第26話 初恋
僕はキッチンの冷凍庫からカップのアイスを二つ取ってきて、部屋に戻ると一つをつゆりに手渡した。
「ベッドの上で食べてもいいけど、こぼすなよ」
「それはフリですか?」
「言葉は額面通りに受け取れ。ベッドにアイスこぼされて喜ぶやつがどこにいるんだ」
「多様性の時代ですし、ベトベトのベッドで寝たい人だっているからもしれませんよ」
「なんの多様性だ」
「私としてはその後の『ベトベトのベッド』にもツッコんでほしかったんですけど」
「あまりに単純なダジャレすぎてツッコむ気になれなかった」
ベッドの上に並んで腰かけ、アホなやり取りをしながらアイスを食べる。
「欲を言うとバニラじゃなくてクッキー&クリームが食べたかったです」
「冷凍庫にバニラしかなかったんだよ、欲張りなやつめ」
「バ~ニラバニラバニラ求人♪ バ~ニラバニラで高収入♪」
「歌ってる暇があったら溶ける前に食え」
「今度朔くん家に来る時は事前に買っといてくださいね」
「自分家で食うか、来る途中で買えよ」
「彼女なんだから、それくらい甘やかしてくださいよー」
「甘やかしすぎないこともまた愛情だ。てか、もたれかかってくるなよ!」
「そーいや、朔くん、ちょっと聞いてみたいことがあるんですけどいいですか?」
「なんだ?」
「この前のオフ会の時、『自分には君に向き合う資格がない』って私の告白を保留したわけですけど、具体的にはどういうことなのか聞いていいですか?」
なぜこのタイミングで聞いてきたんだと思ったけれど、告白されたにも関わらず煮え切らない返事をしたことについてはどう考えても僕が悪いので、この機会にはっきり言ってしまおう。
「あー、その件なんだけどな、どう説明したらいいものか」
いざ説明しようと口を開いてみると、うまく続きが出てこない。
「私のことは好きなんですよね?」
「それはもちろんだ。つゆりのことは大好きだし、付き合えるなら嬉しいと思う」
「それなのになんで資格がないことになるんですか?」
「僕の心の中に、つゆり以外にもう一人いるんだ」
「詩的な表現が突然出てきましたね。要するに、私以外にもう一人好きな人がいるから自分を不誠実だと思ってるみたいな認識であってますか?」
「だいたいあってる」
「そのもう一人って誰ですか? どの作品のなんてキャラですか?」
つゆりが珍しくクソ真面目な顔で聞いてくる。だが、質問の内容がおかしいので、僕は彼女の認識を正さねばなるまい。
「おい待て、なんで二次元前提で話を進めようとする?」
「え⁉ 三次元なんですか! オタクな朔くんのことだからてっきり二次元の嫁のことかと」
「三次元だよ! それもアイドルとかでもなく現実の人間、僕の初恋の相手だ」
僕がそう告げるとつゆりは文字通り飛び上がって驚いた。ベッドが揺れる。アイスを食べ終わって、容器を机に置いたあとでよかったな。
「ぅえっ、さ、朔くんってれ、れれれ恋愛の経験があるんですかっ⁉ 陰キャでオタクでぼっちで、他人に興味なさそうなのに!」
「ひどい言いざまだな。曲がりなりにも君が好きになって告白までした相手だろ」
「私が初めてだと思ったのに~!」
「果たして恋愛とまで言えるかどうかは自信がないんだけどな」
「それでどういう感じの初恋だったんですか? 好きだと伝えられずに遠くから見てただけなんですよね」
「まあ、そうだな。中一の時だし、まだ恋がなんなのかもわかってなかったと思う」
「初恋って言ったら、やっぱりそうですよね。ふりこ細工の心ですよね?」
「相手は放課後の校庭を走るタイプじゃなくて、インドア派だったけどな」
「愛って漢字を書く度に震えてたんですか?」
「さすがにそれはないよ。いい加減、村下孝蔵から離れろ」
平成二〇年代生まれだぞ、僕ら。あの曲が出た時代、親世代ですらまだ子供だ。
「ところで、初恋の人と私ならどっちの方が好きですか」
「初恋の相手とつゆり、どちらが好きかと聞かれたら、そりゃ、つゆりの方が好きと答えるに決まっている。ただ、僕はつゆりといる時でもふとその人を思い出してしまう自分を許せないだけなんだ」
「なんでその人のことを思い出すんでしょう。別に責めてるわけじゃないんですけど、気になってしまって」
「どうしてその人を思い出すかというと、共通点が多いからだな。その人も君と同じように絵を描くのが好きなオタク少女で……あ、ごめん。君だって聞きたくないよな。僕が昔好きだった女のことなんて。僕ならつゆりが他の男の話をしていたら嫌な気分になってしまう」
無神経だった自分に対する自己嫌悪の情が頭の中を駆けめぐる。
「安心してください。私が好きな三次元の男の子は朔くんただ一人ですから!」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、つゆりへの配慮が欠けていたよ、ごめん」
「いいんですよ。むしろ謝られたら居心地悪いですって!」
つゆりはそう言って微笑んだが、その表情にはどこか寂しさが感じられた。
「まあ、そういうわけで、僕としてはつゆりと付き合う前に気持ちの整理をきちんとしておきたいんだ」
「どうやったら気持ちに整理がつくんでしょうか」
「うーん、完全に忘れ去る必要はないにしても、思い出す回数が減って、つゆりといる時はつゆりのことしか考えない、くらいの状態になったらいいのかな」
「つまり私のことしか考えれないくらい朔くんのことを魅了してあげればいいわけですね」
つゆりはそう言いながら、ベッドに倒れこんだ。
「朔くんが他の女の子を思い出さなくて済むように、ベッドに私の匂い付けといてあげます!」
冗談めかしてそう言いながら、つゆりが僕のベッドの上で転げまわる。
さっきまで真面目な話をしていたのに、つい笑ってしまいそうになるが、自己嫌悪に陥りそうな僕をつゆりなりに元気づけようとしてくれているのだろうか。
「おおー、枕から朔くんの匂いがします!」
しばらくベッド上で動き回っていたつゆりだが、動きを止めると今度は枕に顔を押し付けて匂いを嗅ぎはじめた。
「おいやめろ」
さすがに恥ずかしいので枕を取り上げる。枕の表面はしっとりと濡れていた。
ここで僕は一つの可能性に思い当たる。
まさか、つゆりのやつ、ふざけるフリして泣いてたのか?
枕に顔を押し付けていたのが、もし僕に泣き顔を見られたくないからだとしたら。
終わった過去の話を理由にうだうだ言って、好意を寄せてくれる女の子を泣かすなんて、我ながら最低だと思う。
僕は一刻も早く気持ちに整理をつけて、つゆりと真正面から向き合わねばなるまい。
微妙な空気を残したまま二人過ごし、外も暗くなってきたころ、つゆりが「帰る」と言い出した。
「もう暗いし、送ってくよ」
「そんなー、悪いですよ。そんなに遠くないんですし」
僕はその言葉を額面通りに受け取ることができなかった。ひょっとするとやんわりとした拒絶なのではと考える自分がいる。
「夜道を一人で歩かせるわけにはいかないよ。宝塚市ってただでさえ街灯少なくて暗いんだし」
拒絶を受け入れたらそのまま会えなくなってしまうような気がして、僕がそう言うと、つゆりは特に食い下がることもなく、送られるのをあっさり受け入れた。拒絶だというのは僕の思い過ごしであってくれればいい。
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