1話
場所さえ違ったなら。そう、全てはこの売店が入っている場所の悪さにある。バイトを探していた誠にこの仕事を勧めてきたのは、陸であっただろうか。誠は頭の中に現れた親友に向かって悪態をついてみる。まあ、時給が良いと聞いてろくに内容も聞かず、ひょいとこの仕事に決めてしまった誠自身が一番いけないのだが。
「これで仕事内容の説明は終わりだ。普通のコンビニとかと大差ないし、大丈夫だよね。違うのは、常にお客さまの様子をよく見て、体を気遣うことぐらいなもんさ。じゃ、もう交代の時間だから僕はお先に失礼するよ」
気がつくと、時計の針はすでに午後の三時を指していた。今日からバイトの先輩となった人は、勤務時間が終了したらしい。誠の仕事はここからだ。先月二十歳の誕生日を迎え大人の仲間入りを果たした誠は、すでにいくつかのバイトを経験していた。しかし、仕事の注意で客の体調を気にしろと言われたことは今回が初めてだ。客の体を労わらねばならない理由。それは、この売店が大学付属病院の中にあるからである。
誠は病院が嫌いだ。なんとなく、暗い気分になる。これから毎日こんなところに来るのだと思うと、憂鬱だ。
そんなことを考えていると、一人目の客が入ってきた。先輩に言われたとおり、客を観察してみる。高校生くらいの女。顔色は・・・・・・色白だが、別に具合が悪いわけではなさそうだ。あえて言うならば、肉と呼べるものがほとんどないせいで、全体的にやけに骨ばって見えることくらいだろうか。少女は買い物かごを持つと、まっすぐにお菓子売り場へと向かった。商品棚に隠れ、手元は見えない。頭だけがひょこひょことせわしなく動く。しばらくすると、ようやく少女が棚の影から出てレジに来た。少女は華奢な体をふらつかせながらドンッといかにも重そうな音を立て、買い物かごを置く。誠はその中身を見て唖然とした。
菓子、菓子、菓子・・・・・・。かご一杯に詰め込まれた、大量の菓子。
「あれ、新しい店員さんですよね。私、恵藤幸です。よろしくお願いします」
少女、幸が短い髪を揺らせて、にっこりと笑った。初対面の店員に自己紹介?違和感を覚えたが、無碍にするのも気分が悪い。
「こちらこそ。俺は白石誠。しばらくはここで働く予定なのでよろしくお願いします」
一応名前くらい教えておく。改めて幸を近くで見るとさらに細身に感じる。この体のどこに、これだけの菓子が。
「よくこんなに食えますね」
思わず口に出してしまった。幸は一瞬何を言われたかわからなかったようで、一拍おいて顔を赤くした。
「違いますよ!私はお菓子なんて食べないです」
「じゃあ、これは誰の分なんですか」
「この病院に入院している、子供たちに配るんです。親が来られなくて泣いちゃう子も多いですから。少しでも力になれたらいいな、なんて」
幸は代金を払うと、重たいレジ袋を抱えた。
「ボランティアってことか」
去りかけた幸の背中に声をかけると
「ただの自己満足です」
幸はそう言って、きれいに笑い、誠が口を開くより前に店から出ると、一度も振り向かずに病棟のほうへ消えていった。
* * *
「そりゃ、変わった子だねぇ。他人のためにお菓子を配っている、なんて」
陸の女のようにきれいな手が、運んできたカップをテーブルに並べていく。
「しかも、一度きりじゃないんだ。あれからもう二、三回は大量の菓子を買っていってる」
「でもそれって、言っちゃ悪いけどただの偽善者じゃない」
「俺も正直、最初はそう思った。でもあいつ、自分で自分の行為を、自己満足だって言いきったんだ」
これにはいつも冷静な陸も驚いたようである。
「そんな良い子もいるんだねぇ。大方誠は、その幸って子に一目置いてるんだ。だから僕に話したんだろう」
「別に」
本音を言えば、確かに一目置いている。しかし、なんとなくそれを認めたくなかった。陸は誠の無愛想な返事に、くすりと小さく笑った。そしてカプチーノを一気に飲み干すと、口についた泡を親指ですっと拭いた。誠も陸に習い、ミントティーを飲み干そうとし……
「うはっ、何なんだよ、この紅茶。こんなものを客にだすな」
苦い……というより、渋い。
「仕方ないでしょう。紅茶担当の天才が一人、店長と紅茶に対する理念の食い違いで口論になって辞めちゃったんだから」
「だってあいつ、客への対応を早めるために、紅茶を蒸らす時間を削れなんて言ってきたんだぞ。こんな店、こっちから願い下げだね」
誠は以前、このカフェで陸と共に働いていた。
「コーヒーの陸、紅茶の誠。片翼が折れた飛行機は、今にも墜落しそうだ」
陸は苦笑しながらカップ片付け始めた。そろそろ仕事に戻らなくてはいけないのだろう。
「せめて、不時着できるように頑張れよ」
誠はひらひらと手を振って、かつての職場をあとにした。
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