ニ、使い
翌朝、激しく戸を叩く音で、八郎は目を覚ました。
八郎、と呼ぶ男の声がする。
慌てて飛び起きると、戸口に中年の男が立っていた。村長の家で下男のようなことをしている男だ。
「早く来い、八郎。村長が呼んでる」
八郎は面食らった。
村長から直々に呼ばれるなど初めてだった。
「俺を? な、なに用で……」
「分からんが、急ぎなんだ。早くしろ」
八郎は男の後について歩いた。一体何用か見当もつかない。
いよいよ村から出ていけ、と言われるのではないか。
いや、それとも、これまで村のために働いたから、"外れ"を止めると言ってくれるのではないだろうか。
考えを巡らせてはみるものの、どれも違うような気がする。
八郎が村長の屋敷へ到着すると、母屋ではなく離れの方へ案内された。
途中、渡り廊下で寝ぼけたような顔をした十太とすれ違った。
何でお前が、と食ってかかられたところで下男が止めなければ、八郎はまた殴られていただろう。
続いて十太の妹である加代ともすれ違ったが、こちらはただ哀れなものを見るような目で一瞥しただけだった。村の女は皆そういう目で八郎を見る。
「旦那様、八郎が着きました」
「入れ」
下男が離れの扉を開けた。
上座には村長が座っている。
どっしりとした岩のような男で、どことなく十太に顔つきが似ていた。
右手には小さい老人が座っている。
「……《せんじい》占爺?」
八郎が思わず声をかけた。
「おお。久しぶりじゃなあ」
占爺、と呼ばれた老人が長く伸びた白ひげを撫でた。杭のような歯が数本のぞく。
この老人は村の占師だ。
星の動きや投げた小石の落ち方を見て、これから起きる出来事を予測する。
いつもは主に天気や農作の吉兆を占っており、あまり外には出てこない。
「お前に村長から大事な話がある。そこに座りなさい」
八郎は床に腰を下ろした。
なんの話なのか、全く分からない。
村長がゆっくりと口を開いた。
「八郎、お前はいくつになった」
「え、ええと。十八です」
一瞬、答えにつまる。祝ってくれる人もいないものだから、自分の年など朧気だ。
村長と占爺が、顔を近づけてぼそぼそと話している。
「……やはり八郎じゃ」
「間違いないか、占爺」
占爺が、うん、と頷く。
村長が八郎の方へ向き直って、口を開いた。
「お前に、水神様の使いを任せる」
八郎が一欠片も予想していなかった言葉だ。
この村では、昔から水神様を信仰していた。
水神様は川に住み、村の皆を見守っていると言われている。
いくつか掟も存在し、漁をする前には川に向かって拝む、というしきたりも存在してはいたものの、律儀に守っているものは年寄り連中だけだった。
「水神様の……つかい、ですか」
水神様の言い伝えは知っているが、つかい、というのは聞いたことが無かった。
「ああ、そうだ。十年ぶりに水神様が滝つぼに現れた」
「現れた?」
八郎は聞き返した。
その言い方だと、まるで…
「水神様はおるんじゃ。しっかりと、この世に、存在しとる」
占爺が力強く頷いた。
八郎も、神様というのは、たしかに存在はしていると思っていた。
しかしそれは、川や空などどこか遠い所にいるものであって、自分たちが見たり聞いたりできるようなものではないはずだ。
「難しいことではない。お前は毎日滝へ行って、水神様に食べ物をお供えすればいいだけだ」
「はあ……」
八郎はほっとした。それだけの事でいいのなら、お安い御用だ。
何を言われようが断れる立場にないので、もっと大変な事を頼まれるとばかり思っていた。
しかし、自分が水神様のつかいというのは、どういう風の吹き回しだろう。
少し迷って、八郎は疑念を口にしてみることにした。
「……あのう、なぜ、俺が水神様の使いなんですか? 俺の両親は、水神様の掟を破って死んだと聞かされています。こんな大事なお役目が、俺で良いんでしょうか」
八郎の両親は十年前に亡くなっている。
そして、八郎が"外れ"という扱いを受けることになった原因もそこにあった。
八郎の両親は、”嵐の日に川へ入って魚を取ってはいけない”という掟を破り、嵐の日に川へ入って流されてしまった。
子供の頃の記憶なので朧げなところもあるが、その頃の八郎はいつも熱を出して苦しんでいた記憶があった。
恐らく、風邪をひいて弱っていた自分に少しでも栄養を付けさせたくて魚を取ろうとしたのだと、八郎は考えている。
しかし、この村の掟を破った者、ひいては水神の怒りを買った者は"外れ"にするという決まりがあった。
だが両親はそのまま死んでしまった。
これを、水神様の祟りだという村人もいる。
村長たちは八郎の処遇に頭を悩ませた。
水神様の怒りを買った親の子をそのまま村に置いておく訳にもいかず、かといって追い出すには幼い分哀れであった。
仕方なく、親が受けるはずだった罰を受けさせるという名目で、八郎を"外れ"の処分とすることにした。
村のはずれに追いやり、営みにはなるべく参加させない。
といっても幼い頃は哀れに思った村人から、こっそり野菜や魚を分けてもらっていたりしたのだが。
「確かに、お前の両親は村の掟を破った。海が荒れている日は、水神様の機嫌が思わしくないから漁をしてはいけないと言ったのに、川へ入ってしまった」
「止めたんじゃがのお」
こくこく、と占爺が頷いた。
「じゃが、わしの占いによると、お前が適任なんじゃ。石も星も、お前を指し示しておる。これは恐らく、お前が水神様に対して、両親の犯した分の償いをせよ……ということなんじゃと思っとる」
八郎は、分かりました、と小さく答えた。
神様の思惑など自分には分からないが、きっとそうなんだろう。
怒りを買わないのであればなんでもよかった。
「では、早速向かってもらうぞ。供え物はこちらで用意してある」
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