第5話 許しを、乞う

「おはようございます、刀眞さん。ご無沙汰しております」


「へいへい、おはようさん。……で? 今日はどういう用件だ?」


 非常に体格に恵まれている三白眼の大男に凄まれると、なかなかの迫力がある。大抵の子供ならばここで泣き出し、大人であっても肝が冷える思いをしたに違いない。


 でも、実の娘であるみことと、実の子供同然に育てられた幸斗は虫の居所が悪いのだろうなくらいにしか思わない。

 だから、幸斗は表情一つ変えず、淡々と話を切り出した。


「以前、お約束した通り、俺のプロポーズにみことが頷いてくれたので、改めてご挨拶に伺いました。――どうか、みことさんとの結婚をお許しください」


 そう言い切った直後、幸斗が突然父に向かって土下座した。

 まさか、幸斗が土下座までして父に許しを乞うとは、夢にも思っていなかった。これが、俗に言う「娘さんを僕にください」というやつだろうか。


 だが、幸斗はみことをくれと、物扱いするような言い方はしなかった。それに、みことのことをさん付けしてくれた辺りからも、意志のある人間として尊重されていることが伝わってくる。

 人によっては些細なことかもしれないが、みことにとっては幸斗の言い回しが何だか嬉しかった。


 雪が降る日の空みたいな灰色の瞳が許可を求める幸斗をじっと見下ろした後、強面ではあるものの、野性味溢れた精悍な父の顔がみことへと向けられた。思いの外、真面目な眼差しに晒されると、自然と背筋が伸びる。


「……みこと。桃娘である以上、ひかりと同じように長生きできないってことは、よく分かってるな?」


「はい」


「だから、桃娘は夫に子供を託していかなきゃなんねぇ。でもな、お前たち二人の場合、みことだけじゃなくてゆきも長生きできねぇだろ。自分たちがいなくなった後のことは、ちゃんと考えてんのか? ただ好きってだけじゃ、恋愛と違って結婚はできねぇぞ」


 父は、きっとみことが心の赴くままに幸斗のプロポーズを受けたのではないかと、疑っているのだろう。


 確かに父の指摘通り、幸斗は純血の鬼ではない上、特殊な体質の持ち主であるため、元来長命である純血の鬼とは違い、みことほどではないにしろ短命だ。そして、みことが桃娘である以上、子供を産まないという選択肢は存在しない。


 だから父は、みことと幸斗が結婚したら、これから産まれてくる二人の子供が不幸になるのではないかと、案じてくれているに違いない。


 しかし、みことだって何も考えていないわけではない。


「……半年前、きょう兄さまと香夜ちゃんにお願いしました。まだ誰と結婚するかとか全然決まってない時期だったけど……もし、わたしの結婚相手が、とてもじゃないけど子供を任せられないって判断した場合、いざとなったらわたしの子を引き取って欲しいって。二人は……その時は、養子にすることも考えるって、約束してくれました」


 こういう根回しは、桃娘には必要不可欠だ。


 たとえ、夫となった相手が信頼できたとしても、自分の両親や義理の両親が健在だったとしても、いつその命に終止符が打たれるかなんて、誰にも分からない。


 だからみことは、はとこに当たる恭矢とその妻である香夜にも、いざという時はよろしく頼むと頭を下げたのだ。

 二人は複雑そうな顔をしていたものの、最終的にはみことの頼みに応えてくれた。


「それに、お父さん……いつ命を落とすか分からないからなんて言ってたら、誰も選べないよ。人生、何が起きるか分からないこと、お父さんだってよく知ってるでしょ? ゆきくんじゃない相手を選んだとしても、その鬼が絶対に長生きする保証も、子供を大切にしてくれる保証も、どこにもない。それなら――」


 父から決して目を逸らさず、その灰色の双眸をひたと見据える。


「――わたしは、信頼に値する好きな相手と結婚したい。だから、どうかお願いします」


 幸斗の言う通り、二人とも成人済みだから、結婚するに当たって親の許可が絶対に必要というわけではない。みことと幸斗、二人で婚姻届に必要事項を記入し、誰かに証人となってもらって署名と捺印なついんしてもらい、役場に提出して受理してもらえさえすれば、それで二人の結婚は成立する。


 でも幸斗が願った通り、できることならば父にこの結婚を祝福してもらいたい。母が亡くなってから冬城の屋敷に預けるまでの間、みことを男手一つで育て、この屋敷に預けてからも頻繁に顔を出して娘を見守ってくれた父に、この覚悟を認めて欲しい。


 だから、幸斗にならってみことも土下座すれば、父が溜息を零す音が聞こえてきた。


「……とりあえず二人とも、顔を上げろ」


 父に促され、おそるおそる顔を上げれば、刀眞はみことと幸斗の顔を交互に見遣ってから言葉を続けた。


「みことが、ちゃんと自分の頭で考えた上で、ゆきのプロポーズを受けたことはよく分かった。ゆきも、そこんところ、しっかり考えた上でプロポーズしたんだろ。お前、昔から頭良いもんな」


 そこまで言ったところで、父はもう一度深々と溜息を吐いた。


「……仕方ねぇから、認めてやるよ。駄目だっつって、駆け落ちされるのはごめんだからな」


 その言葉が鼓膜を震わせるや否や、自然とみことの唇から安堵の吐息が零れ落ちていく。幸斗は俊敏しゅんびんな動きでバッグに手を突っ込んだかと思えば、何か一枚の用紙を取り出した。


「まあ、どこの馬の骨とも知れねぇ野郎に、俺の可愛い可愛いみことを掻っ攫われるくらいなら、真面目で良識をわきまえてるゆきにくれてやった方が、断然マシ――」


「――みこと、今です。言質げんちを取った今、早くこの婚姻届に名前と住所を書いて、印鑑を押してください」


「やー! とりあえず、名前と住所を書いてから、自分の部屋から印鑑取ってくるね!」


「は!? 言質!? 婚姻届!?」


 幸斗の記入欄は、既に埋められている。だから、あとはみことが自分と親の名前、それから住所を記入して捺印すれば、任務完了だ。そこまですれば、さすがに父も署名と捺印してくれるだろう。


「みこと。念のため、予備の婚姻届を三枚用意しておきましたので、書き間違えてもご安心ください」


「ゆきくん、本当に準備がいいね……」


 そう言葉を交わしつつも、さらさらと記入欄にボールペンで書き込んでいく。

 念には念を入れて予備を用意してくれた幸斗には申し訳ないが、一発書きに成功した。


 だから、次は自室から印鑑を取ってこようとしたら、崩れた化粧を綺麗に直した瑠璃が疾風のごとき速さでみことの元に現れ、両手で捧げ持った印鑑と朱肉を差し出した。


「みこと様、こちらに。入籍の際に必要なものは、こちらのバッグに入れて用意しておきました」


 ちらりと横目に見遣れば、みことのネイビーブルーのトートバッグを瑠璃が脇に置いてくれた。


「ありがとう、瑠璃ちゃん」


 朱肉にしっかりと印鑑を押しつけてから、慎重に婚姻届に捺印する。あとは、父に署名と捺印してもらえれば、役場に持っていくだけだ。


(あれ? 今日、土曜だけど役場って開いてるのかな?)


 ふと疑問が首をもたげたものの、用意周到な幸斗がここで些細なミスを犯すとは思えない。

 それに、もし今日受理してもらえなければ、明々後日しあさっての月曜日に改めて持っていけばいいだけの話だ。


「はい、お父さん。ここに署名と捺印、お願いします」


「あ、ああ……」


 こちらの勢いに気圧されてしまったのか、案外、父は素直にボールペンを手に取ってくれた。

 そして、あとは捺印するだけという段階で、不意に父が眉根を寄せた。


「ゆき、よくあきの奴に保証人になってもらえたな」


 あき――鬼柳暁斗あきとは、幸斗の異父兄だ。両親を亡くした今、幸斗の二親等以内の親族は兄と祖父母だけだ。


「別に、兄さんとは仲良くありませんけど、仲が悪いわけでもありませんので」


 幸斗の口調は、あくまでも素っ気ない。こういう時、鬼柳一族が抱える複雑な事情が垣間見える。


「まあ、向こうも向こうで、それだけ大人になったってことか。――ほい、書き終わったぞ」


「お手数おかけしました。――みこと、刀眞さんの気が変わらないうちに、役場に行きますよ」


「やー!」


 みことが元気よく返事するなり、荷物を手に二人揃って即座に立ち上がり、猛然と玄関まで駆けていく。それから、幸斗は革靴に、みことは昨日も履いたシャンパンゴールドのローヒールのパンプスに足を滑り込ませると、急いで役場へと向かった。

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