第7話
その人に初めて出会ったのは、深青の出演するライブイベントでのことだった。
その日深青と一緒に演奏をしていた、惟さんというギタリストの女性だった。
「初めまして。惟です」
小さなライブバーのカウンターに座り、ボンベイサファイアの青いボトルを開けて。ただタバコを吸っているだけでも、なんとなく絵になるミュージシャン。痩せ型で背が高くて、ボーイッシュなショートカットが似合う、見るからに女の子からモテそうな人だ。
簡単な挨拶と世間話を交わしたあとで、私は彼女の演奏を聴いた。
惟さんのギターの音色は、彼女の生み出す音楽は、一瞬にして私の心をさらっていった。それはまるで、15年前に深青の音楽に心奪われたときと同じような感覚で。
だから、きっと仕方なかったのだと思う。私が惟さんに恋してしまうのは、時間の問題だった。
深青が企画しているイベント、私の初めてのライブの日は、惟さんも対バンすることになっていた。
ライブ当日、私が控え室でメイク直しをしているところに、ちょうど惟さんが入ってきた。
「お疲れ様です」
「あ、お疲れ~」
そう挨拶して、また鏡のほうに向き直ろうとするのだけど、なぜだか惟さんのいるほうが気になって仕方ない。
それに、メイクを直すところを見られるのがなんだか恥ずかしい。そんな感情をひとに抱くなんて、初めてのことで。
深青に片想いしているときですら、そんなこと思ったことはない。本番前は一緒に並んでメイクしたりするわけだし、大学生のときなんか、まだメイクの下手な私のアイラインを深青が引いて、キャッキャと遊んでいたこともあったくらいだ。
初めて抱く感情に、私は戸惑っていた。
本番直前、対バンするアーティストのメンバーが集まって顔合わせをおこなう。イベンターの男性が仕切って、みんなで自己紹介をしたりするのだけど、そのなかで『好きな異性のタイプは?』なんて質問があって。
正直、なぜ恋愛対象を『異性』に限定されなければならないのか、なんて憤慨したりもしていたんだけど、それよりも私は、惟さんがどんなひとを好きなのか、気になってしまった。
「私を好きになってくれる人なら誰でも……」
惟さんはそんな回答をする。その場にいたメンバーの中で最も雑な答えで笑ってしまうのだけど。話しながら惟さんがこちらを見て、目が合って。えっ、と思ったその瞬間、にこっと笑った。
もしかして、私が惟さんを気になっていることに気づいているのだろうか。
……まさか、私、そこまで視線を送っているつもりはないのだけど。
そう思いながらも、笑いかけられたことで、ついついテンションが上がってしまうのだった。
*
ライブ本番は、どきどきしながらも、なんとか無事におこなうことができた。深青が一緒にステージに立って、ピアノを弾いてハモってくれているから、私は意外と安心できたのだ。……もちろん初めてだから、最初は緊張して足がガクガクになっちゃっていたけど。
自分の出番が終わったあと、最後から二番目が惟さんのバンドのステージだった。ボーカルの美声の女の子と共に出てきた惟さんは、今日はギターだけじゃなくてピアノも弾いていた。
ステージの上の惟さんは輝いていて、私は息ができないくらいだった。
全員のステージが終わって、深青と一緒に惟さんのところへ行った。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。……葉瑠ちゃん、すごく良かったよ。とても初めてとは思えないくらい」
惟さんはそう言ってほめてくれる。ベテランのミュージシャンにそう言ってもらえるだけで嬉しいことなのだけど、こんなにテンションが上がってしまうのは、きっとそれが惟さんの言葉だからだなんだと思う。
終わった後は、ライブハウスの中で軽く打ち上げのようなことをして帰った。
深青が他のメンバーと盛り上がっている中、人見知りの私がポツンと立っていると、惟さんがさりげなく隣にやってきた。
「楽しんでる?」
「あ、はい」
「今日、疲れたでしょ。ご褒美、あげる」
惟さんはそんなことを言って、ドリンクを1杯プレゼントしてくれた。惟さんと同じものを頼んで、2人だけで乾杯する。
なんでもない話から始まって、好きな音楽の話に加えて、食べ物の話や他の趣味の話とか、いろいろなことを話した。
惟さんは私よりも6歳年上で、ギターは中学生の頃から弾いているのだけど、ピアノは大人になってから始めたのだ、とか。
好きな食べ物は辛いもの全般だということで、激辛料理屋さんの常連さんのパスポートみたいなものも見せてくれた。
惟さんは趣味で山に登ったりもするということで、なんだか意外だったけど、昔登った富士山から見た日の出の写真を見せてくれた。
「一緒にこの景色、見てくれる人、探しているんだよね」
なんでも以前に一緒に登ったのは、前に付き合っていた人だったということで。思った通り、その人は、女の人だった。
「一緒に登りませんか」
「えっ……」
山登りなんてしたことないし、なんて思って、私が反応に困っていると。
「……なんてね」
惟さんはいたずらっぽく笑う。
それが、私と惟さんとの始まりだった。
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