第31話 お泊りの夜
その後僕らは昼食を挟んでからまた片付けを再開し、夕方には部屋がすっかり片付いた。
Gはまだいるかもしれないので、何か所かホイホイを仕掛けておく。
「せっかくのお泊りですけど、片付けでだいぶ時間が食われちゃいましたね」
「それに関しては仕方ないだろ、部屋をあのままにしておくわけにもいかんだろうし」
まるで部屋を片付けるためにわざわざ泊まりに来たようなものだが、今日のメインはあくまでもこれからだ。
「せっかくのお泊りですし、お風呂にもお布団にも一緒に入りたいですね」
「高校生の男女でそれはダメだろ。親御さんも許可しないだろうし」
「ママは私も客間で一緒に寝るようにって言ってくれましたよ?」
「いや、そうはならんやろ」
高校生の娘が彼氏と同じ部屋で寝ることを許可する親がいてたまるか。冗談かなにかだろう、きっと。
「じゃあ、これはどう説明するんです?」
客間の入口の襖を開けて、つゆりが室内を指差す。
旅館の一室のように立派な和室には布団が二つ、ぴっちり隣り合って敷かれていた。
ここで一緒に寝ろということか。
今朝、荷物を置いた時には布団が敷かれていなかったので、その後で敷かれたのだろう。
壁際にはテレビと小さな冷蔵庫が置かれていた。こういうところが旅館っぽい。飲み物でも入れてあるのかと思って開けてみると、精力剤が何本も入っていた。さすがに引く。
まるでそういうことをしろと言わんばかりの用意だ。
「君の母親は正気か?」
「正気じゃないですね」
「これがおかしいということに、君は気付いているんだな。なら、良かった。いや、良くないか」
「お姉ちゃんの方は期待できそうにないから、つゆりが頑張ってくれ。一日でも早く孫の顔が見たい、ってママからLINE来てます」
「高校生にそんなもん期待すんなよ」
「何はともあれ、これで晴れて一緒に寝れますね」
つゆりが満面の笑みを見せる。その嬉しそうな顔を前にすると、とても「自分の部屋で寝てくれ」なんて言い出すことはできないのだった。
夕食は笠置父が作り置きしてくれた特製カレーを、録画したアニメを見ながら食べた。専門店で出るような質の高いカレーで、おうちカレーの範疇を逸脱している。ほんと笠置父は何者なんだ。
食後は交代で風呂に入る。つゆりは一緒に入りたがっていたが、さすがに突っぱねて脱衣所の中から鍵をかけておいた。
風呂上りは客間の布団の上に二人寝そべって、ダラダラと話をしながら過ごす。
話の内容は学校やネット上で話すこととなんら変わらないけれど、風呂上がりで普段よりもかぐわしい匂いがするつゆりが至近距離にいるということで緊張しっぱなしだった。
具体的にどういうことを話したのか、記憶から飛んでしまっている。
22時に部屋の明かりを消した。真っ暗だと寝れないとのつゆりの要望で、ナツメ球にしてある。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
お互い言葉をかけて布団に入るが、もちろん消灯したからすぐ寝れるなんてこともない。
なにしろ彼女(仮)の家に泊まっていて、隣の布団に彼女(仮)がいるのだ。
緊張したり、色んな想念が頭を回って、僕は普段以上に寝付かれずにいた。
寝付けないのはつゆりも同じようで、少し経ってから声をかけられた。
「朔くん、まだ起きてます?」
杏色に染まった木の天井を見ながら返事をする。
「起きてる」
すると、少し間があってからこう返ってきた。
「一つだけ気になってることがあるんですけど、寝れないついでに聞いてもみてもいいですか?」
「ああ」
「初恋の人のことです。遠慮なんていらないですから、私に洗いざらい話してしまってください。それこそすっきりして賢者モードになるくらいに」
「今のとこ、下ネタ入れる必然性あったか?」
初恋の人のことがつゆりはやっぱり気になっていたんだな。チクリと心に罪悪感を覚える。聞きたくても面と向かい合っている普段は聞けず、勇気を振り絞ってこの機会に聞くことにしたのだろう。下ネタもひょっとすると、空気が重くならないようにというつゆりなりの配慮なのかもしれない。
「少し長くなるが、聞いてくれるか」
「はい、春の夜は長いですからいくら長くても大丈夫です」
「春の夜は平家の栄華の例えに使われるくらいだから短いだろ。むしろ夜が長いのは秋だ」
「こういう時でもちゃんとボケを拾ってもらえると嬉しいですねぇ」
「ボケを拾ってもらう前提で会話するなんて、漫才かよ」
いつものようにアホなんだか教養があるんだかわからないやり取りを挟んでから、僕は話しはじめる。
学校の図書館で出会った絵を描く少女のこと。いじめから少女を助けたこと。少女に恋をしたけれど、その日以来再会できなかったこと。
つゆりは相槌を打ちながら聞いてくれた。
「……というわけだ」
「なるほど、そういうことだったんですね。私を見てその人を思い出すということも納得できました」
「なんせ、共通点が多いからな。だからこそ僕は、初恋の彼女と共通点の多い君を代用品にしているみたいで、罪悪感があるんだ」
「共通点が多いのは当たり前ですよ。だって、同一人物なんですから」
つゆりからサラッと放たれた言葉に、僕は思わずつゆりの方を見た。
杏色の淡い灯りに照らされて彼女は柔らかく微笑んでいる。
「同一人物? 誰と誰が?」
「もう、現代文得意で読解力あるはずなのに、なんで突然アホになるんですか。前後の文脈考えたら、わかりますよね?」
「そんな衝撃的なことを突然言われたら、頭が混乱するだろ」
「えへへ、他に好きな人がいるみたいなこと言って、散々私を悶々とさせた罰です。ちょっとくらい混乱しといてください」
つゆりはそう言うと立ち上がった。
「おい待て、どこ行くんだ」
「同一人物だという証拠を持ってきてあげます」
つゆりはすたすたと部屋を出ていき、階段をドタドタと駆けあがる音が続けて聞こえてきた。
階段の音なんてどうでもいいことが気になってしまうのは、初恋の人とつゆりが同一人物だという信じられない事実から目を逸らしたいからだろう。
「お待たせしました」
戻ってきたつゆりは眼鏡をかけていた。それも野暮ったい印象を受ける黒縁の四角い眼鏡だ。手にはアルバムを持っている。
「今日、朔くんが片付けを手伝ってくれたおかげで、すぐ見つかりました」
「つゆり、その眼鏡……」
「思い出しましたか? あの時、かけてた眼鏡ですよ」
つゆりは僕の隣に腰かけると、顔を近づけてきた。
眼鏡のレンズ越しに右目の泣きぼくろが見える。
不鮮明だった初恋の人の顔が脳裏でくっきりと像を結んだ。
「思い出したよ。やっぱり眼鏡の有無で人の印象って随分変わるんだな」
「この眼鏡、ダサいって家族からは不評だったんですよね。お姉ちゃんからはずっと桐島聡みたいって言われてました」
「妹を指名手配のテロリストに例えるなんてひどい姉だな」
「ほんと酷いですよ。そうだ、中学時代の写真も見せますね」
僕にも見えるようにと、くっつけた膝の上でアルバムを開く。
カメラやスマホで撮ったつゆりの成長記録を印刷してまとめたアルバムのようだ。
つゆりはページをめくり、一枚の写真を指さす。
入学式の立て看板がある校門の前で記念撮影をする少女の写真だ。少しぽっちゃりとした長い髪の少女。黒縁眼鏡のレンズ越しに泣きぼくろが見える。
「間違いないよ。この人こそ僕の初恋の人だ」
「イメチェンした私を見たとき、泣きぼくろが一致しているのに、気付かなかったんですか?」
「偶然だと思ったんだよ。泣きぼくろのある人間なんて山ほどいるわけだし。少なくとも、図書館で撮ろうとした本が同じで手が重なるみたいなのよりはよっぽど確率が高いんじゃないか、知らんけど」
アルバムを挟んで布団の上に座り、僕らは言葉を交わす。
「二人の人を好きになったと思っていたのに、結局同一人物のイメチェン前とイメチェン後だったなんてなあ。初恋の人がどうこう悩んでたのが自分でもアホらしく思えてくるよ」
「つまり私は朔くんを2回も惚れさせたわけで、女としてこんなに光栄なことはありません」
「というか、なんでイメチェンしたんだ? あと、なんで学校で話しかけてこずにフォロワーの市田明日として接触してきたんだ? こっちからも聞いてみたいことが色々あるな」
「じゃあ、今度は私の方の事情を話すとしますか」
つゆりはいつもの癖で毛先をくるくると弄りながら話しはじめた。
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