:第24話 「陣地転換」
一息入れさせてもらったら、このまま、さっさと立ち去る。
そう宣言した伍長とは、それ以降、一言の会話も起こらなかった。
彼は黙々と煙草を吸い続けていたし、アランは、自分たちが直面している戦争という現実、生と死が非常に近接している状態についてずっと考え続けていたからだ。
「おい、みんな! B分隊、集まってくれ! 」
そうしたまま時間だけが過ぎて行ったが、唐突にベイル軍曹に呼び集められる。
分隊の全員が、すぐさま集まっていく。
誰もがアランと同じように途方に暮れていたのだ。
次に何をするべきなのか決まったのに違いないと思うと、じっとしてなどいられない。
「よし、集まったな。すぐに移動の準備をしてくれ」
集まった全員の顔を見渡した後、顔に泥と
「移動? ということは……、退却、ですか? 」
その言葉に、ミュンター上等兵が少しだけ眼鏡の奥の
この場に留まって戦わなくて済む。
そう思ったのは彼だけではなく、他の仲間たちも、アランもまったく同感であった。
「いや、退却は、しない。陣地転換を行うだけだ」
返って来た言葉は、歯切れが悪い。
分隊の面々は
みんなで手分けして、対戦車砲を移動可能な状態に直し、分散しておかれていた弾薬を集めて運搬車に積載していく。
そうしている間にアランとセルヴァン上等兵は後方につないでいたオレールとファビアを連れに向かった。
二頭のばんえい馬は、今朝、二人が世話をしてやったのと同じ場所にいた。
ただ、ファビアを木に繋いでいた綱が千切れている。
どうやら戦闘の音に驚いて暴れたらしいが、意外なことに逃げ出さずにその場に留まったようだった。
(砲撃が直撃していなくて、よかった)
二頭がその場にいてくれたこと、そして数十メートル先にできた流れ弾によるクレーターを横目にしながら、アランは少しだけほっとしていた。
とにかく二頭を引き連れて戻ると、その時にはもう、移動の準備は整っていた。
元々、できるだけ短時間で陣地を移動できるようにという訓練は積んでいる。
なにをどうすればいいのかはすべて手順化されていたし、誰もが訓練で一通り行った経験を持っていた。
そうして分隊は第二大隊の残余と共に移動を開始したが、———動いたのは、たったの数百メートルだけであった。
防衛線を築いていた丘を下り、そこに形成されていた湧水の流れ込む小川を超え、再び斜面を登る。
そしてそこで後送される負傷兵たちを見送り、新たな陣地の構築が始まった。
———なぜ、こんなところに陣地を作り直すのか。
指揮官たちは、いったいなにを考えているのか。
疑問ばかりが浮かんできたが、分隊の面々は黙々と築城を行った。
兵士の仕事は考えることではなく、まずは、やるべきこと、任務を成すことで、身体を動かすことであったからだ。
新しい防衛線は、上り斜面の途中に設定されている。
以前のように稜線を利用したものではなく、しかも、どういうわけか対戦車砲も水平ではなく斜面に沿って砲口が下に
ちょうど、前の防衛線があった丘に隠れて、突撃して来る連邦軍からは視認できない場所だ。
だから敵から身を隠して、彼らが丘の上を登りきったところを奇襲する目的でこの場所に陣地を定めたのかとも思えたが、しかし、それだと斜面に合わせて下向きに砲をすえつける理由がわからない。
これでは丘の上に顔を出した敵を撃つには、仰角を思い切りつけても少し足りないのだ。
それでも数時間で陣地の構築は終わった。
数人が隠れることのできる塹壕をいくつか用意し、木立や茂みを利用して対戦車砲と陣地を入念に
だがもう日が暮れてしまうし、戦闘の結果人数が減り、疲労もしていたためにそれ以上のことができなかったのだ。
気がついた時には、太陽は西の地平に沈んでいた。
斜面の途中に陣地を作ったから、アランたちのところからは稜線が背後に覆いかぶさっていて夕日を見ることができない。ただ頭上の空が茜色になり、段々と色合いが変化していくことから、思った以上に早く時間が経過していたのだと知れた。
「よし、まぁ、これで十分だ。みんな、築城をやめて、集まってくれ」
一センチでも深い塹壕にしようと重い体で
なんだか、今までとは様子が違う。
その表情はいつになく深刻そうで、言い出しにくそうにしている。
「みんな、まずは、よくやってくれた。戦闘に引き続いての陣地の構築、感謝する」
しかも唐突にそう言って、深々と頭を下げて来る。
それを聞いた分隊の面々は再び、互いに顔を見合わせていた。
それぞれの顔には、戸惑いの表情が浮かんでいる。
「どうしたんです、軍曹? 急にそんな、あらたまって」
やがて口を開いたのは、パガーニ伍長だった。
いつもならばこんな風に礼を言われることなんてありはしないし、自分たちだってやるべきことをやっているだけ、当たり前のことをしているだけなのに、と、薄気味悪そうにしている。
ベイル軍曹は、その質問には答えなかった。
下げていた頭をあげ、姿勢を正すと、声を張り上げる。
「これより、志願兵を募る! 」
その言葉に三度、分隊の面々は互いの顔を見合わせた。
聞き間違いではないらしい。
「先の戦闘で、我が第二大隊は大打撃を被った。幸いにして連邦軍は後退したが、明日、早ければ今晩にも、攻撃を再開することだろう。
……
だがこうしてここに陣地を構築しているのは、ここで、敵をできる限り食い止める、という決定が下されたからだ」
それはいったい、どうして。
分隊の面々から見つめられ、無言の問いかけを浴びせられた軍曹は一度深呼吸をすると、「第二軍の、司令部からの命令だ」と短く答えた。
「知っての通り、国境地域での防衛は失敗に終わった。
連邦軍は目下突進中であり、このままではさらに広範な地域を失陥する恐れがある。それだけでなく、味方は戦線を立て直す
……だから司令部は、オレたちに踏みとどまって、できる限り時間を稼ぎ、味方が防衛態勢を立て直すための
つまりは、———捨て駒だ。
友軍が部隊を再建し、前線を再構築するための時間を確保するために、第二大隊の生き残りは戦わなければならない。
より有利な状況を作り出すための、[必要な犠牲]として。
「だが、……だが、兵に死ね、と命じることはできない、というのが、我が第二大隊の将校たちの一致した見解だった」
あまりにも非情な命令に
「時間は、限られている。
……みんな、二時間以内に、残るか、否かを決めて、オレにその意志を表明して欲しい。
強調しておくが、これは、決して強制ではないぞ。対戦車砲の扱いなら、最悪、オレ一人でもできるんだからな! 」
おそらく、誰もが正直にその意志を表明することができるように、という配慮からだろう。
軍曹はそう冗談めかして軽い口調で最後につけ加えたが、———笑った者は、誰もいなかった。
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