第16話 二人はなんで制服をとりかえばやしてるのかな

 結局、僕らは廊下でお互い背を向き合って着替えることになった。

 もっとも、着替えてる最中、背後からちょくちょく視線を感じたので、つゆりに見られていたであろうことは想像に難くない。

「どうですかー、着替え終わりましたかー?」

「一応」

 つゆりのセーラー服とスカートを身に着けた僕は、初めて着る女子制服の違和感に戸惑っていた。足元がスースーするし、なんか変な気持ちだ。ちょっとこれはマズいかもしれない。

「さーくくーん♪ こっちを向いてくださいよ」

 つゆりが自分の方を向くよう促してくる。着替え終わってるし、本来ならつゆりの方を向くべきなのだろうが、僕にはそれをためらう理由があった。

 男の生理現象、いわゆるテントというやつである。

 ズボンの時でさえある程度目立つのだから、スカートを履いている今、つゆりに気付かれないはずがない。

 僕はスカートに張っているテントがなるべく目立たない姿勢を取りながら、身体の向きを変えた。手は前のちょうど隠す位置で重ね合わせる。

 内心バレないかヒヤヒヤだ。バレたら、間違いなく引かれるだろうし、ひょっとするとつゆりを怖がらせてしまうかもしれない。

 つゆりは、僕がさっき脱いだカッターシャツを着てズボンを履いていたが、僕の方はそれをじっくり見ているどころではない。

 僕の不自然な姿勢を見てつゆりも不思議に思ったらしい。訝しげに聞いてくる。

「どうしたんですか?」

「な、なんでもない!」

 つゆりの匂いで興奮したなんて言うと、匂いフェチの変態みたいだし、女装という行為に興奮してなら、それも変態だし、女装した自分がかわいくてだと、ナルシストの変態みたいだし、つまりどう言い訳しても変態になるしかないのだ。

「ほほう? その手をどけてください」

 下ネタが好きなつゆりのことだ。すぐに感づいたらしく、ニヤニヤしている。

「どうです。我慢できないなら、アレやっちゃいます? 一応ゴムなら買っておいたんですけど」

「用意周到だな」

「家に上げた時点でそれくらい想定済みですよ」

 つゆりが一歩近づいてきたので、僕は一歩後ろに下がった。

「なんで逃げるんですか?」

「そりゃ、見られたくないからに決まってるだろ」

 生理現象を鎮めようと、僕は下半身が萎えそうな想像を頭にめぐらす。

 ちょっと気分が悪くなったが、下半身はあっという間に落ち着いた。

「では、見せてください!」

 僕を壁際に追い詰めたつゆりが、前に組んだ僕の手をどかす。

「ぐへへ、朔くんのテント……って、あれ? 全然見当たらないんですけど」

「そりゃ落ち着いたからな」

「本当に生えてます?」

「唐突な女の子説やめろや」

 触って確かめようとしてきたので、手を掴んで引き止める。痴女か?

「まあでも、こんなかわいい子が女の子のわけないですよね」

「それ逆じゃない?」

「男の娘を愛でる界隈にとってはこっちが正解なんですよね」

 つゆりが顔を近づけてきた。くりんとした大きな目が至近距離から僕を見つめている。

「あんまりジロジロ見るな!」

「見てもいいじゃないですかー。減るもんじゃないですし」

 つゆりの手にはロングヘアのウィッグが握られている。

「これ、被ってみてください」

 言われるがままに被る。

「おおー、素材がいいだけあって、なかなかの美少女です!」

 つゆりは少し引いてスマホで写真を撮りはじめた。

 パシャパシャパシャとシャッター音が静かな廊下に響く。

「連写するんじゃない!」

「なんでもするって言ったじゃないですか。女装したついでに絵を描くための資料として色々撮らせてくださいよ!」

「いったいなんの資料だよ」

「男の娘を書くにあたって、女の子との骨格の違いとか、どこに『男』が出るのかといった点についての資料ですね。女の子描いて『男です』と説明付けるみたいなことはしたくないので」

「そのこだわりはさすがだな。男の娘を書くためのモデルが僕というのが気に食わないが」

「本当はひん剥いて裸の資料も欲しかったところなんですけど」

「やめろ。誰が裸を撮らせるものか」

「朔くんの裸……ぐへへ」

 美少女に似つかわしくない笑い声を洩らすつゆりの鼻から、つーっと赤いものが垂れる。

 僕は慌ててポケットティッシュを取り出し、つゆりに渡した。

「おい、また鼻血出てるぞ」

「あっ……」

 つゆりは心配になるくらい鼻血を出した。とっさにティッシュを押し付けたので、服が汚れずに済んだが、もし辺りに飛び散っていたらスプラッターホラーみたいになっていたことだろう。つゆりが今着ているのは僕のカッターシャツなので、もし汚れていればヤバいところだった。

「エロいこと想像して鼻血出すとか、昔の少年漫画のスケベ主人公かよ」

 数時間前の傷が塞がってなかっただけだろうけど、タイミングが良すぎる。

「私としては朔くんに私の裸を見て鼻血出してほしいところですね」

「さすがに鼻血は出ないと思うぞ」

「テントは張りそうですけどね」

「せっかく忘れようと思ってたのに、やめてくれ」

「ところで、私の男装はどうですか?」

 僕の制服を着用し、鼻に丸めたティッシュを突っ込んだつゆりが問うてくる。

「普通に似合ってる。というか、違和感がある場所を探す方が難しい。男装というよりはジェンダーレス制服って感じだな」

 元々これを着ていると言われても信じてしまいそうなくらいの仕上がりだ。

 身長差があまりないこともあって、サイズもピッタリである。

「彼シャツって、もっとブカブカなイメージなんですけど」

「仕方ないだろ、君の方がデカいんだから」

「そうですよね、デカいですよね」

「僕のシャツ越しに自分の胸を揉むのはやめろ」

 身体のラインがくっきり出て目の毒になるじゃないか。

「ま、でもサイズがピッタリだからこれで服も貸し借りできますね」

「貸し借りする気なのか?」

 貸すのならともかく、借りるのはちょっとな。

「安心してください。朔くんが体操服忘れたら貸してあげますから」

「学年が違うから色が違うだろ。それに、名前が刺繍されてるから目立つじゃないか」

「名前が刺繍されてるからこそいいんじゃないですか。私が棚倉の刺繍が入ったのを着てたら嫁入りしたみたいだし、朔くんが笠置の刺繍が入ったのを着てたら婿入りみたいになりますよ」

「絶対からかわれるやつだろ、それ」

「制服忘れた時にも貸してあげられますね」

「忘れたとしても君のセーラー着るわけないだろ。そもそも制服を家に忘れてくるという前提がまずおかしい」

 鼻に詰めてたティッシュを捨てて戻ってくると、つゆりは写真を撮るよう僕に要求してきた。

「絵を描くための資料にしたいんですよ」

「資料も自給自足してるんだな」

「そりゃ本とかも見ますけど、自分自身で描きたいポーズをとるのが一番手っ取り早いじゃないですか」

「たしかに。でも、ポーズによっては自分では撮れないんじゃないか」

「お姉ちゃんに撮ってもらってます。あとは鏡とかセルフタイマーを使う感じですね」

「なるほどなあ」

 つゆりがポーズを撮るのを、僕は指示されるがままにつゆりのスマホで写真を撮っていく。

 撮った写真を確認しようと、フォトアプリを開くと肌色面積の広い写真がチラリと見えた。見なかったことにしようと思ったが、さすがに見逃せない。

「なあ、まさか自分の裸も資料用に撮ってたりしないよな?」

「え、裸くらい撮るに決まってるじゃないですか。人間を描くにあたって骨格を理解しないといけませんし――って、まさか見たんですか、スマホの中身!」

「すまん、見るつもりはなかったんだけど、チラリと目に入った」

「朔くんになら……見られても構わないですよ?」

 指をつんつんと突き合わせながら、真っ赤な顔で上目遣いに僕を見るつゆり。

「僕が構うんだ」

「昨日送ろうとしたやつも絵の資料用に撮ってたんですけど、ふと思っちゃったんですね。これを朔くんに送ってみたらどうなるかって」

「思いっきり十八禁だけど、正気か? 僕は君の弱みを掴んだ覚えはないぞ」

 むしろ僕の方が掴まれてるまである。

「弱みは掴まれてないけど、心はがっしり掴まれちゃってますねぇ」

「誰が上手いこと言えと」

 それはさておき、カッターシャツ姿の写真が充分溜まったので、今度は上に学ランを着て写真を撮ることになった。

「私の学ラン姿はどうですか。似合ってますかー?」

 僕の学ランを着て、ポーズを決めるつゆり。

 僕の目の前には少女漫画の世界から飛び出してきたような美少年がいた。

「やっぱり学ランだと途端に男装って感じになるな」

 つゆりの場合、髪が肩をくすぐるくらいの長さということもあるし、化粧っ気がないこともあって男装がよく似合う。

 元の素材がいいだけあって、男として嫉妬するくらいには美少年だ。

「せっかくですし、一緒に写真撮りませんか?」

「それは構わないんだけど、つゆりは自撮りできるのか?」

「失礼な子ですねぇ! 自己肯定感低めの陰キャぼっちだからってバカにしてます?」

「言ってないことまで読み取るな」

「まあ、自撮りできないんですけどね」

「結局できないのかよ」

「撮ろうとすると、クソリプおじさんのアイコンみたいな角度になっちゃうんですよ。なんで陽の者ってあんなにうまく自撮りできるんです?」

「聞かれても答えられないよ。僕だって自撮りできないし、しようとも思わんからな」

 自撮りができないなら使う方法はただ一つ。どこかにスマホをセットして、セルフタイマーで撮るというやり方だ。

 誰かに頼んで撮ってもらうのは、僕が女装しているということを考えるとリスクが高すぎる。ということで、必然的にセルフタイマーで撮ることになった。

 問題はスマホをセットする場所だ。モノが無造作に散乱しているので、本棚や学習机の上に置こうとしても、まずはその上に載っているモノをどかさないといけない。

「こんな状態だと机も使えないだろ。普段はどうやって勉強してるんだ?」

「リビングでやってます」

「絵を描くときは?」

「ベッドの上に座ったり寝転がったりしてます」

「読みたい本が取れないところにある時は?」

「前にあるモノをどかしてそこら辺の床に置いてから取り出しますね」

「普段から片付けろよ」

「そうは言われましても人には向き不向きがあるんですよ」

 本棚の上や床に積み重なったバベルの塔を二人がかりで崩していく。片付けるとなると整理が必要なので、どかしたものはとりあえず廊下へ。

「ふぅー、ようやく床が見えてきましたね」

 床に散らばっていたものがある程度消えたところで、つゆりがぐっと伸びをする。

 すると、伸ばした腕が後ろの本棚にまだ積み上がっている混沌に当たった。

「あっ」

 今まで奇跡的なバランスを保っていた混沌がゆっくりとつゆりの方へ倒れてくる。

「危ない!」

 僕はとっさにつゆりの手を引っ張った。一瞬遅れて、つゆりがいた空間に本やら紙束やら衣服やらが舞い、大きな音を立てて地面に落下する。

 ドンッ! バサバサッ! ガンッ!

 つゆりの手を精一杯引っ張った勢いで、僕らはベッドに後ろ向きに倒れ込む。

 気が付くと、僕はつゆりに押し倒される形でベッドに寝ていた。

「つゆり! なんか大きい音したけど大丈夫⁉」

 ドタドタという足音に続いて、部屋の入口扉がバンッと勢いよく開かれる。

 声のした入口の方を見ると、つゆりを大人にしたような雰囲気のお姉さんが立っていた。 髪の毛には寝癖がついていて、「自宅警備員」と筆で殴り書きされたダボダボのシャツを着ている。年齢は大学生くらいだろうか。

 顔も髪質もつゆりによく似ている。ただし、胸の大きさだけは似ても似つかない。姉妹でもここまで違うものなのか。そんな失礼な感想が頭をよぎる。

 お姉さんは僕らの様子を見るなり、まずスマホを取り出してパシャリと撮ってから、つゆりに言った。

「えーっと、二|人はなんで制服をとりかえばやしてるのかな。なんかのプレイ?」

「お姉ちゃん、言葉の使い方がおかしいです! “ばや”はいらないですよ」

 つゆりが冷静にツッコむ。

 いや、二人ともお互い最初に言うことがおかしくない?

 しかも、なんか写真撮られてるんだけど。

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