第4話 父と娘
「みこと様、幸斗様、この度は誠におめでとうございます……! お二人がお小さい頃から見守ってきた身としましては、非常に感慨深いものがあります……!」
「喜んでくれてありがとう、瑠璃ちゃん。これからも何かと頼ることがあると思うけど、その時はよろしくね」
「ありがとうございます。瑠璃さんにも、今までたくさん助けられてきましたね。今後とも、夫婦共々よろしくお願いします」
「夫婦……! 遊園地で初々しいデートをしてたあの二人が、夫婦……!」
何かと男鬼に狙われやすい桃娘を、男鬼とはいえまだ子供である幸斗がいざという時に一人で守り抜くのは難しい。そう判断されたため、みことが高校生になるまでは、幸斗と二人で遊びにいくとなると、必ず護衛がついていた。
ただ、あからさまな護衛の目があると、二人とも純粋に楽しめないだろうからと、率先して瑠璃がその役割を引き受け、みことたちに気配を悟らせずに陰ながら見守ってくれていたのだ。
だから、これまで正直あまり気にしていなかったものの、よくよく考えれば、幸斗とのデートをがっつりと観察されていたのかと、つい遠い目をしてしまう。
しかし、むせび泣く瑠璃の姿にすぐに我に返り、おずおずとその背を撫でる。
「瑠璃ちゃん、あんまり大きな声を出さないで。ご近所さんの迷惑になっちゃうよ。ゆきくんも、私たちまだ結婚してないから、夫婦発言は早いよ」
「申し訳ありません、みこと様。もう少し声を抑えて話しますね」
「みこと。どうせ時間の問題なんですから、そんなに気にすることないですよ」
涼しい顔で開き直ってみせた幸斗を半眼で見遣りつつも、いつまでも玄関で立ち話をしているのもどうかと思い、薔薇の花束を回収すると、二人に声をかける。
「二人とも、そろそろ居間に行こうよ」
「ああ、それもそうですね。みこと様、その花束、一度お預かりします。すぐに花瓶に生けた方がいいでしょうから」
「ありがとう、瑠璃ちゃん。それじゃあ、お願いします」
瑠璃に薔薇の花束を渡し、幸斗と一緒に居間に向かう。
「じゃあ、ゆきくん。わたし、飲み物の用意するね。紅茶の茶葉は今ないから、ティーバッグで許して」
幸斗は紅茶党で、紅茶の淹れ方にもこだわりがあるタイプだ。
みことも紅茶は好きだが、さほどこだわりがあるタイプではないため、紅茶を飲む時にはティーバッグで淹れている。だから、現在の冬城家には紅茶の茶葉のストックがないのだ。
「どうぞ、お構いなく。……そういえば、さっきから刀眞さんが見当たりませんが……」
「お父さん、まだ寝てるの。昔から、仕事がない日はお昼近くまで寝てたことよくあったでしょ」
台所に向かいがてらそう説明したら、幸斗の憮然とした声が耳朶を打った。
「……今朝、『今日、ご挨拶に伺います』って、ライン送ったんですけど。既読もつきましたし」
驚いて振り返れば、案の定、仏頂面の幸斗の姿があった。
「……今日、スーツ着てきたの、やっぱりそういうことだったんだ……」
何となく予想はついていたものの、いざ言葉にされると、少なからず衝撃を受ける。
「そうですよ。俺たち、一応成人してるので結婚に親の許可は必要ありませんが、お世話になった恩人の大切な娘さんと結婚する以上、きちんと筋を通したいですし、祝福もしてもらいたいです」
「うーん……お父さん、素直にいいよって言ってくれるかなぁ……」
父はかなりの親馬鹿だ。そう簡単には、結婚の許可は出さない気がする。
そもそも、ある程度の年齢になったら結婚しなければならないにも関わらず、今日に至るまでみことに婚約者がいなかったのは、父が娘の縁談を片っ端から断ってきたからだ。
みことが腕を組んで首を捻っていたら、幸斗は軽く肩を竦めた。
「『みことがいいよって言ったら、いいぜ』っておっしゃってましたので、前言撤回でもなさらない限り、大丈夫かと」
「お父さん……それ、ゆきくんとの結婚を認めたも同然の条件じゃない……」
みことが昔から幸斗に恋をしていたことなど、父は知っているはずだ。そんな緩い条件を出したということは、息子同然に可愛がってきた幸斗にならば、娘を任せられると判断したのだろうか。
(それならそうと、さっさと認めちゃえばいいのに)
そうもいかないのが、親心というものだろうか。
「あ、ゆきくん。座ってていいよ。紅茶淹れるの、すぐだから」
「いえ。菓子折りも持ってきたので、手伝います」
そういえば、花束の他にもバッグと一緒に紙袋を持っていた。その中身が、菓子折りだったに違いない。
「本当? ありがとう、ゆきくん。その辺の食器、好きに使っていいからね」
「みこと、俺も二年前まではこの家に住んでたんですよ? 気を遣わなくても大丈夫です」
薬缶に水を入れて火にかけながら声をかければ、幸斗は苦い笑みを零した。
それから、二人で他愛もない雑談をしつつ、お茶の用意を進めていった。
***
「――お父さん、起きてこないねぇ」
幸斗と向かい合わせで座り、アールグレイのホットのストレートティーを飲みながら、幸斗が持参したマカロンを摘まんでいたのだが、一向に父が姿を見せる気配がない。
幾度か琴子や瑠璃が声をかけにいったらしいが、何の反応もなかったそうだ。
「ゆきくんのラインを見てから、二度寝しちゃったのかなぁ」
「その可能性は充分ありますが……さすがに遅すぎる気がします」
何だか、ミステリーものの展開みたいになってきた。
最初はのんきに構えていたものの、だんだんと心配になってきたから、一度父の部屋を見てこよう。
「ゆきくん。わたし、ちょっとお父さんのこと見てくるね」
幸斗が頷くなり、急いで立ち上がって父の私室と化している客間へと足早に向かう。そして、父の部屋の前に立つと、まずは襖越しに声をかける。
「お父さーん、もうすぐお昼だよー! そろそろ起きなさーい」
比較的大きな声を出したものの、返事はない。
だから、娘であるみことは何の迷いもなく、目の前の襖を勢いよく開け放った。
「お父さん、いい加減惰眠を貪るのはやめなさい!」
障子戸越しに陽の光が入って明るい室内には、こんもりと膨らんだ布団の塊があった。ずかずかと近づいていくと、容赦なく掛け布団を引き剥がす。
「お父さん!」
「んー……やだ」
黒いスウェット姿で身体を丸めている父は、十八歳の娘がいるとは到底思えないほど、若々しい見た目をしている。実際、父が二十四歳の時にみことが産まれたのだから、充分若い部類に入るだろう。
両手を腰に当てて睨みつけても、父は敷布団の上で丸まったまま、起き上がろうとしない。そんな父に呆れて溜息を吐き、足の
「お父さん、ゆきくんが来てくれてるんだよ。早く起きて、支度してきてよ」
「だから、起きたかねぇんだよ」
つまり、幸斗が挨拶に来ると分かっていたから、不貞寝を決め込んでいたのか。
「お父さん……このまま起きないなら、顔に水かけるよ」
みことが実際にやりかねないと思ったからだろう。ぼそりと言葉を零した途端、父が素早く起き上がった。
「はい。とっとと顔を洗って、歯を磨いて、
「えー……面倒くせぇ」
本当に面倒くさそうに、敷布団の上で胡坐をかいている父は、片手でがりがりと頭を掻く。いっそ頑固なまでにまっすぐな髪質であるため、父の緑の黒髪には一切の寝癖がついていない。
「いいから! とっとと立つ!」
空いている左腕を掴んでぐいぐいと引っ張れば、ようやく観念したのか、父がのろのろと立ち上がる。
それから、客間を出てのそのそと洗面所に向かっていく父の後ろ姿を見届けると、さっさと幸斗の元へと戻る。
「ゆきくん、お待たせー。お父さん、不貞寝してたみたいでさ」
「ああ……なるほど」
ちょうど紅茶を飲み終えたところだったらしい幸斗は、空のティーカップをソーサーの上に置きつつ、納得したような声を漏らした。
「おかわり、淹れてこようか?」
「いえ。刀眞さん、どうせすぐ来るでしょうから、俺は結構です」
「じゃあ、お父さんの分だけ淹れてくるかー」
紅茶の用意ができたところで、いかにも渋々といった体の父が居間に姿を現した。パールグレーのボートネックのニットとジーンズの組み合わせが、ちゃんとした格好に該当するのかどうかは謎だが、スウェットよりは断然見栄えが良い。
父が幸斗の向かい側に腰を下ろしたため、みことは幸斗の左隣に正座した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます