眞さん、なかなか引き下がらなかったので」


 親戚の家をたらい回しにされた末、本来ならば桃娘しか預からない冬城家の屋敷に厄介払いされた幸斗を、父は子を持つ親として思うところがあったらしい。昔から、親代わりとして何かと幸斗の世話を焼こうとするのだが、こと金銭絡みの件に関しては、介入を拒まれがちなのだ。


(お父さんの気持ちも、ゆきくんの気持ちも分かるだけになぁ……)


 年相応にもっと大人に頼って欲しいと願う父と、少しでも早く精神的にも経済的にも自立したいと努力する幸斗。


 どちらの考えにも理解と共感を示せるだけに、どちらか片方に肩入れすることは、みことにはできない。


 そんなことを考えながら父に視線を動かすと、恭矢と一緒に未だに嘆き悲しんでいる姿が視界に入る。

 父の残念な姿に思わず苦笑いを浮かべた直後、みことたちが挨拶してすぐに一度外出していた、鬼頭本家の現当主が客間に戻ってきた。

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