:第25話 「二時間:1」

 アランは、(とんでもないことになった……)と、途方に暮れてしまっていた。


 つい昨日まで、こんなことになるとは想像すらしたことがなかった。


 戦争が始まる、ということも、自分たちが実戦を経験することになる、ということも。

 そして、味方が戦線を再構築する時間を稼ぐためにこの場に残るか、あるいは、生き延びて戦い続けるために去るのかを、選ばなければならなくなるということも。


 二時間。

 たったの、二時間だ。


 この決断は、生死を分かつ。

 残ると決めれば、生きて帰ることはできないだろう。


 敵がどれほど強大であるのかは、すでにこの目で見ている。

 こちらの対戦車砲をまったく寄せ付けない、堅固な防御力。

 不整地を、エンジンの轟音とキャタピラのきしむ音をまき散らしながら縦横無尽に駆けまわる、機動力。

 そして、ひとつの分隊を一撃で消し飛ばす、野戦砲クラスの口径を戦車砲が発揮する高い攻撃力。


 走攻守そろった、優秀な戦車が敵なのだ。

 それに対抗できたのは、———文字通り決死の、肉薄攻撃だけ。


 戦えば、結果はどうなるかなど論じるまでもない。


 なにか作戦なり、戦術的な工夫なりをすれば、改善はできるだろう。

 いろいろな手法が考えられる。

 たとえば大きな塹壕を掘ってそこに落としてしまう、とか、強力な地雷を敷設して誘い込む、とか。


 味方の砲兵に支援してもらう、という方法だってあるだろう。

 王立軍にも七十五ミリ以上の口径を持ち、対戦車砲並みの初速で砲弾を発射する野戦砲はあったし、徹甲弾こそ放てないものの、もっと大きな榴弾砲だって装備している。

 三十七ミリ口径という小さな火砲では対抗できずとも、そういった強力なものであれば、通用するに違いない。


 あるいは、航空支援を要請することだって考えられる。

 航空機による攻撃は砲兵によるものとは異なり短時間で終了してしまうが、瞬間的な破壊力は大きい。

 なにしろ、攻撃に使われる爆弾が大型だ。

 最小のものでも五十キログラム、一般的なものならば二百五十キログラムの重量があり、陸戦で頻繁に使用される砲弾とは比較にならないほどの大きさだ。

 その威力は、あの敵戦車を破壊するのにも十分であるはずだった。


 だが、———その何もかもが、今のアランたちにはないのだ。


 大きな塹壕を掘ろうにもそんな時間もないし、人数も足りない。重機でもあれば楽なのだろうが、それを持っている可能性があるのは工兵隊で、ここには個人が使う円匙えんぴくらいしか道具がない。

 地雷だってない。工兵軍曹がやったように砲弾を改造して即席のものを作るとしても、適した信管がないために接近して直接起爆させるしかなく、それは、戦車と刺し違えるということを意味している。


 第二大隊を支援してくれそうな砲兵も、どこにもいない。

 国境を守っていた三個師団にはそれぞれ付属の砲兵群があったが、それはとっくに壊滅させられているだろう。

 司令部にはまだ指揮下にある部隊が残っているはずだったが、今から要請してもとても展開が間に合わない。

 大きい大砲は、機敏には動かせないのだ。


 そして、空軍に至っては影も形も見えなかった。

 開戦とほぼ同時に行われた敵の航空撃滅戦によって王国北部に展開していた王立空軍は壊滅し、今日の戦闘でも一度も飛んできてくれることはなかった。


 連邦軍の航空機が飛行しているのは、遠目にだが確認している。

 おそらくは初日と同じく、王立空軍の基地を攻撃するために盛んに反復攻撃を実施しているのだろう。

 我が物顔で飛行しているその姿は、まるで、この空はすでに自分たちのものだと言わんばかりのようであった。


 今、ここにあるもので。

 アランたちは、自分たちがこれまで頼みとしてきた、そして、敵にはほとんど無力でしかないと分かってしまった三十七ミリ対戦車砲で、戦わなければならないのだ。


 何度考えても、結論は一緒だ。

 蹂躙じゅうりんされる。


 決死の抵抗、必死の戦いは、敵を足止めする程度のことはできるだろう。

 だが、たったのそれだけだ。

 ほどなくして、先の戦闘で生き残った者たちが再構築した貧弱な防衛線は突破され、連邦軍は王国の大地を踏みしめて進んでいくことになるだろう。


 ———たかが、その程度のことに、命をかけるのか。

 かけられるのか。

 かけても、後悔しないのか。


 だが、残る者もいなければならない、というのは、自明のことであった。

 この場から退却するのにしろ、こちらの移動手段は主に徒歩、だ。

 馬もいるが、全員分はないし、そもそも騎乗できる者は限られている。


 つまりは、戦車から逃れることはできない。

 どんなに急いで走っても速度では絶対に戦車には勝てないし、なにより、機械よりも人間の方が先に疲れて、走れなくなってしまう。


 だから、誰かが残らなければならない。

 王立軍が防衛態勢を立て直し、戦線を再構築するためという以上に、仲間を逃がすために、誰かが。


 アランは、泣き出したい気持ちだった。


 死にたくない。

 生物としての当然の欲求がある。


 しかし、その本能に従う、ということは、残って戦う仲間を見捨てるということに他ならないのだ。


 ベイル軍曹は、すでに残ることに決まっているらしい。

 最悪、対戦車砲は自分一人でも運用できる、という言葉は、分隊の仲間たちがこの場を立ち去りづらい雰囲気にならないように言った冗談であるのに違いなかったが、彼が殿に加わることは確実だった。


 態度からも、それが見て取れる。

 仲間たちに「二時間だけだが、しっかりと考えてから決めて欲しい」と言い、解散させた後、彼は自身の命を預けることになる対戦車砲にかかりきりになり、最後の点検に余念がない。


 ベイル軍曹と出会ってからは、ほんの、二か月弱しか経っていない。

 この分隊に配属されてからの付き合いだ。


 彼のことはまだ、ほとんど知らない。

 王国中部の都市、フォルス市の近郊に生まれ育ち、鉱山労働者の家であったこと。

 その生活が嫌だったのと、軍隊生活が気に入ったことから職業軍人となり、現在まで過ごしてきたこと。

 そして、一度結婚を経験し、子供も生まれたが、折り合いが悪く離婚してしまったこと。


 これだけしか知らない。


 だが、好きか嫌いかで言えば、間違いなく好きな相手だった。

 性格はおおらかで、アランのことを「新人」とか「新入り」とか呼んで、イマイチ名前を記憶してくれていない様子ではあったものの、きちんと面倒を見てくれていたし、気にかけてくれた。


 軍曹だから。

 自分よりもずっと、責任のある立場にいるから。


 だから、残ることは当然だ。

 そんな風に割り切ってしまうこともできるかもしれない。


 だが、アランはどうしても、そういう気持ちになれなかったし、そんな自分の本心を上手な嘘でだますこともできなかった。


 悩んで、悩んで、考え続けても、結論は出てこない。

 そうして、時間は過ぎて行った。

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