:第26話 「二時間:2」

「あたしは、……残るよ」


 突貫で掘った塹壕の底に集まり、互いに沈黙し合っていた分隊の仲間たちの間で唐突に、ぽつりとそう呟いたのはマリーザ・ルッカ伍長だった。


「あたしは、砲手だからね。軍曹がいるって言っても、あたしがいなけりゃ始まらない。一番うまく扱えるっていう自信もあるし、ね」

「な……、なら、ぼ、ぼ、ぼ、僕もっ」


 続いて声をあげたのは、ダニエル・ミュンター上等兵だ。

 しかし、その声は酷く裏返っている。


「オイオイオイ、ミュンター。無理すんなって」


 それに気づいて顔をあげたカルロ・パガーニ伍長は、糧食の缶詰を口の中にかき込んでいたスプーンの動きを止めて、ジロリ、とミュンター上等兵のことを睨みつけた。


「そんなにビビっちまってよ、見てらんないったらないぜ。

 軍曹はよ、無理に残らなくていいって、言ってくれてるんだぜ? 怖いんなら、素直に引き上げな。

 どうせ、これからもずっと戦わなきゃいけねぇんだ。ここで戦おうが、別で戦おうが、一緒だぜ」

「そ、そ、そういう、伍長は、ど、どうするんです? 」

「俺か? ……そりゃ、残るさ」


 臆病者扱いされたと感じたのか少し怒りで頬を紅潮させての問いかけに短く沈黙した後、パガーニ伍長はそれがさも当然だ、という風な表情になって答える。


「今日のところは、敵に歩兵がいなかった。戦車だけでどんどん進んで来たから、置いて来ちまったんだろう。

 だけど、次はわからねぇ。

 歩兵が来たら、俺様の軽機関銃が無けりゃ、どうしようもねぇからな」

「だ、だったら! やっぱり、僕も残りますよ。装填手がいた方が、その分早く撃てますから」


 ミュンター上等兵は少しムキになっている様子ではあったが、迷いは消えたらしい。


「けっ。勝手にしな」


 そんな彼に憎まれ口を叩いた後、パガーニ伍長は視線を他の仲間たちへと向ける。


「それで? お前らは、どうするつもりなんだよ? 」


 誰も、その問いかけには答えない。

 答えられないのだ。


「安心しなよ。軍曹も言っていたけどな、これは、あくまで志願であって、強制じゃねぇんだ」


 そんな彼らに向かって、伍長は食事を再開しながら、努めてなんでもなさそうな雰囲気で言葉を続ける。


「さっきもミュンターの野郎に言ったけどよ、どうせ、戦いはこっから先も続くんだ。

 ここで戦うのも、後で戦うのも、なにも変わらねぇ。

 わざわざここで意地になって残らなくっても、恥じることなんかねぇんだ。

 昨日、ここを退却していった連中のこと、覚えてるだろう?

 アイツらと一緒なのさ」


 やがて缶詰の底に残っていた豆をかき集めて口の中に流し込み、空になった缶を握り潰すと、パガーニ伍長はニヤリとした笑みを見せる。


「第一、残って戦う俺様たちの雄姿を他の連中に言いふらしてくれる奴らがいなきゃ、つまらないだろう? 」

「……ほなら、ワイは退却組に入らせてもらいますわ」


 少しの間を置いて重々しく口を開いたのは、ビーノ・メローニ上等兵だった。


「あんな。……ワイには、どうにも、やられるのが分かっとって残る、っていうのが馴染まんのですわ。人間、生きている限りは生きようとするのが、当たり前でしょ? 」

「な、なら……、その……、じ、自分も……」


 それにおずおずといった調子でパトリス・モルヴァン上等兵も続き、小さく挙手をする。

 すると、パガーニ伍長があからさまな舌打ちをした。


「なんだよ、お前ら! この、薄情者がよ~」


 というのは、メローニ上等兵もモルヴァン上等兵も、どちらも軽機関銃の運用を支援する任務についていた、いわば伍長の相棒のような二人であったからだ。


「せやけど、正直に引き上げてええって言うたんは、伍長さんの方じゃないですか? 」

「そりゃ、そうだけどよぉ……。も~ちょっと、こう、悩んでくれたっていいじゃねぇかよ」

「ワイらだって、そりゃ、悩みましたよ。けど、結局は二時間しかありませんし。こういうのはあんまり深く考え過ぎずに、パーッと、直感で決めてまうのがあと腐れなくていいんですわ」

「ったく。おぇは、こんな時でも変わらねぇな」


 周りに忖度そんたくせず赤裸々なことを言うメローニ上等兵に、パガーニ伍長は尊敬と呆れの入り混じった表情を向けている。


「取りつくろっても、仕方ないでしょ? 」


 上等兵はまったく悪びれたふうでもなく、清々した様子だった。

 その物言いに、———微かに笑いが起こる。

 それは、こんな状況になってもまだ辛うじて残っていた、分隊にとっての[いつも]の光景であったからだ。


「オイ、セルヴァン上等兵。それに、新入り二人組」


 ぶつくさ口の中で声にもならない文句を言った後、パガーニ伍長はその視線を、まだ意思表明をしていない三人へと向けた。


「おぇらも、変に気負わずに、メローニの野郎みてぇにサッパリと決めな。

 俺たちはな、確かに軍服を着てる。

 けどな、背負ってる義務は、国家とそこに住んでる奴らのために戦うことであって、死ぬことじゃねぇ」

「で、ですが、伍長。戦ったら、やっぱり……、死ぬんじゃ、ないですか? 」


 その言葉にそう問いかけたセルヴァン上等兵の声は、震えている。

 彼もまた、生と死の間で深く葛藤し、迷いを捨てきれていないのだろう。


「セルヴァン上等兵。……そいつは、結果だよ」


 答えたのは、ルッカ伍長だった。


「戦えば、確かに誰かが死ぬ。

 実際、大勢が死んだし、大勢を殺したんだよ、あたしたちは。

 だけど、それはあくまで、義務を果たした結果。

 戦うのはあたしたちの、兵隊の責任さ。

 だけど、必ず死ななきゃいけないなんてのは、決まっちゃいない」


 それから彼女は、少しだけ悪戯いたずらっぽく微笑んで見せた。


「別にここで生き延びたって、戦いは続く。……パガーニ伍長の言う通りさ。

 セルヴァン、アンタだって別に、もう戦わないなんて、そんなつもりじゃないんだろう? 」

「それは、もちろん、そうです。……けど」

「なら。

 ……先に死ぬのも、後で死ぬのも、そんなに変わらないんじゃないかね? 」


 自分たちは軍服を身につけている。

 兵士として、この有事の際に戦う責任を背負っている。

 ———しかし、絶対に死ななければならない、という決まりはどこにもない。


 生と死は戦場につきものであった。

 だがそれはあくまで結果に過ぎず、必ずそうならなければならないという義務はない。


 だから、気にしないで、正直に生きることを選んでもいいのだ。

 生きて、戦い続けるという道だって、正しい。

 そしてそれは、ここで戦うことよりも苦しい道のりになるかもしれない。

 もっと凄惨な光景を目の当たりにし、想像もしたくないような出来事に直面するのかもしれない。


 それに、人間は誰だって、いつかは寿命が尽きるのだ。

 残って戦うのも、退いて戦い続けるのも、同じことではないか。

 からかうような口調でルッカ伍長からそう励まされたセルヴァン上等兵だったが、やはりまだ決めかねている様子だった。


「ま、ゆっくりと決めな。……軍曹が言っていた時間まで、あと一時間はあるんだぜ」


 残るか否か、決められずにいる三人に見せつけるように、パガーニ伍長は悠然とした態度で塹壕の壁に背中を預け、狭い中で器用に足を組む。


 ———気を使ってくれているのだ。

 残りたくないという本音を持っている者が、それを素直に口に出せるように。


 アランにもそのことは良く分かっていたが、まだ、結論を導き出せそうになかった。

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