第42話 エリゼ視点

 ……カグヤ様はご無事だろうか。


 窓の向こうのマルグリット王国を眺めつつ、そんなことばかり思う。


「思えば、不思議な方だ。カグヤ様は、私の直接的な主人というわけではない。だが、ずっと大事な方だ」


 ある時、私は記憶を無くして魔の森の近くで倒れていたらしい。

 そこをヨゼフの母である、若き日のマイラ様に拾われたのだ。

 まだ結婚もしておらず、十五歳の少女であった。

 性格はお転婆だが、とても心優しい方だった。

 不思議と、すぐに懐いてしまったのを覚えている。

 ちなみに、それ以外の人には懐かなかったらしい。


 「だから、マイラ様が特別な存在なのだろうと思っていた」


 そう、……。

 私がマイラ様に拾われてから、長い月日が流れた。

 マイラ様は五十歳になり、私は二十歳前後の見た目で止まっていた。


「そんな気味の悪い私を、マイラ様はずっと可愛がってくださったな」


 もちろん、家の者の一部には怖がられていた。

 幼い頃から泣きもしないし、笑いもしない。

 まるで、感情のない人形みたいだと。


  「ふふ。伝説の吸血鬼じゃないかと言われたりしましたね」


 もちろん血など吸わないが、普通の人とは違うことだけは自覚している。

 老けないし、身体能力は他を凌駕し、絶大な魔力までもある。

 正直気分は良くないが、怖がるのも無理はない。

 だが、そんな私をマイラ様は庇ってくれた。


 「この子が今まで何か悪いことをした?それどころか、凶暴な魔物を倒してくれているわ。そのおかげで、貴方の夫や息子は生きているのよ?感謝するならまだしも、そんなことを言ってはいけないわ」


 私は嬉しかった。

 元々懐いてはいたが、この方に心酔していった。

 この方のために生きようと、この時に決めたのだと思う。


「でも、そんなある日……マイラ様以外に感情が動かされた日がきたのだ」


 マイラ様の息子であるヨゼフの子、つまりカグヤお嬢様が産まれたのだ。

 私はそのお姿を見た瞬間を、生涯忘れることはないだろう。

 身体全体に、電気が流れたような感覚が襲ってきた。

 同時に、愛しさが込み上げてきた。


 「だが、未だに疑問ではある」


 何故、そう思う?

 マイラ様の子供達には、何も感じなかった。

 もちろん、一応マイラ様の子供なので嫌いではない。

 そんな中、カグヤお嬢様だけが私の感情を動かしたのだ。


「その後、私はカグヤお嬢様のお世話係に命じられた」


 反対する者もいたが、マイラ様が黙らせていたな。

 そして時が経ち、少し疑問が解けた気がした。

 おそらく、カグヤお嬢様はマイラ様に似ているのだろう。

 育つにつれて、言動や見た目が似てきたのだ。


 「ふふ、お転婆で心優しいところなど本当にそっくりでしたね」


 もしかしたら、産まれた時に気づいたのかもしれない。

 ひとまず、疑問は置いておくことにした。

 とりあえず、カグヤお嬢様は可愛い。

 それだけは確かなことだった。


「そして、いよいよあの日がやってきてしまった」


 ずっと考えまいとしていた時が……私の思い出したくも、忘れたくない記憶が浮かぶ。


 ◇


 ベットに横たわるマイラ様を、私は縋るように手を握り続けていた。


「マイラ様……!」


「エリゼ、可愛い私の娘……娘のいない私には、貴女が神様がくれた贈り物だと思うわ。やっぱり、女の子も欲しかったもの。私がいなくなっても……ダメね……今のは忘れてちょうだい——貴女は、自由に生きなさい」


「いえ! 私はここに残ります! 貴女が愛したこの地に! この命ある限り、守り続けていきます!」


「ありがとう……ごめんなさいね。この地を守り続けろという、我が一族の使命に貴女を巻き込んでしまって。ヨゼフは優しく人の意見を聞ける子だけど、武力も知力も人並み以上にはなれないでしょう……貴女がいれば安心だわ」


「長男マーカスは、病により死んでしまいましたからね……ヨゼフには荷が重そうです。仕方ないので、私が手助けをしましょう。何より、カグヤお嬢様がいますし」


「フフ……カグヤは私に似ましたからね。では、あの子を呼んでくれる?」


 私は頷き、涙一つ見せずにその場を離れる。

 私は泣いたことがない。

 悲しいや嬉しいという感情はあるが、今まで経験はなかった。

 だが……どうやら、気づいてなかっただけらしい。


「あれ? エリゼー? 泣いてるのー?」


「へっ? 私は泣いてなど……っ!?」


 まだ幼く、死というものを知らないカグヤお嬢様は私にそんなことを言った。

 確かに頬を触ると、何かが流れていた。


「泣いている……? 私が……?」


「エリゼ、痛いの? よくなーれ!」


「ふふ……ありがとうございます」

 

 そうか、私は泣けたのだな……バケモノではなかったのだな。

 マイラ様、私にお任せください。

 見ず知らずの私を愛してくれた貴女に恩を返すため、この地に生涯を捧げましょう。

 そして優しいカグヤお嬢様をお守りいたします。

 ……ついでに、ヨゼフの面倒も見てあげますね。


 ◇



 ……あれ? 私としたことが寝てしまいましたか。

 今のは思い出したのか、夢だったのかはっきりしませんが……。

 とりあえず、これは現実のようですね。

 何故なら、爺さんになったヨゼフが目の前にいる。


「……おい! エリゼ!」


「うるさいですね、何ですか?」


「いや、お主が泣いておるから……」


 その言葉に驚き、私は頬に触れる。

 そこには、確かに涙の跡があった。


「ほんとですね。きっと、マイラ様の夢を見たからですね……死ぬ直前の」


「そうか……もう、十年も経つか。お主には感謝している。肩身が狭いだろうに、ここにとどまってくれていることを……ワシが頼りないばかりに」


「何を今更……貴方が頼りないのはとっくに知っています。それと、お礼を言われる筋合いはないです。私は、私の意思によりここにいます。それが、マイラ様の最後の頼みでしたから」


 マイラ様は迷っていたけど、私は後悔していない。

 あの方の故郷である、この地が好きだから。


「……ほんとは、カグヤの側に行きたかったのだろう?」


「そうですね。貴方達だけで、ムーンライト家の使命を果たせるなら考えましたけど。魔の森から出る魔物を倒すという……でも、仮になくても残ったかもしれないですね」


「ん? そうなのか?」


「ええ……クロウがいますから。アレになら、カグヤお嬢様を任せられます」


 奴が幼い頃に才能を確信した私は、徹底的に扱いた。

 いつか、カグヤお嬢様を守れるように。


「ふむ、確かに強くなっていたのう。帝国の騎士共を物ともせんかった」


「実際アレの強さは異常です。当時手加減したとはいえ、私の攻撃を避けて反撃をしましたからね。さすがは、。クロウは見た目といい、血を濃く継いでそうです。なにせあの人は、この私が初めて負けた相手ですから」


「……そうだな。あやつなら、カグヤを守ってくれるだろう。どんな理不尽なことからも。あの男も、そういう男だった」


 私とヨゼフの脳裏に浮かぶのは同じ人物であろう。

 あの男も強く、それでいて運命に抗った男だった。

 そして、クロウと縁のある人物でもある。


「それより、クロウに言わなくて良かったのですか?」


「知ったところで混乱するだけじゃ。いくらクロウとはいえ、カグヤのことで余裕はなかろう。それに、大分昔の話だ。よほどクロウが目立つとかではないなら、誰も気づくまい」


「まあ、それもそうですね。ただ、クロウが目立たないとか無理でしょうけど。一応、お嬢様には紙をお渡ししました。いざという時は、それをクロウに渡せと。ところで……使命って何でしょうね?」


 これはずっと前から疑問に思っていることだ。

 ムーライト家は、一体何のためにあるのか。


「わからん……長き時により、失われてしまったからのう。我が家は、古くは古代文明からあるらしい。仕える国を変え、今日まで永らえてきた。伝わっているのは……血を絶やすことなかれ、魔の森から人々を守りたまえ、いつかきたるその日まで……じゃったか」


「まあ、私が守ってあげますよ。頼りない貴方に変わって」


「むう、不甲斐ない……」


「別に良いんじゃないかと。貴方は人柄だけは良いですから。領民に好かれていますし、部下に任せられる器量もあります」


 私がそういうと、ヨゼフが間抜けな表情を浮かべて固まる。

 そして、すぐに慌てて動き出す。


「急に何じゃ!?」


「いえ、マイラ様が言っていました。貴方に足りないのは、武力と知力だけと。ならば、私がそれを補いましょう」


「そうか……母上が」


 マイラ様、私は死ぬまでここにいます。


 クロウ、ここを離れられない私に変わってカグヤお嬢様を頼むぞ。


 そのために、お前をいじめ抜いたのだから。


 もし、カグヤお嬢様を泣かせたら……わかっているだろうな?


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