幕間 彼への初恋

 私が棚倉朔という一つ下の男の子と初めて出会ったのは、中学二年生の時のことです。

 当時、私はクラスに馴染むことができなくて、授業をサボっては図書館に入り浸っていました。

 入り浸ってなにをしていたのかというと、絵を描くことです。

 私は小さな頃から絵を描くのが好きでしたが、小学校高学年にもなると、絵を描く場所の確保に困るようになりました。低学年の頃は周りにもお絵描きの好きな子がいて、休み時間になると机をくっつけて一緒にお絵描きを楽しんだりしていたのですが、学年が上がるにつれてみんな一緒にお絵描きしてくれなくなったのです。それどころか、ずっと絵を描いている私をからかう子もでてきました。

 先生も味方ではありません。私が教室で一人絵を描いていると「友だちと遊びなさい」「外で遊びなさい」と口出ししてくるのです。

 では、家で描けばいいのかというと、そんなに単純な話ではありません。ウチはママが漫画家だけあって、資料はたくさんあるし、環境としてはこの上ないのですが、ママがプロだからこそ、比較してしまい自分の絵の拙さを思い知らされてしまうのです。

 受験をして中学に入っても状況はあまり変わりませんでした。

 周りの人たちは教室で絵を描く私のことを異分子として見てきます。それでも、構わないでくれたらいいのですが、私の絵について頼んでもいないのに批評してきたり、私自身を否定するような言葉を投げかけてきました。そうして、教室にいられなくなった私が居場所として求めたのが学校の図書館だったのです。


 私が初めて「彼」を認識したのは、絵の資料としてライトノベルを本棚に取りに行った時のことでした。隣に立って、並んだ背表紙を熱心に見つめる彼は今よりもっと背も低く、ブカブカの学ランに「着られてる」感じでした。

 それにしてもあの子、よく来てるな~。中1のその小さな男の子を図書館で見かける度に自分を棚に上げてそう思ったものです。

 時折、彼が私の席の後ろを通って、私の絵をさりげなく見ていることにも気がついていましたが、学年も違う男の子にいきなり話しかける勇気が私にはありませんでした。

 そうして特にこれといった出来事も起きない日々が過ぎていったのです。


 しかし、平穏な日々にもついに終わりがやってきました。私をいじめていた男子が図書館まで押しかけてくるようになったのです。

 彼らを追い払ってくれたのは、いつも見かけるかわいい男の子でした。中1も終わりになると、大抵の子は身体が成長して制服が身体に馴染んでくるものですが、彼はまだ制服がブカブカでした。

 彼は声変り前の高い声を震わせながらも、自分よりも身体の大きな上級生たちに言い返し、いじめられていた私を守ってくれたのです。私にとって、彼はヒーローでした。

「あいつらの言うことなんて気にすんな。君の描く絵、僕は素敵だと思うぞ」

 あまり女子と話し慣れていないのか、少し目を逸らせて、はにかみながら言った顔が忘れられません。私はその時、恋に落ちたのだと思います。

 ただ私には彼に直接話しかける勇気がありませんでした。だからこそ、ツイッターでアカウントをつくって、フォローして仲良くなるという回りくどいやり方を取ったのです。

 彼のアカウントを知ったのは、ほんの偶然でした。

 彼に助けられるほんの数日前のことです。その日、彼は太った眼鏡の男の子と一緒に図書館に来ていました。

「これがエスケー殿のおススメのラノベでありますか?」

「ハンドルネームで呼んでくるの、学校ではやめろよ。クラスのやつにアカウントバレたら面倒だ」

「ではタナクラ殿」

「それでいい」

 ハンドルネームで呼んできた友だち(今思うとザキくんだったと思います)をたしなめる会話を聞いた私は、彼の苗字が「タナクラ」であること、ハンドルネームが「エスケー」であることを知りました。そのことは、それっきり記憶の底に放り込んでいたのですが、彼に惚れた後で、思い返し、繋がるための糸口をそこから掴もうと思い立ったのです。


 アカウントはあっさり見つかりました。ツイート内容を見ても彼で間違いないようです。

 私は「市田明日」というアカウントを即席でつくって、彼をフォローしました。

 図書館で助けた少女だと気付いてもらいたくて、描いた絵を上げてみたりしましたが、残念ながら彼は気付いていない様子。かといって「あの時助けていただいた笠置つゆりです」とDMを送る勇気も持ち合わせていませんでした。

 自分から話しかける勇気を持てないなら、彼の方から話しかけてもらえるように持って行ったらいい。次に私はそう考えました。

 一番いいのは彼好みの女の子になることです。ツイートから彼の好みについての情報を得た私は、春休みの間に現実の私自身を彼の好みに寄せることにしました。

 まずは長かった髪を思いきってバッサリ切りました。彼が好きなキャラクターがことごとくボブカットだったからです。

 ちょっと怖かったけれど、コンタクトを入れて眼鏡と訣別しました。彼は眼鏡っ子に興味がないみたいだったからです。

 ダイエットにも挑戦しました。元々自分がぽっちゃりしているという自覚はあって、容姿をからかわれる度に「痩せなければ」とは思っていたのですが、なかなか行動に移せていなかったので、これが好機になりました。

 イメチェンはある程度効果を発揮したみたいです。なんせ、彼が私のことをチラチラと見る機会が増えましたから。

 好みにドンピシャの女子がいると思ってくれているに違いありません。

 ただし、いつまで経っても彼は話しかけてきてくれませんでした。きっと、私と同じで話しかける勇気を持てないのでしょう。

 結局、彼とは身元を明かさないネット上での付き合いがメインになりました。

 物足りない気もしますが、彼の色々な面を知ることができて、これはこれで楽しかったです。

 彼は私がイラストを上げる度に好意的な感想をくれましたし、スランプの時には相談にも乗ってくれたので、絵を描くモチベを保つのに彼の存在がどれだけ大きかったかわかりません。彼が応援してくれているから、期待に応えられるようもっといい絵を描こうと思うことができたのです。

 幸か不幸か彼は市田明日の正体に気付きませんでした。私の中では気付いてほしいという思いと、気付かれたくないという相反する思いが渦巻いていました。

 気付いてくれたなら、彼が私のことをよく見てくれていたということになりますが、一方で、イケてなかった頃の私を覚えられていたら、それはそれで恥ずかしいという思いもあります。


 結局彼との関係性は単なる親しいフォロワー以上に進展しないまま、二年が経ちました。

 学校では図書館で会えば会釈くらいするものの、会話まではしない関係性。ネットではざっくばらんに話せる相手ではあるものの、同性の友人みたいで、恋愛関係に発展する可能性は限りなくゼロに近そうです。

 さすがの私にも焦りが出てきました。なにかしら行動を起こさなければ、棚倉朔くんとは単なるフォロワーだけの関係で終わってしまうことでしょう。

 一念発起した私は思いきって彼にこうDMを送りました。

「今度の日曜、予定空いてたらオフ会しませんか?」


 そして、オフ会の後に告白したところ、「向き合う資格がない」と保留されたわけですが、その理由がまさか、イメチェン前の私と今の私を同一人物だと気付いていなかったからだなんて思いもしませんでした。

 眼鏡を外して髪を切り、痩せたことで、自分でもだいぶ見た目が変わったとは思いますが、別人だと思われていただなんて。

 でも、別人だと思われるくらいのイメチェンをやってのけようと思い立って、それを実行に移すことができたのは、棚倉朔くんのことをそれだけ強く思っていたからなのです。

 だからこそ伝えることにしましょう。彼への感謝を。

「私は、朔くんのおかげで自分を変えることができたんです」

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