2話

 ミニチュアと同じだったビルが、ここまで大きいとは思わなかった。車の窓からでは、とても天辺まで視界に入れることができない。

「すごいよ、すっごいよ、すごいよ!」

「お前、さっきから『凄い』しか言っていない」

 誠が笑うと、幸も助手席で笑った。

 ずっと街を近くで見たがっていた幸のために、途中で高速をおり、一般道を走ることにした。本当はどこかで車を降りさせてあげれば喜ぶのだろうが、誠としてはそれをさせることは避けたかった。都会の空気は身体に良くない。どうしても、と幸が願えばもちろん叶えてやる覚悟はあったが、幸は一度も車を降りようとは言わなかった。それはきっと、誠を不安にさせるようなことは極力避けたいという、幸なりの優しさだった。

 次のインターチェンジで再び高速に入り進んでいくと、景色からはどんどんビル群が消え、代わりに緑が増えた。途中のパーキングエリアで後部座席を倒してベッド状にし、幸をそこに寝かせてから出発した。長時間座っていることすら、今の幸には大きな苦痛を伴うことだった。

「やっと起きたか」

 幸が目を覚ますと、そこはもう車内ではなかった。

「ここどこ」

「旅館だよ。今夜はここに泊まる」

 目を擦り、誠に支えられながら上半身を起こすと、障子の隙間から真っ赤な夕焼けが見えた。

「綺麗」

 ふわ、と幸の肩に優しい温もりが乗った。心地よい重み。何かを言おうと息を吸った気配を幸の耳朶が感じたが、結局誠は何も口に出すことはなかった。ただほんの少し、肩を抱く腕の力が増した。


       ✻     ✻     ✻


 旅行二日目。朝食を済ませるなり、幸は靴を履くことすら忙しなく、外へ飛び出した。

「すごいよ、快晴」

 早く早くと手招きする幸。初めて見る陽光をまとった姿は、いつも以上に愛らしかった。わざとゆっくり靴を履いて、二人分の荷物が入ったリュックを背負う。やっとおいついた誠の手を引っ張って、もう一方の手で空を指差した。

「ね、すごいでしょう。こんなに広いんだよ」

 まるで歴史に残る大発見をしたかのように、目を輝かせている。彼女にとって空は、窓に切り取られたものでしかなかったのだ。ガラスの向こう側に広がる世界は、つい昨日まで空想上のものでしかなかったのだ。

「あ、猫だ」

 旅館の庭をのっそりと三毛猫が歩いていた。真夏の日を避けるように陰を縫っている。

「可愛いね」

「幸がね」

 幸の顔を一瞬で大きな影が覆う。誠の作ったその影の中で、幸の瞼がゆっくりと閉じた。蝉の声がやけにうるさい。囃し立てているようで癇に障って、歯向かう様にいつまでもそうしていた。

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