第27話 キスしませんか?

 夜の帳が下りた川沿いの住宅街を二人並んで歩く。

 普段なら別れるその瞬間まで延々と盛り上がるのだが、今日の僕らは言葉少なだ。

 ほどなく、歩行者専用の小さな橋にさしかかる。橋の先に続く横断歩道の信号は赤だ。

 橋の真ん中くらいまで来たところで、左の袖を引っ張られる。

 思わず振り返ると、つゆりが思いつめた表情で唐突にこう口にした。

「ねえ、キスしませんか?」

 あまりに脈絡がなさすぎて面食らう。

僕が固まって反応できないでいると、つゆりはこう続けた。

「私のことを初恋の人より愛してるなら、今この場でキスしてください」

 なぜこのタイミングで、とは思うものの、つゆりの方は並んで歩きながら色々考えていたのだろう。

いつものように「それはちょっと……」と断るという選択肢は僕には残されていないように思われた。なぜなら、現時点で僕がつゆりのことを初恋の相手よりも愛していることは疑いようのない事実だからだ。

僕は心を決めて、つゆりに向かい合い、両肩に手を置く。

「その……一瞬だけ目を閉じてくれないか」

 つゆりが目を閉じる。その頬は信号の光に照らされて赤く染まっていた。

 僕も目を瞑り、つゆりの柔らかい唇に自分の唇をそっと重ねる。

 身構えた割に、ファーストキスは拍子抜けするくらいあっさりと終わった。


「良かったです。朔くんが初恋の人よりも私のことを愛してくれているってわかって」

「ここでキスをしないという選択肢はなかったな。つゆりを愛しているのは事実だし、さっきの件の埋め合わせもしたかったから」

「朔くんは罪悪感を覚えてるみたいですけど、朔くんに初恋の人がいたくらいで精神的に不安定になる私も悪いんですよ。聞かなくてもいいことまで聞いて空気を微妙にして申し訳ないと思います」

「いや、つゆりは悪くない。僕が告白を保留した時にちゃんと背景を説明しなかったのが、今日の件の一番の原因だよ。自分を責めるのはやめてくれ」

 僕らが橋の上でそんなやり取りをしていると、いつの間にか信号が青に変わったようで、「パッポーパパポー」とシリアスな空気を切り裂くような気の抜けた誘導音が鳴っているのが聞こえてきた。

 なんとなくおかしくなって、僕らはお互い「プッ」と吹き出した。

「やっぱりこういう真面目な話、私には似合いませんよね。いつもみたいにアホなやり取りをしましょうよ」

「そうだな。真面目な話だって時にはしないといけないけれど、そればっかりだと疲れてしまうし、残りの帰り道くらいアホな話をしながら歩いて行こう」

「じゃあ、私の方から話題振っていいですか?」

「ああ」

「私思うんですけど、人間がキスするときの顔ってはっきり言って変顔ですよねー」

「キスした直後にその話する?」

「キスするときに目を閉じるのが一般的なのって、好きな相手のそういう顔を見たくないし、自分のそういう顔を相手に見てほしくないからじゃないですかねー、知りませんけど」

「そうじゃなくて、至近距離で目が合うと気恥ずかしいからじゃないのか?」

「あ、そうだったんですか!」

「変顔を見たくないし見せたくないからだとロマンもへったくれもないだろ」

 そこからいつものようにアホなやり取りをしながら坂道を登り、あっという間につゆりの家に着いた。

「朔くん、また明日です!」

 つゆりは僕に向かって手を振ると、家の中へと消えた。

 僕はドアが閉まるのを見届けて、坂道を下りはじめた。一人きりの暗い帰り道は頭を冷やすには充分だ。

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