第12話 通じにくいネタを使うのは夏目漱石もやってるからいいんですよ

 翌朝、電車の中で僕はつゆりの顔を直視することができなかった。

 昨夜、あんな無防備な姿を見せられて、忘れられるわけがない。

 目を閉じればスマホの画面越しに見たものがちらつく。

 ただ、これだけは言っておいた方がいいかもしれないな。つゆり自身を守るためだ。

「つゆり、ちょっといいか?」

 周りに聞かれないよう、僕は声を低めて、つゆりの耳元で囁く。

「はうっ⁉」

 つゆりがビクッと身体を震わせた。

「朔くん、急にイケボで囁くのやめてくださいよ! 感じちゃうじゃないですか!」

 つゆりが小声で返してくる。

「しょうがないだろ、周りに聞かせたくないんだから。あと、なにを感じるんだよ」

「朔くんが私のためだけに……えへへ」

「そこで喜ぶな。それで、伝えたいことなんだがな」

「はい」

「君は普段からあまりに無防備すぎだ」

 本題を伝えると、つゆりが一瞬、固まった。

「もうちょっと恥じらいを持った方がいいぞ」

「安心してください、朔くんの前以外ではやりませんから」

「僕だって、男だぞ。あんなのを見せられて、いつまでも我慢していられると思うか?」

 ちょっと口調がキツくなってしまったが、仕方ない。つゆりを守るためだ。

「我慢できないなら……」

「ん?」

「我慢できなくなったなら、私のこと、襲ってもいいんですよ?」

 ちょっぴり上目遣いで、誘惑するように見てくる。

「アホか。もっと自分の身を大切にしろ」

「自分の身を大切にしてるからこそ、朔くん以外にはしないんですよ」

「そういうのって、一時の勢いに任せてやるようなことじゃないと思うんだ」

「むしろ、勢いに任せるからこそ、うまく行くこともあると、私は思いますけどね」

「だとしても、僕らはまだ高校生だし、一定の節度を守る必要はあると思う」

「やっぱり朔くんって真面目ですよね。まあ、そういう朔くん相手だからこそ安心してさらけ出せるんですけども」

「確信犯かよ」

 普段の様子から見て天然かと思ってたんだがな。

「えへへ」

「まあ、わざと見せるにしてもへそくらいなら構わないよ。けどな、ジャージくらいは履け。なにとは言わんが、見えていたぞ」

「え、見えてたってなにがですか?」

「その……パン、いや、下着だ」

 僕がそう言うと、つゆりはたちまち顔を真っ赤にして動かなくなった。処理落ちかな?

 黙りこんでしまったつゆりに僕は問いかける。

「まさかとは思うが、そっちはわざと見せてたわけじゃなかったのか?」

 つゆりはこくこくと頷く。

 要するに、昨日のは事故だったわけだ。つゆりとしては、へそだけ見せてドキッとさせるつもりが、ズボンを履いてなかったために、パンツまで見えてしまったという不幸な事故。

「つゆり、一言いいか?」

「はい」

「アホだろ、君」


 その日の昼食は親子丼だった。学校に持っていく弁当が親子丼というのはちょっと珍しいかもしれない。

 親子丼をちょっとずつ口に運びながら、つゆりが突然こんなことを言い出した。

「朔くんってなんか言いにくいんですよね。さっくんじゃダメですか?」

「ダメだ。それくらいなら呼び捨ての方がいい」

「私としては呼び捨てにしたくないんですよー。あ、そうだ。さっちゃんはどうですか?」

「やめろ。恥ずかしい」

「えー、いいじゃないですか。かわいいですし」

「絶対に呼ぶな」

「それは呼べって意味ですよね? りょーかいです!」

「芸人の熱湯風呂のフリじゃねーんだよ」

「それで、話は変わるんですけど、私、朔くんと釣り合ってますかね? 裏ではなんであんなブスが棚倉くんを独占してんだって思われてたりしないですよね?」

 ふざけたノリの会話から突然ネガるつゆり。感情の乱高下が激しいやつだな。

「どうしてそう思うんだ?」

「いや、廊下とか歩いてると、私の方見てひそひそ話してくる子が結構いるんですよ。それも、悪口らしく『芋女』とかいう単語が聞こえてきまして」

「つゆり、君はかわいいんだから、自信を持っていいんだぞ。悪口言ってくるやつなんかほっとけ。もし、他のやつらが君のかわいさを認めなくても、僕だけは全力で肯定してやる」

「朔くんのセリフがイケメンすぎて鳥肌立ちました! チキンスキンです! 実さんですよ!」

 つゆりが白い二の腕を僕に見せてくる。言うとおり、ぶつぶつと鳥肌が立っていて、僕はすぐに目を逸らした。

「わかったから、いちいち見せてくるな。僕は集合体恐怖症なんだよ。てか、鳥肌の英訳はチキンスキンじゃないだろ」

 調べてみたら「グースバンプス(ガチョウのイボ)」らしい。

「それにしてもつゆりは謎に昔のことに詳しいよな」

「ママが色々教えてくれるんですよ」

 つゆりは「よっこいしょういち」と言いながら立ち上がった。

「君の親いくつだよ。横井軍曹とか半世紀以上前だろ」

「あ、これはおじいちゃんから教えてもらったやつです。あと、ネット見てるうちに知ったことも多いですね」

「それにしても朔くんも変なことに詳しいですよね。多少マニアックなボケをしてもツッコんでくれるんで、安心できます」

「なんの安心だよ」

 つゆりのボケにツッコめている自分も大概だというのは自覚している。

「変なことに詳しいのはオタクの業みたいなもんだ。ウィキペディアやグーグルで得た知識をなにかにつけ披露したくなる一種の病気だ」

「わかります。私もウィキペディアで関連記事漁って気付いたら一時間経ってるようなタイプの人間ですから」

「君とは変なところの共感ポイントが多いな。通じにくいボケが多いのは感心しないが。細かい歴史ネタや古典ネタもツッコんでやれるのは僕くらいだからな」

「通じにくいネタを使うのは夏目漱石もやってるからいいんですよ」

「漱石もやってるからというのは免罪符にならんだろ。それに日本を代表する文豪なら、元ネタを知らなくてもくすりと笑えるものを書きそうだし」

「それがですね、バカと言えばいいところを、間抜けを意味する『おたんちん』と最後のビザンツ皇帝コンスタンチン十一世パレオロガスをかけて、『オタンチン・パレオロガス』って言ってるんですよね」

「うーん、普通にしょーもないな。月が綺麗ですね、みたいに実は言ってないとかじゃないのか?」

「『吾輩は猫である』に出てくるから正真正銘、漱石渾身のネタですよ」

「今頃、あの世から修正したがってるだろうな」

「リアルでも奥さんに言ってたらしいですけど、通じてなかったらしいんですよね」

「高度すぎて、漱石でも許されないだろ、そんなネタ」

「私思うんですけど、罵倒語に使うなら、オスマンが攻めてくる中で頑張ったパレオロガスじゃなくて、内紛から外患がいかん誘致ゆうちして国を滅ぼしたアンゲロスの方がピッタリだと思うんですよね」

「アンゲロス朝にはコンスタンチンがいないから、オタンチンが使えなかっただけじゃないか? 知らんけど」

「あー、確かにアンゲロス朝にはいないですね。コンスタンチン・ラスカリスは苗字が違いますし」

「誰だよそいつ」

「ニカイア帝国の建国者の兄で、一夜皇帝とか呼ばれてるやつですよ!」

「あー、第四回十字軍に滅ぼされたから亡命政権建てたやつか。授業だと一瞬で終わるのによくそんなとこまで知ってんな」

「そりゃ、気になることがあったらすぐウィキペディアで調べるからですよ。たとえ授業中であっても」

「授業中は授業の方に集中しろ」

「ふええ、耳が痛いです」

 ちょっとつゆりの授業態度や平常点に不安を感じる僕であった。一応先輩とはいえ、いずれ勉強会とかもやらないといけなくなるんだろうな。

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