:第15話 「残った者たち」

 戦争が始まって、最初の一夜が明けた。

 国境地域の防衛戦で敗北を認め、夜間、敵の航空攻撃が緩んだ間隙に退却して来た王立陸軍の将兵の数は、おそらくは数千名を超える。


 だがそれは、そこに展開していた部隊の、ほんの一部でしかない。

 守備に就いていた三つの師団と、それ以外の後方支援部隊や基地の要員たち。

 何万もの人員がいたはずなのに、それが、たったの数千程度になって落ちのびて来た。


 王国の西部国境地域から首都・フィエリテ市に至る道はここ以外にもあるから、そちらに逃れて行った者もいるということを考慮すると、生存者たちはこれですべて、というわけではないだろう。

 それでも、甚大な被害が生じていることは疑いようがなかった。


 その割合は、五十パーセント以上に達していてもおかしくはない。

 判定基準には諸説あるが、いわゆる、[壊滅]や[全滅]判定を下されるほどの損害であった。


(俺たちだけで、本当に戦えるのか……? )


 負傷兵たちと出会って以降、見張りを交代して休憩する番になっても一睡もできず、小銃を常に抱えて夜を過ごしたアランは、その不安を打ち消すことができないまま夜明けを迎えていた。


 勝てるのか、ではない。

 戦いになるのか、である。


 ここにいるのは、三十六門の対戦車砲を装備しているとはいえ、たったの一個大隊しかない部隊だ。

 それが、三個師団をわずか一日で蹴散らし、最前線から四十キロメートル以上も敗走をさせたほどの敵を、食い止められるのか。


 鎧袖一触がいしゅういっしょくにされるだけではないのか。

 そう不安に思っているのはアランだけではなく、分隊の誰もが自信を失っていた。

 ベイル軍曹はいつも通りの調子で、冗談などを言って場を和ませていたが、それは彼が分隊の指揮官であるからであって、その本心は他と同じであるのに違いない。


 それでも、朝はやってきた。

 そして時間が経ったのだから、食事を取らなければならない。

 食欲などなくとも、食べなければ満足に身動きができなくなってしまうからだ。


 ———ヴァレンティ中尉から無線で連絡があり、糧食の一部を分け与えるように、という指示が来たのは、お湯を沸かそうと固形燃料に火をつけ、汲んで来た湧水の入ったポットを火にかけていた時のことだった。


「糧食を? いったい、誰にです? 」

≪実は、昨晩通過していった友軍の一部が、我々と共に防衛線を構築するために残ってくれたのだ。三食分でいいから、糧食を分けてやって欲しい。大隊長によれば、補給部隊は今晩か明日の朝には到着するとのことだ。だから物資を分けても心配はいらない≫

「なるほど、了解いたしました」


 そのベイル軍曹とヴァレンティ中尉のやりとりを聞いて初めて、アランは、いつの間にかこの対戦車陣地パック・フロントに自分たちとは異なる友軍部隊が残っていることに気がついた。


 人数は、数百名。

 おそらく王立陸軍の標準的な歩兵大隊の定数を少し割り込んだ程度の規模だ。

 それが、二重に構築された防衛線の間にあらたに塹壕を掘って潜んでいる。

 その中に隠れていたから、気づくことができなかったのだ。


 単一の部隊、どこかの歩兵大隊の残余、というわけではないらしい。

 装備もばらばらなら、服装もそろっていない。

 王立陸軍の野戦服を身に着けている者もいれば、後方の基地にでも勤務していたのだろう、オフィスワーク用の制服を身に着けている者もいたし、部隊章も様々なものが入り混じっている。


「おい、新入り。すまないが、オレたちの前にいる連中に食料を持って行ってやってくれ」

「わ、わかりました! 」


 ベイル軍曹に命じられて我に返ったアランは、慌てて立ち上がる。

 一人では運びきれそうになかったのでG・Jにも声をかけて箱に入った食料を運んでいくと、そこには夜の間に新しく掘られた少し浅めのタコ壺と、その底で休息している、疲れ切った様子の兵士たちの姿があった。


 食料を手渡すついでに彼らについて聞いてみると、七人ほどの集団の臨時の分隊長を務めているらしい軍曹が、「我々は、志願して残ったのさ」と教えてくれた。


「対戦車砲があろうと、歩兵なしではさすがに厳しかろう、と思ってな。……それに、このまま東に連邦軍の突破を許せば、そこに暮らしている人たちも危ない目に遭うだろう。私たちはすでに、国境地域に暮らしている人たちを置いて逃げて来てしまった。これ以上は、同じことをしたくない。だから、避難が済むまで、なんとか侵攻を遅らせたいんだ」


 その軍曹の第一印象は、———ゾッとする、だった。


 話し方も物腰も温和で理知的で、誰とも問題なく付き合って行けそうな感じがする。

 だが、なにかが、どこかがおかしい。

 そんな違和感を覚えてしまう。


 こちらに向けられた微笑みは虚ろで、心ここにあらず、魂が抜けてしまっている。

 そんな風に思ってしまったのだ。


 だが、言っていることの内容は、なにも変ではない。

 むしろ立派なものだ。

 アランは慌てて、自身の心の中で湧き上がった薄気味悪さを振り払っていた。


 この七人は、退却する途上で知り合い、いつの間にか自然とグループを作っていた者たちらしい。

 出自はバラバラだ。歩兵だったり、基地に勤務していた事務要員だったり、輜重兵だったり、元々は戦車に乗っていたり、工兵だったり。


 唯一共通しているのは、武器を捨てなかった、ということ。

 王立軍の現用の主力装備である新小銃が三丁、短機関銃が一丁、倉庫に眠っていたり後方の警備部隊に配備されていたりした旧小銃が二丁、私物の拳銃が一丁に、手榴弾が数個。

 心もとないものではあったが、彼らはこの武器で戦う覚悟を固めていた。


「あの……、もしよろしければ、こちらの軍曹に、いくらか弾薬をお分けできないか聞いてみましょうか? 」


 その頼りなさに心配になったアランが、確約はできませんが、とたずねてみると、臨時の歩兵分隊の指揮官となっていたその軍曹は少し驚いた後、泥だらけ、煤だらけの顔に、乾いた、だが心底から嬉しそうな笑みを浮かべていた。


「それは、ありがたい。分けていただけるのならなんでもいい。……いや、もし、砲弾をいくらか融通してもらえるのなら、ぜひともそうしてもらいたい」

「砲弾を、ですか? 」

「ああ、そうだ。……実は私は、軍曹といっても、工兵隊の軍曹でね。ちょっとした役に立つものを作れると思うんだ。あればあるほどありがたいが、それは、そちらの軍曹殿のご意向に従おう」

「了解です」


 敬礼をして別れ、自分の陣地に戻ったアランがベイル軍曹にたずねてみると、彼は「う~ん……」と腕組みをして悩んでから、「ま、今日の夕方には補給が来るっていう話だったしな」と、砲弾を分配することを認めてくれた。


「あの、工兵軍曹殿。砲弾で、いったい何を作るんですか? 」

「そうだな……。地雷? ……そう、地雷、さ」


 砲弾の入った箱をいくつか、仲間たちと手分けして合計で二十発ほども持って行ってやると、その工兵隊の軍曹は言葉少なにそう答え、「さぁ、みんな! 手伝てくれ」と臨時の分隊の面々に命じ、さっそく改造作業を開始しながら、思い出したように警告してくれる。


「帰ったら伝えておいてくれ。……敵の戦車は、装甲が厚いだけでなく、角度がついているから、こちらの対戦車砲ではきっと苦戦するだろう、と。しかも、野戦砲クラスの戦車砲を装備している。昨日の戦いでは、友軍の対戦車砲の多くは、敵の主力の中戦車と満足に戦えなかった。何人もの味方が、吹き飛ばされてしまうのを見た。……どう対処するべきかについては、自分は専門外だからなにもわからん。だが、そちらの軍曹殿が、きっと考えてくれるだろう」

「わ、わかりました」


 うなずき、敬礼しつつも、アランは思わずにはいられなかった。


(そんなおっかないこと、言わないで下さいよ! )


 だが、おそらくは冗談でもなんでもなく、なんの悪意も嫌味もなく、ただ純粋に戦訓として伝えてくれているのだという真面目な雰囲気があったからぐっとその言葉を飲み込み、黙ったまま仲間たちの元に引き返す。


(大丈夫。あの工兵軍曹殿が言う通り、ベイル軍曹がうまくやってくれるさ)


 そう、祈るように願いながら。


 ———そうしている間にも、連邦軍の先鋒は、着々と接近しつつあった。

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