第17話 彼女(仮)の姉はVtuber

 数十秒ののち、僕とつゆりは、ベッドの上に正座して、お姉さん――ひよりさんと向かい合っていた。

 ひよりさんはベッドの正面に腕を組んで仁王立ちしている。腕で大きな胸が押し上げられて目の毒……いや、なんでもない。

「朔くん、お姉ちゃんの胸結構見てますよね。男の子ってやっぱり大きいのが好きなんですか?」

「いや、僕は小さい方が好きだよ」

「ふーん、貧乳好きか。道理でつーちゃんみたいなまな板と付き合おうと思うわけね」

「お姉ちゃん? 横から入ってカスみたいなこと言わないでもらえます? 殺しますよ」

「おい、つゆり。気持ちは分かるが、いきなり姉妹喧嘩はやめてくれないか。あと、カスみたいなことじゃなくて、カスそのものだ」

「かわいい顔してるのに、言うこと言うねえ、チミ。気に入ったわ」

 口の端を上げて笑みを浮かべるひよりさん。なんか悪役っぽい笑い方だ。

「そりゃ、彼女の身体的特徴を揶揄する人間が許せませんから」

「まずは自己紹介してもらおうかしら。つゆりの”彼女“くん?」

 彼女(仮)の姉との初遭遇が女装って、一体どういう状況なのだろうと思いつつも、ひとまずは名乗っておく。さすがに素顔は見せた方がいい気がするので、ウィッグは外した。

「つゆりさんと交際させていただいております、棚倉朔です」

「ほぉー、賢そうでシュッとしたいい男じゃん。チビだし、根暗っぽいけど」

「ちょっとお姉ちゃん、失礼ですよ。朔くんの身長のことをいじっていいのは私だけなんですから!」

「つゆりにも許可した覚えはないんだが」

「てかさー、彼氏ができたなんて、お姉ちゃんは一言も聞いてないんだけど」

「教えてないし、パパとママにも口止めしときましたからね」

「ひどーい! なんで彼氏できたことをお姉ちゃんには教えてくれなかったのー?」

「なんでって、そりゃ配信でネタにされたくなかったからに決まってるじゃないですか!」

 ひよりさんはどうやら配信者らしい。

「そんなの、ネタにするに決まってるでしょ。妹のこと話すと視聴者の受けもいいんだから。私の動画で一番再生数が多いのどれか知ってる? 『夜中に酒飲みながら配信してたら妹が乱入して説教してきた件』だからね」

「妹に説教される動画が伸びてるの、恥ずかしくないんですか?」

「再生数が伸びて視聴者も増えるならモーマンタイよ。ところで、彼氏くんは私の動画見たことあるかな? 『葛葉さん』って名前でVtuberやってるんだけど」

「ないですね。Vには興味ないんで」

「そこは社交辞令で、ちょっと見たことがあるけど、面白かったとか言うもんでしょ!」

「あー、思い出したんですけど、市田明日がキャラデザしてた狐耳のVですね。市田明日のファンなんで、気になって見てみたら、あまりにクズ発言が多くてそっ閉じした覚えがあります」

「そりゃクズキャラをウリにしてるVだもん。結構好評なのよ、『葛葉さんを見てると、俺みたいなので生きてていいんだって勇気をもらえた』なんて言ってくれる人も多いし」

「それはむしろ、見下されてるんじゃないですかね、お姉ちゃん」

 僕もそう思う。ただ、実際問題そういう需要があるのもたしかだ。

「つゆりには絵師としての初めてのお仕事をあげたんだから、もっと感謝されてもいいと思うなあ」

「家族だからタダにしろって言ってたのは誰でしたっけ」

「でもさ、あんたに来るコミッションの多くが葛葉のイラストじゃない? 私に儲けの半分くらいくれるのが筋ってもんでしょ」

 市田明日のコミッションサイトをスマホで確認してみると、見事に葛葉さんのイラストばかりだった。「畑を荒らすクズ狐にお仕置き」とかそんなのばっかりだけど。

「キャラデザをタダでする代わりに、キャラの著作権は市田明日に帰属するっていう契約書を交わしたの忘れたんですか?」

「どうせ契約書はこの汚い部屋のどこかに埋もれてて探しようがないんだし、ないも同然よ」

「最っ低です! 本当に法治国家の住民ですか?」

「葛葉さんは神のお使いだから、人間の法律の適用範囲外なのよ」

「なら人権もありませんよね。害獣として駆除していいですか?」

「人権がないっていう方が人権ないのよ! あんたなんか一族郎党皆殺しだから!」

「それだと2親等のお姉ちゃんも殺されちゃいますよー。バカなんですか?」

 なんか小学生のこねる屁理屈みたいな言い争いになってきたので、さすがによくないと思ったのか、ひよりさんが話題を変えた。

「それにしても、つゆりは男装が似合うわね」

「えへへ」

「胸がないから?」

「くたばりやがってください」

「そういや、最近は、『どうやったらお姉ちゃんみたいに大きくなれるんですか?』って聞いてこなくなったね」

「うるさいですよ、美大落ちニートのくせに!」

「美大に落ち続けてるのは事実だけどニートじゃないわっ‼」

「もうアラサーですよね。キツいですよそのキャラ」

「まだアラサーじゃない! 24歳39か月だから!」

「それを世間では一般にアラサーって言うんですよ。平成ヒトケタ生まれさん」

「さすがに平成十年代の生まれよ!」

 ヒートアップしてわけのわからんことになってる姉妹喧嘩をひとまず僕は止めることにした。

「なあ、つゆり。姉妹喧嘩はひとまず僕が帰ってからにしてくれないか」

「朔くんがそう言うなら、帰ってからボコることにします」

「暴力行使だけはやめとけよ」

 介入で姉妹喧嘩があっさり落ち着いたところで、ひよりさんが聞いてきた。

「ところでさ、二人はどこまで行ったの」

「そうですね、キス……はまだしてないですね」

「おい、つゆり。なんか、さっき微妙な間がなかったか?」

「べ、別に普通ですよ」

 気になった僕が問いかけると、つゆりは目をそらした。なんか怪しいなあ。

「彼氏くんも性欲にまみれた男子高校生なわけだしさあ、我慢できなくなったりするんじゃないの? ウチの妹はあたしに似てかわいいし」

「それがいくら誘惑しても自制して襲ってこないし、『つゆりは無防備すぎる』って説教かましてくるんですよね。誠実なんだなって好感度高まりますけど」

「たとえ彼氏彼女でも節度は守るべきだと僕は考えてますので」

 そもそもまだ「仮」だしな。

「じゃあ、そんな堅物くんをお姉さんが大人の色気で誘惑してあげようかしら」

 ひよりさんはそう言うと、組んだ腕を上下に動かして胸を揺らしてみせた。

「ほれほれ、男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」

 豊満な胸がぽよんぽよんと上下する。

 と、次の瞬間、僕の視界が暗転した。

「ダメですっ。見てはいけません!」

「なあ、つゆり。なんで僕に突然目隠しするんだ?」

「ふしだらな姉が純情な朔くんの教育にはよろしくないと思いまして」

「散々巨乳イラスト描いてるつーちゃんがそれを言う?」

「二次元と三次元はやっぱり別ですから」

「初めて巨乳を描いた時、あたしにモデルを頼んできたのにねー」

 マジか。そりゃつゆりのことだから、身近にあんな巨乳の人がいたら、モデルにしないはずがないとは思っていたけれども。

「なあ、つゆり。いい加減、目隠しを外してくれないか」

「外してもいいですよ。さっきお姉ちゃんの胸を見た感想を言うのが条件ですけど」

「そうだな、いくらなんでも自分から下品になりにいく必要はない、というのが正直な感想だ」

「辛辣ですね」

 目隠しを外されてみると、目の前ではひよりさんが泣きそうな顔をしていた。ちょっと言いすぎたかもしれない。

「そんなことより、お姉ちゃん、私たちの写真撮ってください」

「え、まさかのお姉さんに頼むのか?」

 嬉々としてネタにしてきそうな人なのに。

「だって、自撮りだと限界があるじゃないですか」

「そうそう。普段からよく頼まれてるしね」

 一抹の不安はあるものの、つゆりがお姉さんに渡したスマホで僕らはツーショット写真を撮られることになった。

「このゴミ部屋だと背景が汚いからリビングで撮りましょ」

「お姉ちゃん、当たり前のようにゴミ部屋って言わないでくださいよー」

「私は事実を陳列しただけだから」

「お姉ちゃんの部屋なんかもっと汚いくせに」

「なあつゆり、部屋のことはいいから、さっさとリビング行こう?」

 このままだと姉妹喧嘩が再燃しそうなので、僕は先に立ってつゆりを促した。


「じゃあ、まずは二人ともソファに座って」

 言われるがままに僕らはアンティークの赤いソファに腰かける。

「憧れの先輩男子の家に招かれた後輩女子って感じで撮ろっか。彼氏くんはつゆりの方をうっとりとした目で見つめて」

 カメラマン気取りが高度な要求をしてくる。これ、ほんとに作画資料になるのか?

「お姉ちゃん、そういうシチュエーションフォトみたいなのもいいですけど、私は作画資料が欲しいんですよ」

「えー、めんどくさっ。それなら、どういう写真が欲しいかつゆりの方から指示してよ」

「うーん、そうですね。壁ドンの画が欲しいです」

 というわけで、数秒ののちに僕はつゆりによって壁際に追い詰められていた。

 至近距離につゆりの顔がある。

「はい、そこで壁ドン。良いわね。ほんと良いわ~」

 つゆりは僕の顎を持ち上げた。いわゆる顎クイというやつである。

「はい、そこでつゆり、決めゼリフをどうぞ!」

 つゆりは少し迷う素振りを見せたものの、頬を少し赤らめてこう言った。

「お、俺のことだけ見てろよ」

 なんで、こいつこんなにノリノリなの? ちょっとくらい拒否してもいいんだぞ。

「さっちゃんも、はい」

 それどころか、僕にまで促してきた。え、僕もやらないといけないの?

 ぐだぐだ悩むよりさっさと済ませてしまった方がいい気がするので、僕は意を決して高い声で叫んだ。

「せ、せんぱぁい!」

 続けて、監督もといひよりさんからの指示が飛ぶ。

「二人は幸せなキスをして終了」

 え、この流れだと本当にキスすることになるのでは?

 そう思っていると、つゆりがひよりさんにツッコんだ。

「ってなにやらせてるんですか、クズ狐! ファーストキスを勢いで消費するところだったじゃないですか!」

「それくらい、いいじゃないの。むしろ私に従ってキスしといた方が回り道しないで済むと思わない?」

「「よくない‼」」

 思わず二人でひよりさんに詰め寄る。

「ふふっ、息ピッタリ。それにしても、いい映像が撮れたわね。これをネットに公開されたくなければ二人とも私の言うことをなんでも聞くこと。良いわね?」

「お姉ちゃん、六甲山に埋められたいんですか?」

「大阪湾に沈めた方が確実だと僕は思うな」

「ちょっとー、つゆりだけじゃなくて彼女クンまで、殺意マシマシすぎて怖いんですけどー」

 その後、つゆりがひよりさんからスマホを取り上げて動画を削除し、僕らは事なきを得たのだった。

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