第28話 あの子の記憶

「さくくん」

 その日の夜のことだ。僕は誰かに呼ばれて目を覚ました。

 目を開けると、薄暗闇の中、ベッドの隣に裸の少女が寝ていた。

 驚いたけれども、次の瞬間には「ああ、これは夢だな」と冷静になる自分がいた。

 僕の自室のベッドは高校生が二人寝るには狭すぎるし、だいいちこんな夜中にベッドに忍び込んでくるやつに心当たりはない。

 だけど、やけに実感的な夢だった。

 目の前には肉付きがよく、なまめかしい肉体がある。胸には小さいけれども形のいい双丘が並んでいて、僕は思わず息を呑む。

「へへ……朔くん、私のこと好きにしてもいいんですよ?」

 その声に僕はよく聞き覚えがあった。つゆりの声だ。

 しかも、その少女はつゆりと同じ匂いがした。

 けれども彼女はつゆりではなかった。

 ボサボサの長い黒髪に丸い輪郭。黒縁の眼鏡。右目の目尻にほくろがある。

 その少女に僕は見覚えがある。忘れもしない初恋の少女だ。

 初恋の話で思い出したから夢に出てきてくれたのか。

 彼女が眼鏡を外した。だが、その顔は部屋の暗さと長すぎる前髪が相まって見えない。

 どんな顔してたっけ。結構前のことだし、顔をはっきりと見た経験も少ないからか、はっきりとは思い出せない。

 それが悔しかったし、自分が冷たい人間のような気がした。

「もっと、顔を見せてくれ」

 僕は彼女の顔を見ようと、前髪に手をやり、顔が見えるよう横へはらおうとする。

 と、そこで目が覚めた。

 ベッドの隣には誰もいない。もう一人寝るには狭い空間があって、その先に壁があるだけだ。カーテンの隙間から見える空はまだ薄暗い。


 最っ低だ!

 ベッドの上に起き上がり、壁にもたれて座ると、僕は頭をかきむしった。

 心を満たすのはあんな夢を見たことに対する自己嫌悪の感情。

 つゆりに対して失礼なのはもちろん、名前も知らない初恋の少女に対しても失礼だ。


 それにしても、彼女は今、一体どうしているのだろう。

 彼女と出会ったのは、僕がこの中高一貫校に入学して間もない頃のことだ。3年前のことになる。出会った場所は学校の図書館だ。奇しくもつゆりと出会ったのと同じ場所である。

中学一年生の僕は、クラスメイトとの交流そっちのけで、入学早々図書館に通い詰めていた。小学校の図書室なんかとは規模が違う、中高の図書館が珍しかったのもあるし、中学受験からの解放感もあっただろう。

そうして僕は彼女に出会ったのだ。

黒縁眼鏡をかけた、髪の長い、ぽっちゃりとした少女。

自習用にいくつも置かれた席のうち、彼女はいつも端の方の目立たない席を使っていた。

そして、いつも熱心にペンを動かしていた。といっても、勉強していたわけではない。

絵を描いていたのだ。それもキャラクターの絵を。

図書館にはライトノベルや、数こそ少ないものの漫画もあった。彼女はそれらの本を本棚から取ってくると、それを参考に絵を描いていた。模写ではない。お手本の絵とは違うポーズや、描かれていないシーンを想像で補って描いていたのだ。中学生の描いた絵にしては結構うまかった。元々の素質もあるだろうけれども、相当努力を積んでいたのだろう。

中一の僕は彼女の絵を見て感心した。けれども、声をかけはしなかった。

彼女の集中を乱したくなかったから、なんて言うと立派に聞こえるが、下校のタイミングで声をかけることだってできたわけだし、結局は接点のない相手に話しかける勇気がなかっただけなのだ。

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